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Marshall 4 Season #15

【タイトル】
Whatever/やっちまいな


前回までのM4S


           *


2024年5月15日。

「あ、あの、じゃあYURIさんの間奏明けから1ヴァース16小節いきます!あ、あとは、おまかせで!」

Noobは辿々しい口調でそう伝える。まだ慣れない。
でも、慣れてきてはいる。
自分の声の気持ち悪さや、振動するビートの数え方。息継ぎのタイミング。発音の難しさ。聴き取りやすさ。
今こうして練習中に再生されている、『Made in ごっつん #学祭ステージ インストver.』と記されたサウンドトラックの操作方法。

何より、"唄のある生活"にも。

YURIが仲間に加わってからの1ヶ月、世界は様変わりしたのだ。


                                      *

──なるほど確かに。
はじめはエミネムやらスティーブン・タイラーの作詞作曲した世界観に、音楽なんてまるで分かっちゃいないようなズブの素人が挑もうなんて、ただのリア狂だと思って、からかってた。
でも、コレひょっとしたら…

そんな事を一瞬熟考しかけ、すぐにマインドを切り替えるYURI。
鼻から空気をゆっくりと吸い込み、左手で掴んだマイクを軽く額に当て、少しずつ開眼し、静かに返事をする。

「OK」


──私も負けない。

           *

『Moment』

作詞:Steven Tyler,Noob
作曲:Jeff Bass & Eminem,Steven Tyler


【Interlude: YURI】

I know nobody knows
(誰も知らないんだ)

Where it comes and where it goes 
(魂がどこからきて どこへ向かうのかなんて)

I know it’s everybody’s sin
(みんな罪を背負っているのさ)

You got to lose to know how to win
(敗北を知らずに勝利は成し得ないように)

【Verse1 Noob】
軽快に歩く糞な世界
俺が手付かずな哲学者ってのが笑える
ありえてるぞ 『ありあまる富』と
まてりある な スピリット
不適切にもほどがある過去に
ありがとうをリミックス
お前無しの俺は居ない
日々は唐突に遠のく
板の上立つ者達と立ち見席はボーダレス
お前と俺に降る雨は街を平等に濡らす
切った張っただけじゃないさ
きっと傘は2人一本でも充分さ
パパが買ったGUCCIよりも
カラダ張って吸った空気さ
愛してくれ愛してるぜ
終わりたくない
人が何度も同じ過ち
を踏んで出来たわだち
何がreal 何が地獄 何が理想のカタチ
笑われてた仲間たちと笑っていたい
何故かこうなることも分かっていた
それぞれの人生に帰る
決して間違いじゃない
音が止まればSunrise
お前と俺にあたる光は街を平等に照らす


【HOOK: YURI】

Sing with me, sing for the year
(共に歌おう、未来のため)

Sing for the laughter and sing for the tear
(笑顔のため、そして涙のために)

Sing with me, if it's just for today
(共に歌おう、せめて今日だけでも)

Maybe tomorrow, the good Lord will take you away
(明日は神に召されるかもしれないから)



           *


虎太郎は、一年間のブランクを補う事(具体的にいうと指先や手首の力みを無くしていく事)と、ギターソロをどのようにしようか、という2点に考えを巡らせていた。もちろん、自慢の愛刀、Gibson Les poul "BECK:ルシール" Modified【竜介 ルシールモデル】の6本弦を掻き鳴らしながら。

