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創世記を知ると急にわかりやすくなる「第九」の歌詞(前編)

今日は2020年5月20日。世の中はコロナウイルスが猛威を振るい、人たちが集まって演奏することも難しい時を過ごしています。
指揮者として活動する自分も現時点で10月までの公演は全て延期、もしくは中止に追い込まれてしまいました。7月と9月に予定されていた第九公演も残念ながらキャンセルに。
しかし、時間がある今だからできることをしようと思い、今まで研究してきたこと、考えてきたことをまとめてみようと思ったのがこのnoteを始めるきっかけでした。
今日は、「ベートーベンの第九」について触れたいと思います。
僕が第九というものを初めて知ったのは、中学生の頃にたまたまテレビでみた、「N響第九」でした。ちなみに、僕がその後入学することになる「国立音楽大学」を初めて知ったのもこの時でした。
指揮者になり、第九に関わるようになりもう20年近くになると思いますが、初めて楽譜を見たときに思ったことは、「さっぱり歌詞の内容が分からない!」ということでした。
それから20年近く、少しずつ研究し続けて、未だ調べたり考えるたびに見解が変わったり、新たな発見をし続けているのですが、一度、現在の段階で自分なりの解釈をまとめてみようと思い、今回、「第九の歌詞」をテーマにしてみました。
タイトル「創世記を知ると急にわかりやすくなる「第九」の歌詞」と書きましたが、これまで、第九の歌詞について旧約聖書の「創世記」について触れている文献に出会えなかったので、このような解釈を表に出すのはちょっと勇気のいる冒険ですが、あくまで、僕なりの考え方ですので、正しいかどうかは分かりませんが、それを踏まえた上で読んでいただければ幸いです。

【創世記を知ると急にわかりやすくなる第九の歌詞】

歌詞や、対訳、逐語訳を読んでも実際にストーリーを理解するのが難解なのが第九の歌詞。
しかし、旧約聖書の創世記を知ると、この歌詞の意味が実にわかりやすくなります。
なぜ創世記なのか?
これを紐解く重要な鍵となるのが、歌詞の中に出てくる「ケルブ (cherub)」です。
ケルブ(※複数形はケルビム)とは、天使9階級のうち上位2番目の「智天使」と呼ばれる天使のことですが、神がエデンの園からアダムとエバを追放し、いのちの木への道を守るためにエデンの園の東におかれたのがケルブです。

旧約聖書「創世記」3章24節
24 こうして神は人を追放し、命の木への道を守るために、ケルビムと、輪を描いて回る炎の剣をエデンの園の東におかれた。
(旧約聖書 新改訳2017(新改訳聖書センター) 新日本聖書刊行会 より引用)

第九の歌詞はドイツの詩人 フリードリヒ・フォン・シラー(Friedrich von Schiller 1759-1805)の「歓喜の歌」(An die Freude)に曲をつけたものですが、詩の中に出てくるキーワードから、旧約聖書「創世記」1章から3章までの世界をベースに詩が書かれていると考えます。
また、ベートーヴェンは、シラーの「歓喜の歌」をそのまま引用するのではなく、断片的に、順序を入れ替えながら、また、ベートーヴェンのオリジナルの歌詞を加えていることから、この第九の歌詞は「「創世記」とシラーの「歓喜の歌」をベースにしたベートーヴェンの創作ストーリー」となっているのだと思うのです。
ちなみに、シラーの書いた「歓喜の歌」はフリーメイソンであるシラーがフリーメイソンの儀式のために書いた詩であり、第九の歌詞は基本的に成人男性の目線になっています。

【歌詞のあらすじ】

旧約聖書「創世記」によると、神はアダムを創造した後、実のなる植物を創造された。
アダムはエデンの園に置かれるが、そこにはあらゆる木があり、その中央には「いのちの木」と「知恵の木」と呼ばれる2本の木があった。

神はアダムに知恵の木の実だけは食べてはならないと命令した。

後にエバが創造される。
蛇がエバに近づき知恵の木の実を食べるようにそそのかし、エバは食べてしまう。そしてアダムにも食べるように勧めた。

神はアダムとエバが禁じられていた知恵の木の実(禁断の果実)を食べたことから、いのちの木の実も食べてしまうことをさけるため、エデンの園から追放した。そして、いのちの木に至る道を守るため、神はエデンの東に天使ケルビム(智天使)ときらめいて回転する炎の剣を置いた。(以上、旧約聖書「創世記」2章、3章の要約)

「歓喜の歌」は「創世記」と、シラーの詩「歓喜の歌」をベースにしたベートーベンによる創作ストーリーである。

神に楽園と分断された現世に住む人々(男たち)が、娘たちのいる「エデンの園(楽園)」を探しに出かけ、エデンの園の門を守るケルブ(天使)と会い、そしてケルブの魔法でエデンの園の門を開き、分断された世界をひとつにして人々が一緒になりたいと願う、人間賛歌の物語である。

