【創作大賞2024応募作】 Marshall 4 Season #4
【タイトル】
イツナロウバ
チョビとマサル。
2人はすぐに意気投合した。
注文したカオマンガイを男性器のように云われたあの夏の夜以来、同い年の日本人ということでお互い心の拠り所となったようだ。
といっても、マサル"が"やっているヒップホップについての活動は、あくまでも友人がやっている音楽活動、という線引きはして接していた。
チョビは、大学が用意した学生寮で下宿生活を送っていた。ニューヨーク市が誇る名門私立大学。
世界中のエリートがこぞって憧れる、都市密着型レジデンスホール。
ロウワー・イーストサイドからブルックリン橋でクラーク・ストリートに渡り、ハイウェイの喧騒とダウンタウンの活気、イースト川越しに映るマンハッタンの摩天楼、それらが20代の若者が抱く冒険心と交わる最高の立地。
それがチョビの住む学生寮『ジーニアス』だった。
マサルは、腹が減って仕方なくなるとジーニアスにやってきた。
もちろんタダでは忍びない。
JB'sやマーヴィン・ゲイ、ジョン・ガールズ、サム&デイヴ、その他諸々の70年代ソウルとファンクの名曲アナログ盤。
Run DMC、スリックリック、エリック・B・ラキームなど東海岸ヒップホップアーティストの最新ミックステープ。
そして禁酒法がまだ適用されていたなら、間違いなく処刑されるであろう量のビールやウィスキーをたずさえ、貿易商人のような物量でやってきた。
その様は、ジーニアスに住む100人の学生と17人の警備員からも祝福され、お互いの需要と供給を満たす形で、認知されていた。
無論それは、9.11以前の世界線なので、無差別テロへの懸念や、プライバシーやセキュリティに厳しい現代ではあり得ない話なのだが。
チョビのお気に入りは、サム&デイヴの『Hold on I'm comen'』だった。
ただのパーティ好きなら、多分お互いにそこまで仲良くなることはなかった。
お互いにやるべきことがある身分だったわけだし、何より、生きるために必死で働かなくてはならなかったからだ。
それでも、湾岸戦争やシェイクスピア、万葉集からDJ Grandmaster Flashの偉業、好きな女の子といかに仲良くなれるのか、ムカつく先輩をいかに打ち負かすのか等について、さまざまなトピックをクロスフェーダーのごとく行き来し、何時間も語らうこと。
その時間が本当に、本当に楽しかった。
血のつながりこそないものの、本物の兄弟のような関係性で過ごせることが、きっと当たり前ではないはずなのに、いつまでも続くと思っていた。
*
あるとき、マサルが忘れていった手帳が目についた。
ハードカバーが付いているものの、角や表紙はボロボロで、中身は開いていないが、付箋がはみ出していたり、ページの余白に無理やり別の広告チラシで出来たページが貼り付けられていて拡張してある。
相当大事な物、ということは一目瞭然であった。すぐに電話を掛けて、手帳は厳重に保管しているので安心しろよと、一言伝えた。
「中身は見たのか?」
マサルのその声は、はじめて会話をした時と同じく、静かな口調ではあったが、獰猛で訝しげな野性を発していた。
「そんなことするわけないだろ」
まるで、不法所持した拳銃や覚醒剤の所在を確かめる訳でもあるまいし、なんでこんなに気を遣わなければならないのか、返答した直後に可笑しな気持ちに見舞われた。
と、同時にそんなにヤバイ代物なのか、と感じてはいけない強烈な感覚が眼球や鼻の根元の奥によぎった。
「今日の夜、仕事が終わったら取りに行く。申し訳ないけど、それまで預かっておいて欲しい」
その口調は、いつものマサルだった。
でも本当に申し訳なさそうだったので、かえってこちらが申し訳なくなってきた。
もし、中身が気になるなら、マサルに直接見てもいいか聞いてからにしよう。
「わかってるよ。大丈夫だから。講義が午後から3コマ続けてあるから、多分17時くらいにはフリーになる」
「じゃあ19時過ぎにそっちに行く。さすがにセメントまみれの体でジーニアスに入るのは悪い」
「ハハハ、それもそうだな。ならいっそ、自由の女神ぐらい全身コーティングして来いよ。合衆国を代表し、敬意を称する」
「うるせえボンボン。こっちは身一つで金稼いでんだ。まあアマンダとかケイティに飯作ってもらったりもするけど」
「ヒモじゃねえか。まあ、無理するなよ。んじゃそろそろ行くわ」
「おう。また後でな」
誰にだって、秘密や隠し事の一つや二つあるだろうし、20歳の若さで単身ニューヨークにいるなんて何か特別な理由があるんだろう。
そう合点して、チョビも講義に出席するため、ジーニアスを後にした。
