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来し方行く末   詩と 詩人 時々俳句

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詩を書く という自覚ってどんなものなんだろう と時々思います。 何を書いても「詩の形式」で書いてしまいますが、自分なりの「詩」とは分けています。
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詩の勉強会

ひとり遊び 時々病気のふりをして布団の中に長くいる 時々元気なふりをして家中点検して回る 誰にも会わない日の「ふり」は ひとり遊びに過ぎない カーテンの向こうにはもう一つの細い雨のカーテン 病気のふりがばれにくい日だ 向かいの家の花桃は満開になってしまっただろうか 枝垂れていたので柳かと思ったら葉が丸かったあの木は 花が咲いたりするのだろうか 雨の中 木が生い茂る公園を歩く想像をする 近くに見つけた小さな銀杏並木の新芽を思う 都会のビルのカフェから 窓の下を動く色とりど

何がしんどい

帰り道にはもう慣れた すたすたてくてくとぼとぼと 歩いていればいずれ着く 帰り道にはもう慣れた ようやく花が咲き始め 木の芽もだんだん育っていく 飛行機の音にふりかえり たまには写真も撮れるのである 帰り道にはもう慣れた 同じ形の建物の中から我が家を見つけ出す カギはバッグに入っている まだ慣れないのは出かける道 電車の時刻に追い立てられる 時間は十分取っている 行きたいところを目指している それでも外に行く時の 心のかげりせわしなさ 前向きってなんだったか 進歩する

混ぜて炒めてあげようか?

最初の詩から強烈だった。 「新島」というタイトルの詩。噴火してできた島のことだ。 「炒飯作れる?」と聞かれた後の「混ぜて炒める」発言なのだ。 「あんたのどうにもならないところ  混ぜて炒めてあげようか?」 「お前を蝋人形にしてやろうか」よりも強烈なんじゃないだろうか。 どうにもならない と 認識されていて 混ぜて炒めたらどうにかなるかも と励まされているような? この際 炒めてもらった方がよいかもしれない と徐々に思えてきたりする。Мか。 「いいとも」だったか「タモ

詩のワークショップ

絵を見てその場で詩を書く というワークショップに参加した。 小中学校の国語科でも実践されているやつだ。 なんというか、感覚のストレッチみたいなものだ と講師は言っていた。 4種類の絵の中から自分で決めて、詩を書く。 まず最初に絵に描かれているものを描写してみるのも良い と言われた。 四枚の絵のうち二枚は「クレーの絵本」に掲載されている絵だった。 そのうち一枚は、俊太郎さんも詩をつけている「黄色い鳥のいる風景」。 私はその「黄色い鳥のいる風景」を選んだ。 俊太郎さんの詩が

朝はパン

朝はパンに決めている トマトを切り、チーズを載せる 湯はポットで沸いている 夜も大して作らない ひとり分である。 二種類作ったら二日分になってしまう 洗う食器も限られている 小人閑居して、目ばかり疲れる シンプルな生活である カフェには行くが外食はしない そんな自分なりのルールを一つずつ作っていく ウクライナの人たちだって 能登の人だって 食べるものは違っても そんな日々が続いていくと思っていただろう 画面の外から見ていたはずが 知らない内に画面の中に取り込まれていく

ひきこもり(詩)

不眠と夜更かしの区別はつきにくい 仕事を辞めたおかげで 早く寝ることも早く起きることも 強いられなくてよいのは幸いだ 睡眠時間は決まっているらしい 早めに寝れば早めに起きるし 遅めに起きれば寝つけなくなる 夜中に何度目が覚めても目覚める時間は同じである 真っ暗な部屋でパソコンの電源やルーターの青や黄 充電器の緑が小さく光る その光に導かれることはない 示唆もされない 未来を見ない 過去も見ない ただ 時おり点滅している 間もなく春が来て、夜明けが早くなる 遮光カーテン

詩の勉強会

私の一か月は詩の勉強会を中心に回っていることに、最近気づいた。 詩の勉強会の後は、落ち着くまでに何日か要する。 それから、新しい一行を探す。 書き出しができれば、続けて書けることもある。 デスクトップに置いて、眺め続ける。 その合間に、読書や映画などが入る。 最後の一週間は、受け入れられるかという心配をしているらしい。 自覚以上に。 今回の詩は「引きこもり」 一行目が自分でも気に入っているので、別にアップした。 実は余分な2行があって、それは削ったのだった。 三連目の初め

