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【創作大賞2024応募作】 Marshall 4 Season #8
【タイトル】
Where's my hood at?
2023年12月30日 7:31
東京都 JR品川駅
東海道新幹線 下り線ホーム15番
こだま730 6号車乗り場前
Noobはリュックカバンを胸側に担ぎ、5センチほどファスナーを開放し、“親愛なる友人"の閉鎖的苦痛を少しでも解消できるよう努めた。
「もう来るからね。じっとしててね」
幸か不幸か、Marshallはぐっすり寝ている。
どうやら体長30センチほどしかないネコ科の生物にとって、何時間も冬の外気に晒されて夜を使い果たすということは相当体力の消耗を強いるようだ。
それは体長165センチのヒト科の少年も例外ではなく、さながらサム・ライミ監督作品に登場するアンデットのような足取りだ。
心底疲れ果てている。
Noobは、やや内股で前傾姿勢を保ったままゾンビのように座席までの間を移動した。
車内は、年末の帰省ラッシュの影響か、殺伐とした苛立ちや疲労感漂う人々で座席を埋め尽くしている。
*
東京に住む祖父母の家に、年末年始の数日間だけ帰省する予定だったNoobは、送迎人の祖父と、名古屋の児童養護施設から一時的外泊をする、ということで東京に来た。
この祖父母は、Noobの2番目の父親方の両親にあたる。
Noobは、小学校4年の夏休み明けの2学期初め頃に、この2番目の父親からの身体的虐待と、母 美代子のネグレクトからの保護ということで児童相談所の保護を経て、施設で生活するようになった。
美代子のネグレクトの原因は、Noobの実の父親が急性くも膜下出血で逝去した日から蓄積した
うつ症状。
ダブルワークによる極度の疲労から来るものだった。
昼はパート、夜はホステス。
元々は優しい母親だったのだが女で一つの養育というのは並大抵のことではない。
そのことを側で一番理解しているNoobだから、美代子のことだけは決して悪く言わなかった。
2番目の父親、というのは美代子がホステスをやっていた頃に知り合った男で、酒癖が良くなかった。
酒を飲むと暴力を振るい、Noobや美代子を殴った。それ以外の時は優しい父親として接していたが、恐怖でしかなかった。
Noobの虐待が発覚した後、母 美代子の精神は大きく壊れてしまい、精神病院に入院した。
その後は、社会復帰を目指すため、ケアハウスという福祉サービスを利用し、心理士や看護師の保護観察下で、現在は地域生活をしている。
2番目の父親は、Noobが施設入居後に飲酒運転をして人を轢き殺してしまう。
結局、酒によって人生を狂わせてしまったのだ。懲役15年。もう会うことはないだろう。
*
そんな状態のNoobを不憫に思ったのか、その父方の祖父母が現れ、盆と正月ぐらいは家でゆっくりさせてあげたいと、Noobを労った。
だがNoobの内情としては、始めこそ良かったものの、祖父母のもとに集まる親戚や知り合い達から次第に怪訝に思われることに嫌気が差していた。
そもそも祖父母とは血の繋がりも家族の信頼関係のようなものはほぼ皆無だから、仕方ないと最近は割り切っているが、出来ることなら関わらずに本を読んだり、音楽を聴いて一人で過ごしたかった。
だが2024年に関しては、例年通り過ごせない理由があった。
年が明けてすぐの2024年の1月1日の元旦に命を絶つか、いじめを受け続けるかの2択を、通っている高校のクラスメイト数人に迫られていたのだ。
そのクラスメイトと仲のいい連中が施設内にもいることから、彼にとっての安息地は無いに等しかった。
とはいえ、強烈な強迫観念に取り憑かれた彼は、何がなんでも元旦までに帰らなければならなかったため、「施設の外では、気疲れして休めないので帰らせてください」と嘘をつき、名古屋に祖父と帰る運びを作った。
"本当に面倒な子だね"としっかり嫌味を言われ、祖父母宅を出発したときは、頼るべき最後の砦を自ら手放すというのに、心底清々とした。
祖父も冷淡に扱って『要見守り』という一時帰宅時の鉄の掟を蔑ろにし「帰るなら一人で帰れ。二度とうちには来るな」と、Noobを一蹴する。
この時、真実を誰かに相談したり、どこかにエスケープする選択もあったはずなのだが、そのいずれも行わなかったのは、Noobがそれ程までに追い詰められていたからである。
何がなんでも生きればいいのにも関わらず、希死念慮や強迫観念という奴は非常に厄介で、弱っている心につけ込み、正常な判断を出来なくする。
