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自分を変えようとブラジルに行き、ちゃんと変わって帰ってきた先生の話。 【週刊新陽 #25】

札幌は朝晩の冷え込みが増してきました。

先週の夜、寒くてヒーターをつけたのですが暑くなりすぐ止めました。さすがにまだ早かった(笑)。北海道の気温の変化に慣れるには、もう少し時間がかかりそうです。

さて、新陽高校では月に1度、保護者アンケートを実施しています。9月のテーマは情報発信でした。発信してほしいトピックを聞いたところ「学校の日常の様子」が1位で、具体的なご意見の中では「先生の紹介」というお声を複数いただきました。(アンケート結果概要はこちら

そこで今回は、私がそろそろお話を聞きたいと思っていた熊谷沙織先生をご紹介します!

自分を変えたくて環境を変えた

沙織先生は、2年間休職してJICA(独立行政法人国際協力機構)海外協力隊としてブラジル・サンパウロに派遣され、今年4月に新陽に復帰したばかり。

地歴公民の先生で、今年は探究コース1年の担任。7月の学校祭では生徒会担当として生徒たちを支え、まとめてくれました。

- 戻って半年。新陽はどうですか?

4月は、正直言って全然違う学校にいるような気分でした。2年の間に新陽も変わっていたし、以前は総合コースにいたので探究コース文化に馴染みがなかったんです。

でも、みんなは私が2年間も離れていたことがなかったかのように普通に接してくれるので、うれしいのもあり、戸惑いもあり。最近やっとペースが掴めてきたかな、という感じです。

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- JICA協力隊になったのはどうしてですか?

社会の変化や学校の変化とともに、3年ぐらいのスパンで生徒層が変わるのを感じていました。

一方で、私立の教員は異動もないし環境の変化は少ないですよね。経験を積み生徒との年齢も離れてくると、最初は一つ一つ本気で心配したり一緒に悩んだりしていたことも、一歩引いて手続き的に処理できるようになってしまう。そして、それは生徒にも伝わってしまいます。

生徒が入学して卒業するまで3年。この3年を1サイクルとすると、この先30年10サイクルを惰性的に過ごしてしまうのではないか?と考えたら怖くなりました。

新しい環境に身を置き、インプットする時間を持ちたくなったんです。

JICA海外協力隊への挑戦

- それにしてもずいぶん大きな環境の変化ですよね。不安は無かったですか?

海外志向が強くて留学を考えたこともあるくらいなので、行きたい気持ちのほうが大きかったですね。学生の頃は家庭の事情などで叶わず、社会人になってからは海外旅行でその欲求を満たしていたんです(笑)。

JICAのプログラムは知っていたのですが、一つの道として考えはじめた時、現職教員特別参加制度という選択肢が浮かびました。

この制度で派遣されるためには準備期間が必要だったことと、受け持っていた生徒の卒業を見届けたいというのもあったので、そのタイミングに合わせて行くための準備を進めました。

かなり計画的な性格なんです。子どもの頃から明確にライフプランを持っているタイプ。

最後に受け持った3年生とは一緒に進路に向かっているような気持ちでしたね。JICAへの挑戦を生徒には言っていなかったけど、面接練習する生徒たちを見て自分もイメージトレーニングしたり。

- 生徒に伝えた時の反応はどうだったのでしょう?

合格して、まず職員会議で発表してみんなに驚かれ、そのあと生徒たちにも言いました。

実は行く直前まで公言しないつもりだったのですが、前校長の荒井優さんから「先生が挑戦しようとしていることを知って、なぜ挑戦したのか知りたい生徒もいると思う。でも卒業してから知ったら聞けないよね。早く言おうよ。」と背中を押されて。

先生が挑戦する姿を見せることの意義はあると思っています。海外という夢が30歳過ぎて叶うこともある、と伝えたい。

生徒たちからは、「新陽辞めちゃうの?」とか「結婚しないの?」とか質問攻めに合いましたけど(笑)。

圧倒的なマイノリティになって気づくこと

- 辞めずに戻ってきてくれてよかったです(笑)。2年を経て、自分に変化はありましたか?

キャパシティの大きさは全然変わったと思います!

先ほど言った通り計画的な性格なので、以前は、計画通りにいかないことが受け入れられなかったんです。

でも、ブラジルでは計画なんてものがそもそもなくて。例えばバスはぜんぜん時刻表どおりに来ません!