詩の勉強会

詩の勉強会に参加した。 今回は比較的参加者が少なく、一つ一つの詩に時間をかけることができた。 言葉の重さ とか、連の密度 とか 私にはまだわからない。言語化できない。 言われて改めて読むと、「そこはかとなく」感じられる程度である。 言葉の意味とか漢字の使い方などには、皆さん貪欲に検索もし、こだわる。緊張感のある時間である。 私自身の詩については、安定してきたみたいな捉えられ方だった。 持ち込んだ詩は以下である。 ピンク  四十年捨てずにいたセーターは あまり着なかった

青焼き

青写真とは未来を描くこと 私は「青焼き」という言葉を思い出す 昔のコピーの事だ 青写真もその時代のものだったんだろうか 白いのは費用が掛かるので青焼きにしてください 事務担当がよく言っていたこと 青焼きも、当時のコピーも その後出てきたワープロの印刷も 時が経てば読めなくなるような代物だった 秘密は守られる 書き手である私自身からも 昔 私が未来に何を描いていたか 私自身にももはやわからない たぶん大きく違っているだろうが それはそれ 今 特別不幸ではない そうい

布団から

布団から出たくない朝 布団になかなか入らない夜中 表裏一体か 昔 不登校だった子がよく言っていたのだ 眠ったら、朝が来ちゃうじゃないか 明日になってしまうじゃないか 今の私には行くべきところはあまりない 夜更かしし放題 朝寝坊し放題 のはずではあるが、朝寝坊には多少の自主規制が入っている だから 夜更かしにも制限がある 地球が回っていて朝が来る限り 大した自由はないのである 朝が来たら起きなくてはいけないじゃないか だからときどき 風邪を引いたふりをする

記憶とは曖昧なものだ

二階に来ると何しに来たのだろうと思う 台所まで来て 考えていた献立が思い出せない よく聞く話でありよくある話である 二階が無くなって幸いであった 溜まっていた色紙を捨てた 一年足らずしかいなかった職場ばかり 貰ったときにはとても嬉しかった 書かれた名前を眺める 何年度か、書かれていない 学校名も書かれていない 思い出すよすがが何もない 思い出せないだけで記憶のどこかにあるのだろうが 生来探し物は不得手である 探し物に費やす時間は無為な焦燥  だから 整頓はちゃんとせよ と

詩の勉強会

詩の勉強会があった。 実は今回は「直し」はなかった。 プレバトの人たちが「直す所ありません」と言われて喜ぶ気持ちが とても良く分かった。 今回は良かった と言ってもらえた。 詩は以下である。 予備                引っ越しの日 新居の鍵がなかった 文字通り ポケットもバッグもひっくり返したが なかった 鍵の紛失なんて初めてだ タクシーを走らせ着いた引っ越し先の 予備のカギの入った机は トラックの一番奥にあった それから二週間 鍵は見つからない 駅までの

丸山薫詩集

ふと手に取ってみたら、箱は茶色い。 奥付を見たら「昭和51年10月5日 5版」とあった。 買ってすぐにだけ読んだというものではない。 毎年のように、手に取ることはあったのではないだろうか。 何の気なしに開いたページにあった、「島」という詩。 海しか見えない航海で ふと見えた島影。 人はおろか鳥も住まないが、わずかに緑がある。 そんな小さな島を海の男たちが飽かず眺め 通り過ぎても後ろを気にする。 それからその日、その晩 船乗りたちははしゃいでいたという。 静かに描写して

詩の勉強会

詩の勉強会は、無理やりみたいに参加した。 前回の直しだけなので気が楽だった。 これでよい、と言われた。 前回「一連」あったところを削ったのでそのまま一連にしてしまったが ここは連を作らなくても良いのではという意見が出て ちょうど一行空いているそこに 何か言葉を付け足して一連にすれば という。 例えば「車に乗るのは今日が最後」とかですか、と聞いたら 「いやそれでは言葉が強すぎる」と 「強すぎる」とちょっとどうしたらいいんだ という顔になった私を ちょっと面白そうに見ている方数