しかも追い打ちをかけるように、12月29日の恵比寿リキッドルーム(ライブハウス)で行われたTHA BLUE HERBの年末ライブのチケットを紛失してしまったのである。
それは彼にとって、最後の希望を失ったと言っても過言ではなかった。
紆余曲折はあったものの、今こうして暖かい車内で座席シートに腰掛け、新たな希望を胸に抱えているわけである。
*
だからこそ、何がなんでもこの友人Marshallの存在を同乗している有象無象の人々に知られてはならない。
2時間弱で名古屋駅には着く。
名古屋駅には迎えの施設職員が来る。
その時に、いじめについてはしっかり相談しよう。
それからMarshallのことも。
加藤さん(Noobの担当職員)は怒るかもしれないけれど、力にはなってくれるはずだ。
そう自らに言い聞かせ、Noobは疲れ切った体をシートに埋ずめ、瞼を閉じた。
数十分後、「おい、いい加減狭い。体を一度伸ばしたいから外に出してくれ」と、ノースフェイスのリュックカバンから声が聞こえる。
まずい!と思ったが、不思議なことに乗客は誰ひとりその声に反応を示さない。
「わかったから少しだけ辛抱して!今からトイレに行くよ」
この声には、乗客もすぐに気付き、ムッとした様子で足元にスペースを作ったり、荷物を退けたりしてNoobの移動を促してくれた。
ただ、完全に変な奴だと思われ目をつけられてしまったことは言うまでもない。
羞恥心と焦りから、ただでさえ全身の動作に難があるNoobの足取りは悪くなり蹴つまずく。
あっ!と思った瞬間、よたよたと地団駄を踏むような格好で大きく前傾姿勢をとってしまい、左前の座席背面とスクラムを組むような格好で転倒しかける。
「危なっ!」と、缶ビールを飲んでいる中年男の手が咄嗟にNoobの左脇腹に伸びる。
「にゃあ!」
風雲急な圧力を受け、リュックカバンの中から悲鳴が聞こえる。
「す、すいません!」と、咄嗟に謝り慌ててトイレに駆け込むも、まさかこんなに早く最悪の事態を迎えるとは思ってもいなかった。
本当につくづくNoobはNoobだ。
トイレの中でバタバタとMarshallが暴れ出す。
「お前何を考えてる!殺す気か!」
渾身の殺意を込めて、Marshallは怒りをぶつける。
「ほ、本当にごめんなさい。痛い、い、痛いところは無い?」
痛いも何も、と言いかけたが自らの選択で、この泥舟に乗ってしまったのだと後悔し、Marshallはそれ以上言うのを一旦諦めた。
「もし次にヘマしたら、俺は東京に帰る。」
不覚にも、そんなセリフを口にする可愛いアビシニアン猫の姿に、Noobは少し笑いそうになってしまった。
「何がおかしい!」これには、あくまでも紳士的な対応で接してきたMarshallも、怒り心頭だった。
「ごめんなさい。本当に。でもあと1時間半くらいだから」
Noobがとっさに自らを取り繕う。
「誰かが傷つく、生活に困る、そういう重大な局面に関わるかもしれないのに、ヘラヘラしたりおどおどするな。もう少し冷静に、慎重に考えろ。それが責任だ」
──コンコン
トイレのドアを誰かがノックする。
次はなんだ。と、うんざりしてしまう。
息つく暇もない。
座席に戻ろうかとも思ったNoobだったが、もし先程の状況から、動物を連れていると疑いの目をかけられているのであれば、このまま座席のある車両に戻るのは危険だ。
そう判断したNoobは、自分たちの車両を背にして、別の車両やトイレなどに移り、やり過ごすことにした。
2023年12月30日 9:46
名古屋駅に着いた。
一連の騒動から、二人
というか一人と一匹は無言だった。
おかしなことになってしまった、と思いつつも最悪また新幹線に乗って移動できることがわかったMarshallは、ホームを抜けて人混みが激しくなったところで逃げ出そうか、それとも成り行きに任せてみようか考えていた。
そもそも帰る場所や居場所にあてなど無いので、その日暮らしで名古屋を住処としても特段困りはしないのだが。兎に角、もうこの際、この少年に執着しなくてもいいのかなとは感じていた。
Noobは、しっかり怒られたことと、何かとんでもないことをしてしまったと今更自責の念にかられてしまい、ますます生気がない。
何とか改札を抜け、駅中央のコンコースへと続く階段を降りる。
「おーい!Noob、心配したぞ!」
教育テレビに出てくる体操のお兄さん並みに腹式呼吸でエフェクトされた大きな声で、Noobを呼ぶ声が聞こえる。
「加藤さん!」
加藤という体格のいい男が、土産屋と甘味処の間に立ってNoobを待っている。とても似合っている。
「おばあさまから電話があったよ。キミが施設に戻ると言って、新幹線に乗ったって。ったく何考えてるんだ!」