漫画『BECK』の中に登場するギタリスト、南竜介が愛用するギターをモデルにした物。 "ルシール"とは、
実在したブルースマンであり、ギターサウンドの生みの親でもある『B.B.キング』が、愛用していたカスタムギターES335のことと、ある時出逢った美しい女性の名前を指す。
このルシールという女性を巡って男達はよく争ったらしい。
そしてB.B.キングが火事に遭ったクラブハウスで、ギターの方のルシールだけが奇跡的に無傷だったとか。
非常に多くのロマンと伝説を含んだギターなのである。
なお、レスポールをルシールと呼ぶのは厳密に云うと誤りなのだが、史実同様、伝説を残すギターということでルシールの名をつけ、ギブソン社から販売された限定モデルが『BECK:ルシール』。南竜介が弾いていた物を模した型。
7つの弾痕は『BECK』の作中で、銃弾が当たった際に出来たものだが、虎太郎は自らの手で、ドリルで穴を開けて愛用し、彼にとってのルシールである姉貴にこっぴどく叱られた経緯がある。

           

ふと、NoobとYURIのセッションを耳にする。
2人の息もだんだん合ってきたな。
と、思い、手を止め静かに微笑んでいた。
──ちょっと待っといてね。
虎視眈々と、眠れる獅子は、内なる牙にさらに磨きを"ける。"


           *


水曜日は、虎太郎の店が定休日なので、3人は旧校舎内にある軽音学部の練習用ブースで合同練習をした。

5月くらいになると、ちらほら他のバンドやグループも文化祭に向け、この練習用ブースを使用する為、Noobたちのグループの存在も話題になっていた。


「なんか学祭でラップやる奴とか、教室の隅で詩とか書くヤツって痛い系のヤツかなあって思ってたけど、あのグループはヤバイ。ガチ。」


「宇多田ヒカルが15歳で『First Love』書いて、尾崎豊も椎名林檎も15歳で名曲作って、スティーブン・タイラーは14歳の頃『Dream On』の歌詞を書いたらしい。要するに"10代のリリック"ってあながち世の中に刺さるもんもあるってことか。」


「虎太郎さんのギター聴いた?あの人やっぱ凄えわ。あのチョーキングとファンキーなリフがカッコ良すぎる。アレで本調子じゃないらしい。」


「YURIって人もヤバくない?なんかあの声、一瞬で持ってくっていうか…ずるいわ。」


「一曲だけ、ってのがせめてもの救いだよな。じゃなきゃ間違いなく、あの3人のワンマンになる。」


「あのグループは何だ!?」


学校という小さな社会の中で、そこにあるヒエラルキーとは別の次元で、Noobたち3人は存在感を増していった。


           *


夕方、練習が終わる時間になると、雫が『たこいち』のたこ焼きを配達しに来てくれた。

「腹減ったァ。」と言いながら、経年劣化で合皮カバーがビリビリに破れたソファ上であぐらをかき、『食べるラー油トッピングねぎ焼き』をパクパク食べるYURIは、優璃に戻っていた。パンツも丸見えだ。

「いつもありがとね雫ちゃん。」

虎太郎がそう言うと、雫は、夕焼けの景色でも分かるくらい顔と耳を赤らめて、「い、いえ…これぐらいは大丈夫です」と、言いながら俯く。この甘酸っぱいルーティンに、優璃はいつも顔をクシャクシャにして笑っていた。

「虎太郎、あんたさァ。何が『いつもありがとね』だっつーの。なんかギター弾いてやんなよ。雫ちゃんに。」優璃があからさまに虎太郎を煽る。

Noobは、このやり取りに、色々な感情が入り混じってハラハラしていた。まあでも、虎太郎さんのギターは聴きたい。

「んあ。んー…もうルシールは、ケースにしまっちゃったしな。…アコギでもいい?」

もちろん!と、他のバンドメンバーがその一部始終にカットインして、自ら愛用しているアコースティックギターを虎太郎に差し出す。

「あっ、どうも。んじゃ、まあご厚意に甘えて。」

そう言うと、ギターヘッドに取り付けられた『ペグ』と呼ばれる弦を引っ張っているツマミを回したりして、チューニングを始める。

「せっかくだから弾き語りするよ。優璃も、ていうか知ってる人居たら歌って。俺、あのー、歌はイマイチだから。」
そのセリフに、雫はいよいよ卒倒するのではないかというくらい興奮している。

