里山の資源に対する考え方

山を見て、竹林が荒れています。

誰も使わないものがたくさんある、のでしょうか。

その理屈で居続けること自体に問題があると思いますし、
使えない、というのは、その人自身の能力の問題であるし、その人自身の社会的能力の決めつけでしかありません。

私たちの里山活動では、
メンバーシップを定め、活動エリアの資源は意見表明の後、責任者の判断を経て、はじめて持ち出しが可能になります。
誰でも勝手に使っていいよ、というわけではない、ということですね。

活動エリアの資源は、基本的に当該エリアの山や畑等のために使うことにしています。
その地域の里山なので、その地域を豊かにするために使う、それが本来のあり方です。

例えば、竹炭。
蔓延っている竹を燃やして炭にして、畑エリアに散布しますが、
全ての竹を竹炭にして、散布したとしても足りません。(当該エリア20町の畑や田んぼ)

最初は竹がたくさんあるのでスムースに始まりますが、
一時期を超えると竹が生え続ける量を残しながら竹炭にするフェーズに入るので、
竹炭の生産量はぐっと落ちます。

畑エリア全体に散布できるのは、いつになることやら、で、
瞬く間に、竹は貴重な資源となります。

そうです。使う人の能力によるのです。(高いとか低いではない)

だから、私は竹林を見て「これだけしかない」と思います。

一本一本が大切なわけですし、やりたいことに対して、足りていない資源なのです。(まぁマインドの話で、適当に切り倒して放置してますが)

また、活動を健全に守っていくためという理由もあります。

里山を整備しているので、だんだん入りやすくなりますよね。
世の中には竹を使いたい人や、竹炭が欲しい人が、それなりにいます。

では、そういう人がふらっと参加して、「これらをください」となったとき、
どうでしょうか。

その人たちは、自分たちの近隣の竹藪は見て見ぬ振りをして、
インスタかなんかで私たちの活動をみて、
入りやすそうだし、くれそうだからやってきて、
活動の趣旨も関係なく自分の利益のために意見表明しているのです。

「ただの消費者で、活動の搾取者」ですよね。

こういう人たちのために活動をしているわけではないし、無神経な人と関わりたくないし、すぐに「ダメです、そういう人は自分ちの近くの山で自分でやれ」と言えるように、
資源の持ち出しは、原則禁止としています。

もちろんすでに信頼関係があって、使い道に共感でき、
非常識な量を持ち出すわけではないということがわかっていれば、
「どうぞ使ってください」となりますが、

里山を整備して、再び大切なものにしていくからには、
「大切なものなんで、信頼してない人にはあげませんよ、当たり前でしょ」という前提は重要だと思っています。

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