加藤は、Noobが小学校4年の時から担当の養護施設職員だ。児童相談員 兼ソーシャルワーカーとしてNoobの生活を支援している。
面倒見が大変良く、人見知りをするNoobも信頼できる数少ない存在だ。そして無類の猫好きである。
数年前、飼っていた愛猫が他界してしまったが、当時飼っていた猫のマイケルの画像を今でも見せてくれたりする。
「加藤さん、本当にごめんなさい。ボクもうあの家には行かないよ。お祖父さんにも二度と来るなって言われた」
ハァ。と大きくため息をつき、「もういい加減にしてくれよ」と辟易しながらNoobの背中をトントンとさすった。
悪い人間ではなさそうだ。
「それから猫を拾った」
そう言って、リュックカバンのファスナーを開けてみせた。
あなたも大変ですね、とげんなりした表情でMarshallが顔を出す。
想像を絶する少年の行為に、加藤は言葉を失う。
「キミは僕のことを急性のストレス性障害にでも追い込みたいのか」おっしゃる通りだ。
「とりあえずここじゃ落ち着いて話もできない。車で施設まで送るから、一旦何があったのかをちゃんと話して欲しい」
駅構内の人々が「おかえりー」、「それじゃ気をつけて。良いお年を!」などと和やかなやりとりをしているのが信じられないくらい、Noobと加藤はムスッとした足取りで車まで向かった。
車は太閤口側の平面駐車場に停められていた。
青のワンボックスファミリーカー。
後部座席には、ぬいぐるみや絵本が無造作に置かれている。
「ああ悪い。散らかってて」
そう言って加藤は、胸ポケットからキットカットを差し出す。
せっかくの家族の空間を邪魔しては申し訳ないと思い、Noobはキットカットをポケットに入れ、助手席に腰掛けた。
「さて、これからどうするべきか」
加藤は、運転席側のサンバイザーあたりに視点を上げ、色々な策を練りはじめる。
年末の貴重な休みを犠牲にし、イレギュラーにも何とか向き合おうとしている大人が身近にいる。
その善意に甘えている気がして、何故自分には、こういう存在が家族ではなかったんだろうとNoobは、バックミラー越しに写るクマのぬいぐるみから目を逸らした。
「ねえ施設じゃ飼えないかな」
もちろん、それが出来れば一番良いのだが、猫や犬はノミやダニ、それからアレルギーの観点から不特定多数の人々が生活する施設での飼育は極めて難しいのだ。
「シェアハウスのほうじゃダメかな」
シェアハウスというのは、児童福祉法の法改正に伴い、本来18歳までしか居られない児童が、養護施設での生活を終えた後も、措置延長という制度を使って生活出来る居住スペースのことを指している。
主に大学進学等の際に、大学を卒業する22〜23歳までの間そこで暮らせるのだ。
とはいえ、やはり猫を複数人の人々が暮らす空間で飼育するのは、然るべき準備と理解を整えてからでないと難しい。
加藤が口を開く。
「なんで、こういう大事なことを相談もなく勝手に進めたんだ?」
「だって可哀想だと思ったから…」
「育てられる環境が整ってもないのに、どうやって飼うつもりだったんだ。餌やトイレの世話、病院に連れていく費用はどうする」
Noobは、まるで自分が祖父母達に言われていたことのように思えて仕方なかった。
「可哀想だから助けたかったんだよ!何がいけないの?」
間違ってはないし、出来ることなら本来はそうするべきなのだが、それだけでは結局誰も助けられないのだ。
経済的にも、生活支援のシステムも、全てが持続可能な計画によって推し進められなければ、人も猫も結局路頭に迷ってしまう。
そして、その計画に全ての困窮を収められるだけの器の容量は無い。悲しいがこれが今の現状なのだ。
「じゃあ捨てればいいの?僕が施設に連れて来られた時みたいに?それともお祖父さんたちに言われたみたいに?」
加藤は、何かあるとすぐに取り乱したり、塞ぎ込んでしまうこの16歳の少年を「今考えてるから黙ってろ」と叱責してしまいたかったが、そんな気持ちは押し殺して、この少年の願いを叶えるためにはどうすれば良いのか思考をめぐらせていた。
「加藤さんの家じゃダメなの?」
加藤の家は、いまだに先代猫の残した飼育に必要なものがあらかた揃っていて、確かに理屈としては一番スマートではあった。
ただ、昨年加藤と奥さんの間に生まれた第一子がようやく一歳になったばかりで、これ以上家族に負担を掛けるというのは現実的ではなかった。
「うちは無理だ。まだ子どもが小さいから。ゴメン。ただ、シェアハウスの敷地内に、古い味噌蔵を改装した図書館があるだろ?ほら、みんなが幽霊が出るとか言って近寄らない。あそこで飼えないかな」
「それだ!それだよ加藤さん!すぐに施設長に連絡しなくちゃ!」