「じゃ、いきます。」


死んで伝説となったスターは数多といる。
しかし、人は生きてこそ輝くことが出来る。
この日虎太郎は、また一つ伝説を作った。
しかも、今度は誰も傷つけず。
恋する16歳の少女の為、
ギター1本とヘタクソな鼻歌と
みんなのバックコーラスだけで。


           *

2024年5月28日。

この日は火曜日だったので、Noobと優璃は、虎太郎不在で練習用ブースで、セッションしたり歌詞を考えたりしていた。
日も暮れてきて、吹奏楽部のトロンボーンや野球部の掛け声も、いつしか聞こえなくなっていた。

練習用ブースを出ると、踊り場があり、そこにビリビリのソファや、他のバントやグループの子らの鞄や私物が置かれている。優璃の私物、と云っても何も入っていない鞄も、そこでくつろいでいる。
まだ、他の生徒たちも、何人かは残っている形跡はあったものの、旧校舎内に人の気配はなく、窓からは、青々とした草木の匂いと、なんとなくもわっとした、夏の始まりを告げるかのような、湿気ぽい外気が流れ込んできた。

もう夏か。漠然とそんな事を思っていた。

「そろそろ帰りますか。」

「だね。ちょっと先生に電話してくる。」そう言って、優璃はブースから退室し、ソファのある共有スペースの方に向かう。
先生というのは、アイ先生の事だ。

アイ先生は退院後、学校を退職し、今は市内にあるZiONザイオンという名前のフリースクールで働いている。優璃の家庭事情や、生活のことを相談したら、「自宅に帰りたくない時は、私の家で良ければ来ていいよ。」と言ってくれたのだ。

Noobは、散らかった筆記用具やノート、譜面などを整理して帰り支度を始める。

その時だった。

「おい!無い!無いぞ!」
「あっ!俺のも無い!」
「…マジかよ。最悪だよ。バイト代入ったばっかだったのに。」
「いやいや、待って!財布だけじゃない!スマホも無い!」
「うーわ!最悪。ちょ、ダメ元で俺のスマホ鳴らしてみて。」


嫌な予感がした。

本当に嫌な予感がして、今までの楽しかった思い出が、走馬灯のようにNoobの頭の中を巡った。

──嫌だ。こんなこと、絶対に嫌だ!


          *


Noobは、失墜した吐息とともにドアを開け、恐る恐る共有スペースへと向かった。

「ポロロロ ロロロン ポロポロロン」
「ポロロロ ロロロン ポロポロロン」

聴き慣れた電子音が、2コール。
優璃の鞄の中から聞こえている。


優璃は、何も言わず、ただ呆然と当事者たちを睨みつけている。前髪の根本あたりからは汗も滲んでいて、いつだってクールに世界を透かして見ている彼女も、この時ばかりは動揺していることが伺える。


「待って、アタシじゃない!」


優璃の大きな瞳は、涙を浮かべていた。
Noobもすかさず、優璃の無実を証明するべく、
「僕たちずっと練習用ブースに居たんだ!ホントだ!嘘じゃない!」と訴える。


「じゃあ何でこの女のカバンから、俺のスマホの音が鳴るんだよ!」

「ちょっと開けて見せてください!」
Noobが鞄のファスナーを、ビッと一直線に動かす。

中には、黒の長財布が一つと、ネイビーカラーの折りたたみ財布、それからやや大きめのiPhoneが一台入っていた。


「うわ!やっぱり!うわぁ…最悪だよ。」
「最低じゃん。人の財布盗むとか。」


「だからアタシじゃないって!」
「これは何かの間違いです!」


「いやいや、この期に及んでそんな言い訳…」
「もうさぁ、ちょっと歌が上手いからって調子に乗りすぎなんよ。」
「あんたら、アレっすからね。ビッチ、施設、不良ってだけで、悪目立ちしてるだけっすからね。」


