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◆青木昌勝さんの青磁◆

こんにちは、のぶちかです!

さて9月12日(土)22時より青木昌勝さんの作品をJIBITAオンランショップにて販売しますので、その前にいつものnoteを書いておきます。

青木さんは伊万里在住の青磁作家。

出会いは2017年の某陶磁器フェアでした。


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青磁が好きで中でも青白磁はかなり好きだった私は、青木さんの作品をたまたまフェアの会場で見かけた時、その淡青な美しさにちょっとぶっ飛んだのを覚えています。

「こんなレベルの青磁作家にここで会えるとは!」

すかさず話しかけ色々お尋ねすると、とてもまじめで丁寧に受け答えをして下さる良い方だな~という印象を持ちました。

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⇧爽やかで丁寧な青木さん。前腕が太くて憧れます。

ただその時点ではまだ独立されておらず、独立後にお取引という事となり晴れて2018年5月から作品を扱わせて頂く事に(嬉しき)。

陶芸入門

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ここで一旦青木さんの修業のお話を。

高校卒業後、愛知県の自動車関連会社に就職後、御実家の虎仙窯で営業をされていたお父様が倒れ、地元に帰る事にした青木さん。

虎仙窯を盛り立てる為、御自身も陶芸の道に入るべく当時、大川内山伝統産業会館で募集されていた後継者育成事業プロジェクトに入られます。そこで講師をされていたのがかの有名な中村清六先生(佐賀県重要無形文化財保持者)だったそうです。

中村清六先生の事

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青木さんが初めて清六先生に会った時の印象は、とても小柄(身長141㎝)で驚いたそう。

ただ、まだ陶芸を知らない自分でもそんな小柄な清六先生がロクロの前に座った時には威圧感というか怖さを感じた、と青木さん。

また陶芸の先輩から聞いた話によれば当時のロクロ師は本当に怖い人が多く、まだ蹴ロクロ(足で回す人力ロクロ)だった当時は弟子が蹴ロクロを回さないといけなくて、そのタイミングがずれると形が崩れるので弟子がその都度ボコボコに蹴られたりする事もあったとの事(ゴクリ・・・汗)。

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当時のそんな荒くれた陶芸の世界で清六先生は、

「そんな体で陶芸ができるか!」

と周囲からはさんざん侮辱されたが、志願した戦争は身体検査でその小柄さから叶わず、

「自分は日本の為に何もできなかった。その分、自分の人生の中で返していきたい。」

と、戦死した方々への思いも含めて我慢強くその侮辱にも耐え、陶芸で身を立てるべくひたすら修練したと、青木さんにお話された事があったそうです。

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そんな清六先生からは、

「基本は飯碗。飯碗ができる様になって初めて他の物にも広げていける。」

と、とにかくたくさんの飯碗を作る練習を課されたそう。

その後はロクロをひいては割って断面の厚みの確認をしたり、プロになったら最低1日100個は飯碗を作れる様になれ、と目標を掲げられながら5年間師事し、

「とにかく清六先生の前では飯碗ばっかり作っていました。」

と振り返られました。

一方、

清六先生の目を盗んでは見よう見まねで他の物にも挑戦していたというエピソードも飛び出し、私もなぜか安堵するという(笑)。

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⇧基本となった飯碗。コロンとした愛らしいフォルムを美しい青磁色が引き締めます。

独立

後継者育成事業で5年間講師をされた清六先生の後任に、香蘭社で筆頭ロクロ師をされていた村島雪山先生が就任され、またしても凄い先生と巡り合わせた青木さん。そんな凄腕の清六先生、村島先生に計10年師事された後、青木さんは虎仙窯を御家族親戚と盛り上げながらも2018年には晴れて独立。

大川内山の素晴らしい景観の中に自宅兼工房を構え、現在に至ります。

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⇧工房は山々に囲まれ、なんだか神々しかったです。

名品に見る青磁の色(超入門編)

