見出し画像

パニック障害と共に歩む


はじめに

 皆様、はじめまして。日本プロ麻雀協会23期前期のノブ小田島と申します。北海道十勝の地方公務員兼プロ雀士です。

 皆様は「パニック障害」という病気をご存じでしょうか。昨今では、著名人の方もこの病気を告白されることが増えたように感じており、病名を聞いたことがある人も増えたのではないかと思います。この記事は、1人でも多くの人にパニック障害という病気を知ってもらい、理解してもらいたいと思い投稿しました。最後まで読んで頂ければ幸いです。

発症

 電車に乗る、友人と食事をする、スポーツをする、麻雀を打つ。そんな日常で当たり前のようにやっていた行為が突然出来なくなりました。

 令和5年4月に北海道の十勝から東京へ仕事の都合で出てきて、慣れない満員電車で通勤をする毎日。そして4月20日、通勤中に具合が悪くなり途中下車。主な症状としては、息苦しさ、喉元の不快感、吐き気、指先の痺れ。この時は満員電車で具合が悪くなってしまったのかなと思っていました(前日飲み会でしたので二日酔いもあるのかなと)。実際、30分ほど休んだら回復し、再度電車に乗り出勤。この時はそこまで深刻に思っていませんでした。

 しかし、似たような症状を発症することが続き、普通ではないなと感じ始めました。4月26日、麻雀中に似たような症状を発症し代走をお願いして退店(お店の方や同卓した方々には本当にご迷惑をおかけしました)。翌日27日、出勤中に発症し途中下車。5月1日、友人と食事中に発症。5月3日、趣味のバドミントン中に発症。5月5日バス乗車時に発症。どれも30分から1時間休めば快復はしていたのですが、この時点で何をするにも恐怖感が芽生え始めていました。外出すればまた具合が悪くなるかもしれないという気持ちが強くなっていたと思います。以前からパニック障害という病気は知っていたので、この症状はパニック障害かもしれないという疑いは頭の中にありました。しかし、「まさか自分が」という思いと、そうであってほしくないという思いから病院には行かず様子を見ていました。

 令和5年5月8日、これまでよりも酷い症状が出てしまい、電車を降車後、一歩も動けなくなりました。駅で座り込んでしまい、歩いている人に助けを求め、駆けつけた駅員さんに車椅子で駅員室へと運んでもらいました。これまでとは違いこの時は全く快復せず、結局4時間以上駅員室で休ませて頂きました。救急車を呼ぶか悩みましたが、この時点でパニック障害だと確信を持っており、病院に運ばれても何も変わらないことは知っていたので快復するまでひたすら耐えることを選択(駅員さんには本当にお世話になりました)。2週間後(精神科は予約がいっぱいでなかなか予約がとれません)近くの精神科を受診し、パニック障害と診断されました。

共存

 5月8日の体調不良後すぐ職場に今後の勤務に関して相談をし、電車通勤しなくても済むように体調が落ち着くまでテレワーク勤務という配慮をして頂きました。この配慮のおかげで現在私は普通に生活できているといっても過言ではありません。

 お医者様からは「完全に家に引きこもるのは良くない。薬が効き始めたら少しでも外に出て、体調が悪くならないことを実感する成功体験を積み重ねていく必要がある。」と言われました。しかし正直、本当に外に出るのが怖く、最寄りのコンビニ(徒歩5分)に行くことすら怖かったです。なので、最初はネットスーパーや通販を使用し、全く家から出ない生活が続いていました。  

 少しずつ外に出始めたのは6月。友人の助けもあり、簡単な外出をする機会が増えていきました。ほぼ外出をしないと、人と喋る機会が全く無く、孤独感を感じていたところ、友人たちが電話をしてくれたり、私の家に訪ねてきて一緒に食事をしてくれたり本当に助けられました。周りの支えや理解がなければ順調な快復は見込めなかったと思います。本当に感謝しています。

 段階的に活動範囲を広げ、8月には時差出勤で通勤ラッシュのピークをずらしてもらい職場に復帰。10月頃には出勤時間を通常に戻し、薬の量も減らしはじめ、順調に快復に向かっていました。

 しかし、11月に再度通勤中に発症。ここまで順調だっただけにショックも大きかったです。薬の量を少し戻し、1週間後には出勤を再開。ですが、心のどこかで「また発症するのでは?」という気持ちがついて回っていました。実際この後も頻度こそ少なくなりましたが、時々症状が出る場面がありました。