「お前ら!」
この言葉には、普段温厚なNoobも怒りを露わにし、声を荒げ、身を乗り出した。


「もういい!…もういいよNoob。」
優璃はそう言って、Noobの体を引き留め、自らも目を瞑ってなんとか怒りを制していた。

「コイツらに何言っても無駄だよ。もういいよ。帰ろ。」


           *


Noobは、優璃の鞄の中に入っていた財布とスマホを、それぞれ手渡しで返した。顔は覚えたからな、と有りったけの憎しみを込め、睨みつけて返した。

「お前ら、文化祭出れなくなるよ。」
「下手したら、窃盗だから退学かもな!」
「消えろよ、クズ」


「もう何だっていいさ。でも優璃さんは盗ってない。」
その一言だけは、はっきりと言い切った。

灰色の世界。
またこの世界に引き戻されるのか。
2人は失意のなか、旧校舎を後にした。


           *

2024年5月29日。

Noobはジョン先生に、昨日のことを話した。
先生も、朝一番で教頭や生活指導の教諭から、「事実確認をするように」とお咎めを受けたらしい。

優璃は学校に来ていなかった。LINEもインスタのDMも、未読のままだ。

「で、私のほうでも、被害?に遭われた生徒さんの名前を伺ったりして、状況を整理してみたんですが…」

「彼ら2年6組の生徒さんってこと以外、何にも情報がなくて。軽音部の子にも聞いたりしたんですが、皆『こんな子いたっけ?』と言う具合で…正直、事実確認も何も、その確認のしようが無いんです。」

ジョン先生も立場上、口に出来ないだけで「こんなの、ただ嵌められただけだ!」と、その表情から不満を露わにしている。

「それで、『"事実確認"が出来るまで、全校生徒は、旧校舎内への侵入及びその使用を禁ずる』という、愚民政策のような一方的なルールも作られてしまいました。…すいません。私の力不足です」

           *

最悪だ。

一夜にして、今まで築きあげてきたものの大半を失ってしまった。
知らぬ間に起こった事で、悔しさや悲しみを味わうジョン先生、虎太郎の弾き語りでオアシスを熱唱し合った他のグループの生徒たち、期待して色々助けてくれたSunnyの3人、クラスメイト、毎週水曜日を楽しみにしている虎太郎、それに優璃。

みんなの心の居場所を奪って、傷付けた。

一体誰がこんな酷い事を、誰が…


ふと、Noobは両脇の辺りから首筋にかけて、ゾクゾクっと強烈な悪寒を感じた。


シュハンだ。

あの男が、裏でこの事態を操っているに違いない。
昨日の生徒たちが2年6組の生徒だということにも合点が付く。Noobは、そう確信した。


           *

事態を重く見たSunnyの3人は、虎太郎にすぐ連絡を取っていた。もちろん、Noobからも昨日の時点で連絡はしてあった。
Sunnyのユウキ・美穂・ごっつんらの連絡は、「どうしよう」ではなく「どうするか」という内容で、そこがNoobとの大きな違いだった。

「んなもん 直接そいつら本人に聞くまでよ」

虎太郎からの返事は以上だった。


           *

2024年5月29日 20:03

ミギテ・ヒダリテ・ミギアシ。
シュハンというブレインからの指令に動く、四肢の化身たち。2年6組の生徒であり、使い捨ての駒であるのにも関わらず、握られた弱みと与えられる報酬系快楽により、約二ヶ月間の洗脳を経て、今やその自我は壊死し、ただただシュハンの言うがまま、成すがままに動く外道の極み。

コイツらが、優璃を嵌めた奴らか。

虎太郎は、奴ら四肢の化身の動向を半日掛けて追っていた。AirTagと呼ばれる、主に鍵や財布、スマートフォンに付ける捜索用端末を、ユウキが日中、ミギテの自転車のサドル裏に貼り付けていたのだ。

