【創作大賞2024応募作】 Marshall 4 Season #5
【タイトル】
LYRICIST LOUNGE
「よおクリストファー。次の週末、MoMAへ行こう。ピカソやシャガールを特集しているらしい。きっと良い刺激になるはずだ。何?カネ?そんなもんお前が気にすることじゃない。出世払いでいいよ。いやいや、冗談さ。とにかく行こう。きっと楽しいぞ」
「よおクリストファー。ビバップのスネアドラムを詞のリズムに応用するのはどうだろう。
リズムが旋律になる。
メリハリのある洗練された旋律さ。
そうだなあ、マックス・ローチのドラムソロを見本にするのが良いかもな。
もちろん簡単なことじゃないとは思うが。
お前なら出来るさ。
こういうのお前らで云うところのなんていうんだっけ。ああ、そうだ"フロウ"だ。
お前らしさのヒントになるといいな」
「よおクリストファー。
フルトン通りには行っちゃダメだ。理由?
危ないからに決まってるだろ。
いいか。もしあの通りでお前を見かけるようなことがあれば、俺はもうお前とは喋らない。
いいか。これは本気だ
ブルックリンのほぼ中心に位置する小さな市街地にクリントン・ヒルというエリアが存在する。
クリストファー・ウォレス。
のちの、ノトーリアス B.I.G(通称:ビギー)は、
このクリントン・ヒルと、4ブロックほど南に歩けばあるフルトン通りで育った。
当時クリントン・ヒルには、ジャズ演奏家や芸術家などが多く暮らしており、ビギーの隣人であるドナルド・ハリソンはその一人だった。
ドナルドは、マイルス・デイヴィス、アート・ブレイキー、ハービー・ハンコックなど世界的アーティストと共演したこともあるジャズ界の巨匠で、2021年にはバークレー音楽学校から名誉博士号も受け取ったJAZZ Masterである。
そんな偉大な師匠を持ったビギーだったが、近所の悪友たちと過ごした青春時代は、師匠や母ヴォレッタが激しく嫌悪していたフルトン通りでの思い出がほとんどである。
『クラック』と呼ばれる粉末状にしたコカイン。
それを5ドル程度で売り捌き、元締めのマフィアに上納金を納め、そのあがりに応じて収入を得て生活していた。
母ヴォレッタは保育園で教師をしており、決して贅沢ではなかったかもしれないが、女でひとつ、愛する息子を高校まで通わせるくらいの生活は営めていた。
平穏無事なクリントン・ヒルでの暮らしは、10代の少年にとっては、いささか退屈だったのかもしれない。
1980年代のフルトン通りは、コカイン、マリファナ、レイプ、殺人、強盗、売春、拉致、貧困、そして人種差別などアメリカが今もなお抱えるダークサイドを凝縮した暗黒街だった。
皮肉にも、この通りでラキムやKRSワン、そして最も憧れたMCであるビッグダディ・ケインについての知見を深め、ハスラー経験からくるストリート流の帝王学を習得していく。
「よおクリストファー。お前はお前が思ってるほど、しょうもない人生なんかじゃないぜ。
多分、ブルックリンもクイーンズもスタッテン・アイランドも、チャラついたハーレムも。
ニューヨークはもちろん、
東海岸も、西海岸も、南部も。
ヨーロッパも、アジアも。
お前のおじさんがいるジャマイカも。
世界中が、皆お前のラップに熱狂するのさ。
だから、クリストファー。
いや、ビギー。
お前こんなところで道草食ってる場合じゃねえんだ。
元気でな。風邪引くなよ。約束だ。元気でな」
ハスラーから足を洗い、ラップで、音楽だけで食っていくきっかけとなった友の死。
高すぎる代償と、埋め合わせなど出来ない深い悲しみ、そして愛娘の誕生。
それら全ての経験が、青年を王へと変貌させた。
世界で最も偉大なMC(ラッパー)と称される、ノトーリアスB.I.G。
その出生、そして彼の生涯はまさに彼のデビューアルバムにして最高傑作のひとつ『Ready to Die』(死ぬ覚悟は出来ている。)を地で行くようだった。
そんな彼が、デビューして間もない頃、『LYRICIST LOUNGE』(リリシスト ラウンジ)というイベントの目玉ゲストとして出演することとなる。
会場はヴィレッジゲイト。
高級ジャズクラブが主催するHIPHOPイベントということと、「有名無名問わずスキルのある奴だけ集まれ」という謳い文句。