「わかった。とりあえず、今日でもやってる獣医さんにノミ取りの薬を貰おう。それにシャワーで体中を綺麗にしてもらわなきゃ」
施設長への連絡と、動物病院の手配を終わらせ、なんとか無事にMarshallを連れて帰ることが出来た。
施設長の長谷氏が迅速に対応してくれたこともあり、図書館での"一時保護"ということでなんとか飼育することが許された。
Marshallもようやく安心して、体をぐーっと伸ばしている。
加藤には、いじめに遭っていて自殺を強要させられていることを話した。
加藤は、ひどくショックを受け、「無理をして学校に行かなくてもいい。
それでも卒業はしたほうがいいから、学校や他の機関に相談してみる。」と言ってくれた。
「何かあればすぐに言うんだぞ」
そう言ってもらえてNoobは嬉しかった。
だとしても、世界が残酷なままだったら、きっと悲しむんじゃないかと不安になった。
*
全ての予定が何とか終わった。
図書館に着いた頃には、すっかり日が暮れており、蔵特有の吹き抜け天井に設置された丸い形の二階窓から月光が差し込んでいる。
図書館には、加藤が自宅から持ってきた猫用の食器皿と、トイレ、それから暖かそうなブランケットと座布団がセッティングされていた。
オレンジ灯のような輝き方をするランタンもある。
餌は、加藤のポケットマネーでひとまず10日分ほど用意出来た。
加藤様様である。
しかも図書館には、古いレコードとレコードプレーヤーがあり、Marshallはそれを大変気に入った。
「おい、Noob。この曲をかけてくれないか。」
指名されたレコード盤のジャケットには、『クロード・ドビュッシー/月の光』と記載されており、Noobは言われるがまま、レコード盤を取り出しプレーヤーに乗せ、針を落とした。
黒い円盤はブツブツ…と音を立て回転し、やがて優しい旋律を奏ではじめる。
『月の光』 ドビュッシー
Noobは素直に感動した。
今日一日の中で起こった最悪の数々が、浄化されていくような優雅なひとときだ。
それに、レコードに針を落とし、プツプツと鳴るあの感覚がたまらなく好きになった。
曲を聴くMarshallも、月明かりに照らされ、目を瞑り全身で音楽を感じていた。
琥珀色の毛と、凛々しい横顔が蒼白い月光を浴び、美しさや神秘性を体現していた。
曲は4分ほどで終わり、針もブンッと上がってしまった。
「へいDJ、次はこの曲を頼む」
冗談を言うくらいMarshallの気持ちにも多少の余裕がある。
差し出された曲は、『エアロスミス/Dream on』と記されている。一体どんな曲なんだろうと思いながら、レコード盤を再生する。
DREAM ON - Aerosmith(1973)エアロスミス「ドリームオン」和訳
イントロの曲調から「あ、この曲どこかで…」と、Noobは何かを思い出しかけている。
ヴォーカルの歌い声のあとに、Marshallが和訳して歌詞の意味を教えてくれる。
思わず、目頭が熱くなる。
なんて力強い歌詞なんだ。
「そうだ。この曲『8Mile』で流れてたんだ!」Noobは思わず声を荒げる。
![](https://assets.st-note.com/img/1710723149346-aehz2SPJ3K.jpg)
ラッパー エミネムの半自叙伝を描いた2002年公開の洋画『8Mile』。この映画の挿入歌にエアロスミスの『Dream on』をサンプリングした楽曲『シングフォーザモメント』が使用されている。
「ドビュッシーという作曲家は、"芸術は、最も美しい嘘である。" なんてキザな台詞を残したらしい。
今レコードでスティーブン・タイラー(エアロスミス)が唄ったように、
俺たちは、何処から来て何処へ行くのかも分からないまま、彷徨ったり、運命に翻弄される。
誰かのせいで貧乏くじを引いたり、新幹線の自由席で不自由さを感じることだってある。
だがな、話は変わらない様で変わるが、芸術や、音楽や、詩が、何故美しいのか。
それはつまり、"見せかけじゃない本物"だからだとオレは思う。
そこらに散らばる作り話や、よくある子ども騙しじゃなく、そいつにしか描けないオリジナルな表現として、価値を生み出す。
しかもてめえでその値打ちを決める。
お前の叫びは、抱えている痛みは、他人に値踏みされるようなものなのか?お前の本心は、何処かから借りてきた偽物なのか?」
少年のなかで燻っていた小さな灯が、
月の光をように蒼く澄んだ光を帯びる。
ポケットの中の
キットカットは溶けていた。
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