「もう何時間カラオケしてんだよ。」
ついついそんな小言を漏らしてしまう。
虎太郎は、ミギテたちがいるとされるカラオケ店に隣接するパチンコ屋の屋外喫煙所で、かれこれ3時間は張り込んでいる。

平日の夕方から、カラオケボックスを利用するお客はそこまで居らず、尾行をする側にとっては有難い状況ではあった。


そして、ついにその時は来た。


           *


「ハハハハ。ウケる!」
「なあ?バカなんよ。マジで」
「ハァー、眠ぅー」

呑気にペチャクチャしゃべくりながら、ミギテ・ヒダリテ・ミギアシの3人が店内から出てきたのだ。

(待て待て。ここで焦ったら台無しだ)

虎太郎は、冷静になろうと心の中のセリフを小さな声でささやく。

「んじゃまあ、今日は帰るわ」
「うぃー」
「またね〜」

このやり取りだけ聞くと、コイツらまるで、ごく普通の高校生じゃねえか。
まあでもニュースを賑わすのは決まって「まさかあの子が」、「普段は大人しくて優しい子でした」ってパターンだから、結局フツーの奴が一番怖いんだよなぁ。などと、端末機の行く末を画面越しに見守りながら、つい考え込んでしまう。


           *


端末機が急加速して、久屋大通を南に直進する。
ミギテが一人になった証拠だ。
虎太郎は、『MATEメイト』とロゴが刻印されたマッドブラックのeバイクに跨り、ミギテ同様、久屋大通を南下した。


久屋公園のテレビ塔の真下を通過した所で、端末信号が停止する。


タクシー、学生、サラリーマン、キャバ嬢、外国人、なんかヤバそうな奴、ホームレス、スケーター、ダンサー、この敷地には小さな国々が存在し、それぞれの国境があるかのように、属性や種族の異なる無数の人々が、一定の距離を保って共存していた。


ミギテは自転車を降り、誰かと話をしていた。
全身黒一色。スニーカーはソール部分も黒いNIKE SBのステファン・ジャノスキー。身体は黒のCipher。しかもセットアップ。フードを被って、顔が見えない。だが虎太郎には分かる。
コイツは身体を武器にする種族の人間。清水シュハンの手下、さしずめ"ヒダリアシ"と呼ばれるヤバめの輩か。やけに動きやすそうな"ギア"を身に纏っているあたり、なかなかの手練れと見た。


出来るだけ事を荒立てたくない虎太郎は、奴らから1ブロックくらい離れたところでパーカッションライブをしている集団と、そのライブを鑑賞している群衆に紛れ込み、ミギテとヒダリアシの動向を伺う事にした。

           *

10分程経ち、奴らは片手を軽く挙げ、解散する様子に。

そろそろか。
虎太郎は闇夜に溶け込むネコ科の如く、ミギテに狙いを定める。
ターゲットは幸か不幸か、人通りの少ない路地裏の小さな交差点で、信号待ちをしている。

──今だ。今しかない。

「おい。」

虎太郎はそう言って、ミギテを呼び止める。

「はい?」

都会の夜道、急に何者かに呼び止められた青年は、少々動揺していた。

「お前、清水シュハンの駒なんだってな」
虎太郎はそう告げた後、逃げられないようにミギテの乗っていた自転車の荷台をグッと引き寄せ、顔を拝ませる。

「わあああ!違う、違うんだって!」
えらく動揺した様子で、自転車を乗り捨て逃亡しようとする哀れな青年。

「優璃を嵌めたのはお前か」と述べた刹那、ミギテの喉仏を抉り取るように掴む。喉輪のどわと呼ばれる禁じ手。総合格闘技でもフルコンタクト空手でも使ってはいけない極めて殺傷能力の高い技だ。
逃げようと もがけばもがく程、殺意の込められた指先が喉に食い込み、呼吸困難に陥ることは勿論、声帯がメリメリっと引っぺがされてしまうような激痛を伴う。これは遊びでも脅しでもない、という意思を相手にしっかり伝える。

「ぐうう…    かった。…わかった…話すから」

がはっ!