 そして、現在も薬を継続して服用しており、頓服薬もお守り代わりとして常に持ち歩いています。会食など発症するかもしれない場面や、絶対に発症してほしくない場面の前には、予防的に頓服薬を飲むことで対策。最近も少しだけ症状が出るような場面がありますが、最初に比べると落ち着いて対処できるようになり、パニック障害との付き合い方もわかってきたような気がします。「完治を目指すのではなく、うまく付き合っていく」これが現状私の考えるパニック障害への答えです。

心の支え

 以上が私のパニック障害の経験談です。パニック障害の症状は人によって様々で、私は比較的軽い症状なのではないかと思います。幸い現状日常生活もほぼ変わらず過ごすことが出来ています。

 しかし、発症時は本当にショックでした。以前のように外出できる日が二度と来ないのではないだろうか、そして何より私の人生の主軸だと思っている麻雀を打つことが出来なくなってしまったかもしれないという思いがずっと脳裏にありました。

 そんな時に私の心の支えになったのが白鳥翔プロの存在です。発症後にパニック障害の様々な情報を集めていた私は、そこで初めて白鳥プロがパニック障害を抱えていることを知りました。
※参考 https://times.abema.tv/articles/-/7008837

 麻雀界をけん引するトッププロの白鳥さんが同じパニック障害で、現在も薬を服用しながら生活をしているという記事を見たときに、「パニック障害を抱えていても麻雀は打てるし、プロとして活動もできるんだ」という希望となりました。そして、同じパニック障害を抱える人の活躍は、同じ境遇の人にとって大きな希望となり得るということも実感しました。これが私にとっての大きな転換期になったと思います。
 ここから気持ちが少しずつポジティブになっていきました。私にとって白鳥プロは人生の恩人だと思っております。こんな新人プロ雀士の記事なんてご覧になる訳はないと思いますが、白鳥プロ本当にありがとうございました。


 

私の麻雀プロとしての役割


 令和6年3月16日、私は日本プロ麻雀協会所属のプロ雀士となりました。プロになってやりたいことというのは人によって様々だと思います。私は新人研修中に、私にしか出来ないこと、私の麻雀プロとしての役割とは何なのだろうかと考えるようになりました。

 私が尊敬するプロ雀士にルーラー山口プロという方がいらっしゃいます。この方は私と同じ地方公務員兼プロ雀士の方で、公務員という立場ながらプロ雀士になることが出来るという道標になってくださった方です。実際、山口プロがいらっしゃらなければ公務員という立場を理由にプロになることを諦めていたかもしれません。山口プロ、本当にありがとうございました。

 この方は以前に白血病を経験しており、その経験からチャリティーの麻雀大会を開催し、骨髄ドナー登録の呼びかけをしていらっしゃいます。
※参考 https://jichitai.works/article/details/945この方の活動が私の担うべき役割、私が目指すべき方向性を示してくださいました。

 白鳥プロが私の希望となってくれたように、私も同じ境遇の誰かの希望となりたい。そして1人でも多くの人にパニック障害を知ってもらい、理解してもらうためにプロの活動を行いたいと思うようになりました。それが私の麻雀プロとしての役割なのではないかと思います。

 現状は何者でもない、どこにでもいる新人プロ雀士です。ですが、いずれはパニック障害の方々を勇気づけるような雀士になる、そして多くの人にパニック障害について知ってもらえるようチャリティーイベントを開催する、これが私の目標です。

 実際、私は周囲の方々の理解、協力でここまで快復しました。しかし、まだまだ病気の知名度、理解が足りていないと思っています。1人でも多く、パニック障害を理解してくださる方を増やし、パニック障害を抱える方々を支えて頂くための活動をしていきたいです。

最後に

 ここまでご覧頂き本当にありがとうございます。この記事で少しでもパニック障害という病気を知って頂き、理解して頂けたのであれば幸いです。

 重ね重ね申し上げますが、パニック障害は周囲の方々の理解と協力が無くてはスムーズな快復は見込めないと思います。あなたの近くにパニック障害で苦しんでいる方がいらっしゃいましたら、ぜひ支えて頂きたいです。
 そして、現在パニック障害を治療中の方。絶対に大丈夫です。必ず以前のように生活できる日が来ます。

 私も今後、麻雀プロ活動を頑張って参ります。
 目標を達成し、いつか誰かの希望となれるように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?