【第4楽章 冒頭部分 ケルブの登場】

ケルブ による「恐怖のファンファーレ(Schreckensfanfare)」がなった後のチェロ、コントラバスによるレチタティーヴォは、ベートーヴェンの独り言。(レチタティーヴォの言葉の内容は正確にはわからないが、ベートーヴェンのスケッチには、似たフレーズに断片的に歌詞が書いてあるものは存在する)
各楽章のテーマが出るたびにベートーヴェンの独り言が入り、とうとう見つけたのが第4楽章の「歓喜の歌」のテーマとなる。
そして、再びケルブによる「恐怖のファンファーレ」が鳴り響き、いよいよ「歓喜の歌」へ。

[解説]
第4楽章冒頭の部分をケルブの登場と解釈する理由は、冒頭部分のファンファーレのトランペットが「天使が神の声を伝えるもの」であること、またレチタティーヴォの部分をベートーヴェン自身と解釈する理由は、ドイツの音楽学者ノッテボーム(Martin Gustav Nottebohm 1817-1882)によるベートーヴェンの難解なスケッチに関する研究の中で、レチタティーヴォのフレーズと似たフレーズのスケッチに歌詞が書いてあることによる。

天使が神の声を伝える楽器はトランペット。その調性はニ長調。「第九」もしかり「メサイア」もしかり。
(音楽之友社 / 曽我大介監修・編 / ベートーヴェン 交響曲 第9番 終楽章 シラーの頌歌”歓喜に寄せて”による合唱 より引用)

【歓喜の歌 (An die Freude)】


An die Freude
歓喜の歌

O Freunde, nicht diese Töne!
Sondern laßt uns angenehmere
anstimmen und freudenvollere.

(以上3行はベートーヴェンの作詞)

おお、友よ、この響きではない!
そうではなくて、喜びに満ちた、
楽しい歌を歌おう。


[解説]
「この響きではない!」とは、ベートーヴェンが書いた第1楽章、第2楽章、第3楽章の苦悩に満ちたフレーズに対してのものではないかと考える。
第4楽章冒頭のレチタティーヴォに関してベートーヴェンの残しているスケッチに対する否定をしている。※スケッチの内容についてはここでは省略する。

Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium
Wir betreten feuertrunken.
Himmlische, dein Heiligtum!

Deine Zauber binden wieder,
Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Brüder,
Wo dein sanfter Flügel weilt.

喜びよ、美しい神の火花よ(=ケルブとともにある、「きらめいて回転する炎の剣」から出る稲妻のこと)、娘たちのいる楽園(=エデンの園)へ、私たちは炎の中に飛び込んで(=エデンの園の門にある「きらめいて回転する炎の剣」の中に入り)、天国へ、あなたの聖域へ向かおう。

あなた(ケルブ)の魔法は、かつて神が分断した、楽園と現世を再び結びつける。
そして、あなた(ケルブ)の柔らかな翼が留まるところで(楽園のこと)全ての人々は兄弟となる。


[解説]
「美しき神の火花よ(schöner Götterfunken)」とは何のことか?
これは神がエデンの園の東にケルビムとともに置いた「きらめいて回転する炎の剣」を指す。
「娘たちのいる楽園」については、基本的に登場人物がフリーメイソンの男性のため、男性目線で娘たちのいる楽園となっているものと考える。エデンの園の入口を守っているケルブと、きらめいて回転する炎の剣の中を通って楽園に入る状況を表している。

「あなたの魔法(Deine Zauber)」とは誰の魔法か?
これは、神かケルブのどちらかと考えられるが、ケルブであろうと解釈した。
一つには、神に対して「あなた(Deine)」という言葉を使うのだろうかという点である。神をさすなら「あなた」ではなく「神」ということばを使うのではないだろうか。また、丁寧な表現(敬称)の「Ihre(あなたの)」ではなく、親称である「Deine(君の)」となっているのも論点の一つである。
また次の文章、「あなたの柔らかな翼が留まるところで(Wo dein sanfter Flügel weilt.)」の「あなたの柔らかな翼」が留まっている楽園という部分で、翼を持っているのは天使であるので、「あなた(Deine)」はケルブのことを指すものと解釈している。

参考までにケルブがどのような姿であるのかは、旧約聖書 「エゼキエル書」1章4節〜11節に以下のように記されている。

旧約聖書 「エゼキエル書」1章4節〜11節
4 私がみていると、見よ、激しい風が来たからやってきた。それは大きな雲と、きらめき渡る火を伴い、その周りには輝きがあった。その火の中央からは琥珀のようなきらめきが出ていた。
5 その中に生きもののようなものが四つ現れ、その姿は次のようであった。彼らは人間のような姿をしていたが、
6 それぞれ四つの顔と四つの翼を持っていた。
7 その足はまっすぐで、足の裏は子牛の足の裏のようであり、磨かれた青銅のようにきらめいていた。
8 その翼の下から人間の手が四方に出ていた。また、その四つの生きものの顔と翼は次のようであった。
9 彼らの翼は互いに触れ合っていて、進むときには向きを変えず、それぞれ正面に向かってまっすぐに進んだ。
10 彼らの顔かたちは人間の顔で、四つとも右側には獅子の顔、四つとも左側には牛の顔、さらに四つとも鷲の顔を持っていた。
11 これが彼らの顔であった。彼らの翼は上方に広げられ、それぞれ、二つは互いに触れ合っていて、もう二つはそれぞれのからだをおおっていた。
 
(旧約聖書 新改訳2017(新改訳聖書センター) 新日本聖書刊行会 より引用)


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