【創作大賞2024応募作】Marshall 4 Season #3
【タイトル】
NEW YORK ,NEW YORK
そもそもの話、音楽なんてもんはそこまで大層なもんじゃない。
2ドルで買う飲料水のほうがよっぽど人間にとって価値のある場面ばかりだし、雨風を凌ぐ屋根や壁は譜面上には無い。
それでも音楽には、価値がある。
自分の唾でさえ喉を通らないくらいのどん底を味わったとき、もう一度、自分という人間に立ち上がる勇気を与え自他を慈しんだり、腹の奥底に胆力の備わった力強い感覚を呼び起こしてくれるのは例えばあの曲の1小節だったり、モニター越しに観た誰かのステージングだったりする。
ただ、改めて認識しておかなければいけないのが
音楽は単なる娯楽だということ。
無論、それらに携わるアーティストならびにクリエイター、エンジニア各位は特別な存在などではない。
道を歩く子供や、病床につく老人、タクシーを運行するドライバー、ネジをつくる工業労働者、この世界で生きる全ての人々と同じく、お互い様の人間であるということ。
偉そうな奴の楽屋にはいつだって馴染めない。
謙虚さを忘れたら終わりだ。
*
とはいえ、プロとアマチュアには大きな違いがあるわけで。
いくらチャリンコを漕ぐことが上手くてもそれについて1円でも値打ちが付かなければ、単なる趣味や道楽の領域である。
どんなに優れていて誰にも真似できない独自性と質の高さを打ち出しても、だ。
と、色々と御託を抜かしてみたが、所詮はただの正論。
資本主義経済の社会で400年以上擦られ続けてきた常識でしかない。
"非凡な才能の持ち主"
"天才"
"規格外"
そんな言葉でしか彼、彼らのことを計れないのが極めて不憫だ。
あの男が、あの夜マイクを握らなかったのなら、果たして何人のアジア人が路頭に迷っていたのだろうか。
何人のアフリカ系アメリカ人が、今よりもさらに不当逮捕や冤罪を喰らい命や名誉を脅かされたのだろうか。
その価値は、果たして小切手に記載できる額なのか。
*
時は、1994年1月17日。
イーストコーストにある、レコードショップ『A1』から浮かない顔をして男は出てきた。
本名、不磨ヒデミ(Fuma Hidemi)
またの名を、チョビ。
Marshallと苦楽を共にした仲間であり、伝説的ヒップホップグループ『Buddha Brain』のチームメイト。
変幻自在のスキルとスタイルを操る天才ラッパー。
すぐにケタケタ笑う陽気な感じと、ちょこまかと動いてふざけたりするコミカルな様が『チョビ』というニックネームの由来らしい。
天真爛漫を地で行く彼が、今まさに人を車ではねてしまったような沈痛な面持ちでレコード屋から出てきたのだ。
これは只事ではない。
ファー付きの裏起毛ジャケットや、ミンクのコートを着込んだとしても一月中頃のニューヨークは下手をすれば凍死するくらいに冷え込む。
にも関わらず、チョビはタイトな、というか明らかにサイズの小さいadidazのジャージをアウターとし、その下にはChaMpioNのトレーナーを着込む程度。
"まだ消えないで"と、彼に宿る全ての熱が、マンハッタンに漂うあらゆる寒気に抗っていた。
西の空が茜色に染まり、通りからは「よお、お疲れさん。」、「さて、何が食いたい?」と一日の勤めを労ったりディナーメニューを企てる日常の様子が聞こえてくる。
それでもチョビは、ひとりポケットに手を突っ込み、とぼとぼと歩いている。
「Marshall、むずかしいわ…」
ポケットの中でデモテープに貼ったラベルを親指でなぞっている。
1994年当時のNYヒップホップシーン、それはチョビにとってまさしく冬の時代だった。
*
──1994年から更に5年前。
1989年3月。
チョビは、語学勉強のために留学する体で渡米したわけだが、単に日本よりも刺激的な生活に憧れてやってきた"おのぼりさん"だった。
まあそれも若さゆえだし、元々好奇心旺盛だった彼に大人しく教科書とにらめっこしていろと言って聞くタマでもないことは親族も想定内だった。
映画『ワイルドスタイル』さながら、ストリートに溢れるグラフティやトレインボムは、日本では味わえない特別感のある街の景色だったし、会う人会う人みな気さくに接してくれる。
本当にいい街だと、心底感動していた。
大学はニューヨーク大学という、名門校に交換留学という名目で2年通うことが許された。
ここで、言語学や英語の発声に関する研究をし、無事2年で修了することができれば、日本の病院や地下鉄など大手公的機関を顧客とする英語表記看板の広告事業会社に就職することが約束されていた。
*
チョビ20歳の夏、ニューヨークでの生活にも少しずつ慣れ、約半年が経過していた。
週に4,5日ブルックリンの台湾料理屋でウェイターのアルバイトをし、親からの仕送り以外の生活費を稼ぐ。
それが安定したルーティンとして生活に組み込まれていた。
一つ上のリャンが、カオマンガイ(蒸した鶏肉に魚醤などの調味料をかけて食べる台湾料理)をカウンターにのせチョビを呼ぶ。
「ヘイチョビ!早くコレを4番テーブルに運んでくれ!」、「もうこの金玉の水死体みたいな肉の塊を視界に入れたくない!早くしてくれ!」
飲食サービスを提供するとは到底思えない。
ひどい言い方をしている。
それでも、誰も文句を言わず食事を楽しんでいるのは、客の大半が英語を上手く話したり聞き取ったりする事の出来ないアジア人ばかりだったから。
「What kind of "nonsense" is that.(どんな金玉だよ。)」と、一応先方の発言がナンセンスであることを指摘するかたちでリャンと一緒になって客をからかって皿を運ぶ。
それが幸か不幸か、
その夜4番テーブルに座っていたのはMarshall。
つまりマサルとチョビの出会いは
陰嚢そっくりなカオマンガイがきっかけだった。
「おい、日本人だよね」
Marshallが獲物を噛み殺さんとする凄みで、静かにチョビを威嚇する。
チョビはチョビでただやられるのも自尊心が許さないのか「今日はね。昨日までジェームズ・ブラウンそっくりだったけど」と、無礼極まりない返し言葉を放ち様子を伺う。
「ブフッ。ジェームズ・ブラウン!?好きなの?」
意外な返しに思わずMarshallは笑ってしまったのだ。
無邪気で本当に嬉しそうな、まるで曇り空から晴天に変わる時のような晴れやか笑顔だ。
「同い年。しかも日本人。あのさ、もし良かったら」
1989年、マサルとチョビが20歳の頃の話である。
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