「玉(美しい宝石)」への憧れから焼物で「玉」を作り出そうとしてうまれたなど諸説ある、中国で生まれた最高峰の焼物「青磁」。

南宋時代龍泉窯の作品が最高とされ、茶の湯の発達と共に日本人がこよなく愛し、今もっていくつもの青磁が国宝として尊ばれる存在ですが、ひと言で「青磁」と言っても実は時代や産地で色々なパターンがあって少々複雑なので、今回はサラッと雰囲気だけお伝えします。


⇩翡翠系

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みんな大好き「馬蝗絆(ばこうはん)」 
この茶碗の逸話も素敵♡ 
※画像出展 東京国立博物館


美しい翡翠色をしていますが、撮る人によって上りが違うので実はこの写真の色は全然信用なりません泣。
ただここではアバウト翡翠色の青磁があるんだ~、と知って頂ければと思います。


      ⇩青白系

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      「青白磁刻花牡丹唐草文吐魯瓶」
      ※画像出展 出光美術館パンフレットより

青白磁は元々「白磁」の一種の様ですが、ここでは一応青磁の色のパターンとして御紹介。


       ⇩オリーブグリーン系

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       「青磁刻花牡丹唐草文瓶」
       ※画像出展 大阪市立東洋陶磁美術館 

このあたりから少しずつ青くなくなってきて・・・、


そしてもはや青くも緑でもない系

珠光青磁

「珠光青磁茶碗 若楓(わかかえで)」
※参考 「茶陶の美 第一巻 茶陶の創生 淡交社」 

ここまで来るともうまったく青関係無くなっとるのに青磁扱いされてます(不思議・・・)。


と、大まかにはこんな感じなのですが、それぞれのカテゴリーでまだまだ名品が多い事と、その名品ごとに青磁色も微妙に異なるので、このnote記事の4つの色だけをインプットして青磁を印象付けてしまうと少しフライング気味かもしれません。

なのでもっと青磁の色を知りたい場合は「どの名品がどんな色で」、みたいな感じで個別にその微妙な差を脳裏に焼き付けていくと良いと思います。

※ただ前述の通り撮影環境、印刷環境、照明環境で、その物自体の色も変わって見えてしまうので、何を参考にしたかによって色の誤認も生まれますが(←身も蓋もない!)…。


青磁は難しい・・・

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青磁は一般に青系の釉色をしているので、知らない方はあの釉薬を掛けて焼けば青くなると思われる方も多いですが、実はそうじゃございません。

ザックリ言うと、

釉全体量に対しほんの数%の鉄分と、還元焼成(酸素少なめの焼き方)、焼成温度とのバランスによりその色を出します(超ザックリです)。

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現代では機材の進歩、データ管理技術が進んだのでパターンを掴めば歩留まりもある一定上の成果を出せる時代になった様ですが、その点を全て勘と経験則に基づき焼かなければならなかった昔(どのくらい昔かは分かりませんが…)は、

青磁に手を出すと3年で窯が潰れる

と言われていたそうです(ヒエ~~~泣!)。

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ちなみに現在の青木さんの歩留りは平均60%(ガクブル…)。
たまに上手くいった時でさえ80%取れると良い方だそうです。

更に難解さを表すエピソードとして有名な所では、前述の「馬蝗絆」に関するものが面白いです(要約すると、作った本人達が二度とその茶碗の色を再現できないと諦めるという…)。

余談ですが、陶芸家に青磁作家が少ない理由はこの青磁の難解さにも原因があるのでは?と考察しております。

青磁は高価

現在でも一般に青磁は高価な焼物として位置づけられています。

理由は貴族や大名というハイクラスの者しか所有しえなかった歴史的背景や、物理的にも制作が難解である点などがあると考えています。

ちなみに文化庁のデータベースで「青磁」、「国宝・重要文化財(以下、『重文』)」で検索を掛けると・・・、

文化庁 国宝 青磁

青磁だけでこれだけの国宝や重文が表れる事から、日本に伝来した当時から青磁がどれほど日本国内で珍重されてきたかが伺い知れます。
(※表には一部、高麗青磁⦅唐物以外⦆含まれています)