指先が喉を離れ、今度はスルッと虎太郎の体がミギテの背部に回り込む。

ぐふぅっ!

今度はバックチョーク。虎太郎の太くしなやかな二の腕がミギテの顎と首を締めつける。
これには、堪らず「パンパンパン!」とミギテはタップ。「もう降参だ!」と、戦意喪失したことを示す行為だが、そんな事にはお構いなく、ぐーっと虎太郎はミギテの正中線を自らに引き寄せ続ける。

「全部話すか?」

くふっくふっ、っと唾液が粒立って口角に溜まり始め、唇は血色の悪い紫色に染まり始める。
生きるか死ぬかの狭間に見せる苦悶の表情で、真実を打ち明ける意向を示すミギテ。

がはあっ!!

「…シュ、シュハンだ。」
地獄の苦しみから解放され、失業寸前だった血中ヘモグロビンが一気に酸素と結合し、脳に送り届けられる。さあ、吐け。シュハンの悪事を洗いざらい全て暴いて、真人間として新鮮な空気を吸って生きろ。
虎太郎はもちろん、ミギテの細胞もそう叫んでいた。


                                       *


「で、何故お前は、清水シュハンの言いなりになって、優璃に窃盗の罪を被せたんだ。」


「はい…その、えーっと」


「おい。お前自分がやった事の重大さに、まだ気づいて無いのか?寝ぼけてねえで早く答えろ」


「は、はい!あの…う、うちが、あっあの実家が、小さなネジ工場で、でその『お前の実家の工場を潰す事なんて簡単なんだぞ』って脅されました!…ほ、本当だ!もう最悪だよ!何もかも終わりだ!」

そういうと、ミギテは泣き崩れてしまった。
人通りは少ないものの、うずくまってしまった青年の様子は明らかに異常で、虎太郎も少々焦る。
周りにはスナックの雑居ビルしか無い為、心配そうにホステスがこちらを眺めている。

「わかった!もうわかったから。」
「…っていうことですわ。」

虎太郎は、事の一部始終をテレビ電話上で共有して、アイ先生やNoob、ユウキ、美穂、ごっつん、そして優璃に報告していた。

ごっつんとアイ先生に至っては、しっかり録画したり、MP3の音声データに変換している。


「だから優璃、お前は何にも悪くねえんだよ。ま、そんなこと初めから分かりきったことだったけど。んじゃもう切るわ」


ポロン。っと音を立て通話はここで終了する。


「んー。まあお前もさ、シュハンみたいな卑怯モンの肩なんて持たずにさ、堂々と生き」

──ゴンッ!

硬く鈍い音がした刹那、虎太郎の頭部から生暖かいものが滴り落ちる。

血だ。

血だとわかった瞬間、今度はドーンッ!とガス管か何かが爆発したような衝撃と音量で、虎太郎の体が吹き飛ばされ、視界が真っ暗になった。


                                      *


「ちょっと誰かー!救急車!早く救急車呼んで!」

雑居ビル中のホステス達が騒然としている。

「全身黒ずくめの男が、もの凄い勢いで頭蹴った!」
「で、その後、黒い車が来て、あの子…撥ねられた」
「何ケンカ?」
「さあ?まあこの辺じゃよくある事だし」
「でも、あの子ピクリとも動かないよ」
「え、ヤバくない?」


           *

死んで伝説となったスターは数多といる。
しかし、人は生きてこそ輝くことが出来る。
だが、神は皮肉なもので、そんな輝きを、自らの近くに置こうとする。

虎太郎、まだそっちに行ってはダメだよ。
まだアンタは、
生きて生きて生き抜いて、輝かなくちゃ。

ケースの中で眠る"ルシール"が、そう囁いた。



次回のM4S


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