それに伴い、ただ悪ぶった奴がセルフボースティングするだけでは、立つことはおろか近づくことさえ許されない聖地のような場所だった。
元々有名なイベントだったことに加え、ゲストにあのノトーリアスB.I.Gが出演するということで、間違いなくその一年を通しても、最もホットなイベントだったと言っても過言ではなかった。
ニューヨークはよく5つのエリアに分類されるが、その5つのエリアで顔役とも云える当時最強格のラッパー、DJ、トラックメイカー、ビートメイカー、そして東海岸が世界に誇るプロデューサーたちが一同に集うこととなる。
3階建てのラウンジで、1階にはバーカウンターと30平米ほどのステージがあり、観客は2メートルほど低いダンスフロアから見上げるような感覚で演者のパフォーマンスを楽しむ。
2階には、1階のステージを見下ろせるような客席があり、関係者が主に使用できるようになっていた。
3階には、V.I.Pルームがあり、そこは建物内で起こるすべての事象を見渡せるような作りとなっていた。
ビギーは仲間たちとそこで、キューバ産の葉巻を興じながら、客席や舞台袖のメンツを楽しそうに眺めていた。
ロクサーヌ・シャンテ(Nasの地元クイーンズを代表する伝説的フィメールラッパー)、マリーマール、MCシャン、ファットジョー、Mobb Deep、Qティップ、ラージプロフェッサー、KRSワン、それになんだアイツら…?WU-…TANG?
「まあいいさ。今夜のキングは俺だから」
王は、座して待つなど悠長な"ままごと"を好まなかった。
ここは、リリシスト ラウンジ。
己の存在を、ステージ上で証明できる聖地。
*
「なあ、マサル。大丈夫か」
本番1時間前。この2週間と48時間、仕事や講義以外の時間はほとんど寝ずに"特訓"してきた。
その疲れと、化け物みたいな演者や客席のメンツを見たら、吐き気が止まらなくなったようだ。
「マサル、あのー…あんまりこういう事言いたくないんだけどさ、そのポジション普通俺じゃねえか?
なんで、いけしゃあしゃあと誘っといたお前が死ぬほど緊張して、右も左もわからないビギナーの俺が落ち着いてるんだ。
いや、違う。落ち着いてる訳じゃない。
俺だって、緊張したいし、お前を頼りにしたい。
わかるか?…はぁ。ったく。
しっかりしてくれよ!お前だけだぞ。
いま俺の味方は!だいたい何だよ!
上手(かみて)と下手(しもて)って!」
*
チョビの言っている一言一句に、寸分の狂いは無かった。にも関わらず、マサルは逆上して狼狽するのが精一杯だった。
「わかったから喋りかけるな!」
あまりにも子供っぽい怒りをぶつけられ、愛おしさすら感じそうになった。
でも、そろそろスイッチを入れ直さないとマジでヤバいことになることは、上手と下手を知らないチョビでもわかっていた。
*
ふと、同じく出番を待つアジア人と目が合う。
こちらの様子を心配しているようだ。
「北風と太陽。あの話は結構、大人になってからも良い教訓になっていてね。」
まさか、子ども向けの寓話を今から話しだすんじゃないだろうな、と一瞬勘ぐったが、その語り口調はそうじゃなかった。
「人生のヒントになったりするんだ。
君たち、日本人だね。
まさか俺ら以外にも日本人が、今日のリリシストラウンジに立つなんてね。わかるよ。
俺も死ぬほど緊張する。」
見ると、そいつも顔面蒼白。あぶら汗もかいていた。
「でも、今日のリリシストラウンジに立つ日本人なんて、後にも先にも俺たちしかいない。
キミにとっても、俺達にとっても、
今日起こる出来事全てが、多分きっと
一生の財産になるような気がする。
だから、後悔してほしくない。
なぜここに立つのかを
自分の声と魂で証明してほしい」
そういうと声の主は、ペットボトルに入った未開封のミネラルウォーターを、マサルに差し出した。
もちろん未開封だから、中に何か変なものを入れるなんてことは出来ない。
蓋を開けてマサルに再度差し出したのはチョビだったので、否が応でも安全な水というは証明されていた。
多分、今のマサルの心情を誰よりも理解できるからこそ、"太陽"として接することが出来たのだろう。
「チョビ、ありがとな。それからアンタ。マジで恩にきる。名前は?」