補足すると、

日本で国宝に指定されている陶磁器は、和物(日本の焼物)以上に唐物(中国からの伝来)の方が多いという事実からも、日本人の唐物への強い憧れと尊敬が垣間見れますね(青磁は唐物)☝

こういった歴史的・公的な青磁への配慮が、現代でも青磁を高価な焼物として位置付けている大きな理由と考えます。

青木さんの青磁

さていよいよ青木さんの青磁に触れていきます(←前振りが長過ぎる!)!

元々、御実家である虎仙窯が色々な青磁を手掛けられてきた事から、青木さんの青磁には数種類のパターンがあります。

例えば、

⇩黒土ベースで黒緑色(彗青瓷)。光沢があり表面に貫入あり。

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⇩黒土ベースで青黒色(彗青瓷)。ややマットで淡い色合いを呈す。

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⇩黒土ベースの貫入系(青瓷)。

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⇩黒土ベースの墨貫入系(貫入に墨を塗って貫入を黒くしたもの:青瓷)

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⇩土ベースにマット釉墨貫入系(月白瓷)

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⇩磁器ベース緑青系(青瓷)

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そして青木さんの代表的な釉がこの・・・


⇩「氷青磁水指(ひょうせいじみずさし)」 

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です。

どうですかこの美しさ!

この氷青磁は青白磁系をマットに仕上げて完成された磁器ベースの磁器で、青木さんがたまたまテレビで見たアルゼンチンの世界遺産「ロス・グラシアレス」の氷河郡を見て、その美しい色を焼物で表現したくなり4年以上の歳月をかけて完成させたものです。

⇩「氷青磁茶碗」

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従来の青白磁は光沢があるのですが、青木さんはその青白磁をマットにする事でより「ロス・グラシアレス」の氷河に近付けられると独自に釉薬を調合。


⇩「氷青磁花瓶」

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ちなみに青磁の色は、

「雨過天晴」

という言葉の下に、“雨の過ぎ去った後の雲の切れ間から見える空の色”を理想として作られたという説もあり、一般的な青色というよりはむしろ淡い水色から緑に近い青を目指すものがあります。

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その点で青木さんの氷青磁はその表現を成功に導いた様にも感じますし、そこを除いても純粋に美しいと迷いなく言える青磁となっています。


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また、シンプルな色だけに造形への詰めが甘いとせっかくの高貴な釉もその力を発揮できません。

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その意味で青磁作家を名乗るという事は、単に釉薬を支配する事だけでは叶わず、長く人々に尊ばれてきたその歴史をも背負い、その品格を落とさない造形力と相まって初めて到達するものと考えます。

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直近の青木さんの展望は、日本工芸会正会員。

次に4回目の入選を果たすと青木さんの地元、大川内山の中では2人目の正会員だそうです。

公募展出品、そして入選を果たす為に費やす神経は並々ならぬものが必要に思います。しかし、その緊張感が与える技量やセンスの引き上げという副産物もまた、気位の高い「青磁」を極めていくにはきっと良い材料となる筈です。

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その意味で皆様にはこれから青木さんにより、どんな美しい青磁が生まれてくるか本当に期待して頂きたいと思っています。

青木昌勝 略歴

1978年 佐賀県伊万里市生
2002年 大川内山の窯元に入窯
    佐賀県重要無形文化財・中村清六先生に5年、村島雪山先生に5年
    ロクロ指導を受ける。
2009年から現在 多数の公募展入選を果たし、現在に至る。

※表記の補足
近現代の青磁は素地によって「青磁」と「青瓷」を使い分けますが、前者は「磁器土」、後者は「粘土」ベースに青磁釉を掛けたものを基準としています。

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