- それってイライラしませんでしたか?

最初は驚いたり違和感を感じたりはしたけど、そういう文化のところに来たという意識も強かったのでイライラはありませんでしたね。

ブラジル(ポルトガル語)には、「Tudo bem」という言葉があります。「元気?」「調子どう?」という意味もあれば、「だいじょぶ、だいじょぶ」のようなニュアンスも含みます。これを言われると、全然大丈夫じゃなくても、大丈夫な気がしてくるんですよね(笑)。

ブラジル人は、最終的になんとかする力がすごい。計画的に物事を進めるのは苦手でも、最後にはやってしまうんです。

そういう、日本とブラジルの文化の違いを経験した事が、自分の引き出しを増やしてくれたと思っています。

アルモニア授業

それから、圧倒的なマイノリティとしての経験もすごく貴重でした!

行く前は多少は自分の力を発揮できると思っていたのですが、行ってみたら全然・・・言語と文化の違いによる壁は思っていたより高くて。

サンパウロの小学校に勤務していたのですが、例えば、子どもとの会話でちょっとした一言が出てこないこともしばしば。もどかしかったですね。帰国して、同僚とストレスなく話ができるのに感動してしまいました。

日本では同じ言葉(日本語)を喋るのが普通。でも、ブラジルのように多様な人種が共存している社会では、みんなの言葉が同じことや髪や肌の色が揃っていることの方が変なんです。

子育ての価値観や教員の役割も日本とブラジルでは全く違います。

それまで「普通」とか「正しい」と思っていた価値観が必ずしも絶対ではないと気づく経験によって、自分の視野が広がったと思います。

と同時に、日本では、時刻表通りに電車が来るし、スタバでパソコンを置いてトイレに行っても盗まれることがない。この正確性や安全性は私たちにとって当たり前ですが、実はそれ自体がすごいことなんだ、とリスペクトするようになりました。

日本の教育や慣習を否定する人もいますが、これまでやってきたことは「どうすれば暮らしやすいか。みんなが幸せになれるか。」を考えた結果だと思うんです。

でも、社会の変化とともに時代に合わなくなってきたこともある。全部を否定するのではなく見直せばいい、そう思っています。

太陽神


社会への還元とは(インタビューを終えて)

JICA海外協力隊(ボランティア事業)の目的を見ると、

(1)開発途上国の経済・社会の発展、復興への寄与
(2)異文化社会における相互理解の深化と共生
(3)ボランティア経験の社会還元

とあります。

3つ目の社会還元は帰国後に多くの人が悩むポイントなのだそうで、特に教員は、途上国と日本のギャップに戸惑ったり、具体的に学校現場でどう活かすか悩んだりするようです。

沙織先生も、自分の経験を授業に反映する難しさを感じているとのこと。しかも公立の先生に比べれば新陽は新しいことに自由に取り組める環境があるのに、やれていない自分の不甲斐なさを感じる、と話してくれました。

その葛藤は、転職や出向などキャリアを越境している私にも分かる気がします。でも、直接何かしなくちゃと思わなくていいのでは、とも思うのです。

JICA海外協力隊に挑戦したこと、ブラジルという日本とは全く違う文化に浸ったこと、そういう他の人にない経験をした沙織先生が新陽にいること自体に価値があり、周りに還元していると思うからです。

きっと、生徒と触れ合う時、生徒に何かを伝える時、あるいは同僚とディスカッションする時、沙織先生の言動にはこの2年間の経験が滲み出ているはずです。

新陽高校が2030年に向けて目指しているビジョン『人物多様性』は、多様な経験を持つ一人ひとりが尊重し合うことであり、そういう先生たちだからこそ多様性を重んじる教育を実践できる、そう思っています。

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【編集後記】
先日、学校ウェブサイトを授業で教材にしてくれた先生がいました。新陽高校のHPで印象に残ったページを生徒たちに聞いたところ、『生徒ストーリー』と『新陽の先生たち』が人気だったそうです。
先生の笑顔がいい、個性が出ている、先生のことが分かってうれしい、などの感想とともに、もっと詳しく話を聞いてみたい、ほかにも良い先生がいるから紹介してほしい、という声も。
週刊新陽でも、すこしずつ先生のお話を聞き発信していきたいと思っています。(新陽生のみなさん、紹介してほしい先生がいたらリクエストください!)


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