「KJ。クイーンズから今日は来た。それから…」
「DJ June。まあ、潤でいい」
DJ Juneもとい、潤は縦にも横にもデカすぎて、真後ろにいた。
にも関わらず、その挨拶を告げられるまでは舞台袖にある分厚いベールと同化していた。
これには、申し訳ないがマサルもチョビも肝を冷やした。
KJは爽やかな顔立ちの好青年、という感じで、どちらかというと小柄で、線の細い同い年ぐらいの男だった。
「次が出番なんだ」
そういうと、KJはニコッとはにかんだ。
マサルのような獰猛な男らしさとは対極の、なんとも言い表せない一種のしなやかさ、変な気を起こす気は無いが、セクシーさみたいなものを感じた。
「頑張れよ」
マサルがそう告げる。
「ああ、キミたちのステージも楽しみにしてるよ」
そう云うと、客席に向かって先の演者たちが最後の「Thank you」を言い放ち、舞台袖にはけてくる。
「そろそろ行こうか潤くん」
「あ、もう出番か。よし。行こう」
「今夜のキングは俺たちだよ」
「うん、俺たちだ」
照明が暗転し、客席が見えなくなる。
客席はおろか、自分たちが舞台のどこにいるのかも分からないくらい真っ暗だ。
かろうじて、非常灯が足元を照らしているからこそ、導線を確保出来ている。
そんな状況下だからこそ、KJと潤の二人から放たれるオーラは、光り輝いていた。
まあ、実際に人間が光るなんてことは無いのだが。
その堂々とした立ち振る舞いと、何とも言えない色気、ミステリアスな組み合わせ等の異様な光景には、"舌の肥えた"ニューヨーカーや関係者も、思わず歓声を上げた。
「おい、チョビ」
「ん?」
「今夜の主役はビギーかもしれないが、あいつら、KJたちのショーケースは、瞬き厳禁で見届けるぞ」
「わかってるよ。録音もしておきますね」
ようやく、マサルがいつものマサル、否 B-BOY Marshallにトランスフォームしたことが、チョビは嬉しかった。
「はじまるね」
DJ JuneがDJブースのセットアップを行う。
コイツら、どんなサウンドをブチかますんだ?
そんなオーディエンスたちの心の声が聞こえてきそうだった。
*
*
*
圧巻だった。
観客も、関係者も、V.I.Pルームにいるビギーも、完全に心を鷲掴みにされた。
俗っぽい言い方をするなら、"ロック"されたという現象が、今まさに発生したのだ。
進行役のMCが聞く。
「き、君たち名前は…?」
少し下を向いて板の目を数える。でもその刹那、KJは、鋭い眼光で静かにこう応えた。
「Numb。南無阿弥陀仏の"ナム"です。今日は楽しかったです。ありがとうニューヨーク。これからも僕たちをよろしくお願いします」
ウワアアー!っと、人間たちが発する阿鼻叫喚でヴィレッジゲイトが割れそうになった。
美しい星や景色を見たとき、嫉妬心なんて抱かない。
ただただ圧倒され、多幸感に包まれる感覚をマサルもチョビも感じていた。
歓声、悲鳴、拍手、喝采、狂乱、国境を越え、言語の壁を超え、一生分のカーテンコールを浴びる彼らは、『恍惚』そのものだった。
マサルとチョビは、腹を括った。
初陣にして、最高で最悪の重圧を嗤う(わらう)彼らは、例えて云うならそう…
関ヶ原にて武者震いする、二匹の侍(さんぴん)だった。
「いよいよだな」
「マサル」
「ん?」
「"Boys must like this sort of thing, right?"」
(男の子ってこういうの好きなんでしょ?きっと)
「ああ。大好きだ。…ありがとな、チョビ」
──天運我にあり。
誰がはじめに言った台詞かは、諸説あるが、あの織田信長も、曹操も、自分より遥かに格上相手と戦う直前、そう述べて、戦地に赴いたと云われている。
幕が開く。
もう後戻りは出来ない。
「行くぞ」
「っしゃ!やってやろうぞ!」
スポットライトがまず司会を照らす。
「さあ、続いては…。今日は何とも"徳"が高い。Numb(南無)に続いて、またしても日本人2人組!その名も『Buddha Brain』だ!人種のるつぼ!スタイルウォーズ!スキルさえありゃ無問題!要チェックしとくんだな!」
ついにその時は来た。
ライツ
カメラ
アクション
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