講義室に到着し、座席を探していると、「チョビー!」と、騒がしい音声で名を呼ばれた。
ルームメイトのニックだ。
「ヘイチョビ!お前ドラッグとか新興宗教にハマったりしてないよな?」
そう云うと、マサルが忘れた手帳を、ページが開いた状態で差し出してきた。
「あ!」っと頭ではいけないことだとわかっているはずなのに、視覚では、しっかりと何が書かれているのかを追ってしまっていた。
はっきり言って、イカれていた。
何が書いてあるのかは分からなかったが、それでも筆者の異常性や狂気は十分伝わってきた。
でも、それでも、
マサルはチョビのなかで大切な友、ということには変わりないし、友達との約束を破る訳にもいかなかったので、ニックには手帳を返すよう忠告した。
「おいニック、それは返してくれ。マサルの大切な手帳だ。中身がなんだろうとお前にも俺にも関係ないはずだ。お前が未成年ポルノに興味津々だったとしても、それはこういう公の場で言うべきじゃない。法学部で習わなかったのか?」
「なんだよ!せっかく持って来てやったのに!」
耳を赤くしたニックが、チョビに向かって手帳を投げ捨てる。加速度的に展開した結果、手帳はチョビの胸に当たり、その拍子で床に落下してしまった。
パラパラっと、挟んであった"即席の"ページが床に散らばった。
手垢、セメント、ペンキ、汗、そして恐らく涙もインク以外に刻み込まれた綴りを眺めながら、無心で拾っていく様は、ケネディ大統領が凶弾に倒れた際、飛び散った脳や肉片をかき集めた、かの大統領夫人のようだったかもしれない。
「マサルに聞こう。中身がどうとかじゃない。彼の本当の目的について」
そう決心した。
19時過ぎ、マサルはご自慢の"ランボルギーニ"でジーニアスに到着した。
タイル屋の先輩から譲り受けた所在不明の代物らしいが、23インチのゴツいタイヤと、屈強なシベリアトラでさえ千切ることが出来なさそうなロックチェーンがトレードマークのマウンテンバイクだ。
チョビが今日の出来事と、イレギュラーではあったが中身を見てしまったことを謝ろうと口火を切った。
「マサル、ごめん。実は今日、」
そこに食い気味でマサルが何かを言う。
「チョビ、すまん。一緒にラップのイベントに出てくれないか。もう俺とお前の名前でエントリーした。2週間後の土曜。その日の夜は空けておいてくれ」
「はっ!?」
「ひとりでエントリー出来るならそうしてた。でも演者は最低2人一組からじゃないと出られないって話らしい。特にお前が用意することは無い。
ただ一緒にステージに上がって、適当に首振ってればいいから。すまん。というか、ほんとゴメン」
「いやいやいや、マサル。ちょっと待ってくれ。待ってくれ待ってくれ」
とてつもなく面倒なことに巻き込まれていることしか分からない。謎の冷や汗が吹き出る。
「誰でもいいなら、ニックやボブ(エピソード①に出てきたレコード屋の店主)でもいいだろ。俺は正直、そんな急に云われても困るよ。だいたいマサルが何をやってるのかも分からないし、俺にだって都合ってもんがある」
ごもっともな意見すぎて、全身の新陳代謝が整いそうなくらいスッキリした。
「お前に、俺のやってることを知って欲しいんだ。
しかも客席からじゃなく、同じ目線で。
だから手帳も置いていった。
いつも説明が足らずに後から困らせて申し訳ないとは思っている。本当に。
でも、お前と俺は後一年くらいしたら、別々の人生を歩むことになる。
だから、出し惜しみしたくないんだ。
俺はこのステージで、お前に知って欲しい。
俺がどんな思いで、このニューヨークに来たのか。
どんな思いで、生きているのか。
もしそれが実現したら、俺は多分ネクストレベルに行ける」
正論の脆弱さと、姑息さを思い知り、恥ずかしくなった。マサルは、いやこの友は、本気だ。
多分、マサルはひとりでも出来る。でもきっと、このタイミングじゃないと、マズイと思う何かが、今なんだと直感的にわかった。
「わかった。いいよ」
「本当か!ああ。良かった。本当に良かった。」
「でも、本当に何もしなくていいのか?アジア人が二人出てきて、片方は首振るだけって冷やかしみたいじゃないか?」
「それなら大丈夫。お前にも16小節歌ってもらう。曲とリリックなら用意した」
「お前、騙したな!ダメだ!やっぱり無理!だいたい2週間後ってキミそりゃ時期尚早すぎるよ。1ヶ月後とか2ヶ月後でもいいだろ、せめて」
「いや、それは絶対にダメだ」
マサルはすぐにこの異議申し立てを却下した。
口調も早口で、冗談ではない様だ。
一瞬で空気が凍りつく。
「ビギーが同じステージに上がるかもしれないんだ」
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