見出し画像

『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』ダウン症青年がプロレス道場をめざすロードムービー(ネタバレありのレビュー)

映画『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』”The Peanut Butter Falcon” は、ダウン症の青年が”プロレス道場”を目指す現代の「ハックルベリー・フィンの冒険」。

画像1

出典: Wikipedia

画像2

出典: Wikipedia 

(上の映画のポスターと下の挿絵を見てもらえばよくわかるだろうが、コンセプトは、マーク・トウェイン原作の「ハックルベリー・フィンの冒険」だ。)

※以下、ネタバレも含むレビューです。

『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』

アメリカでの評論家の評価は非常に高くRotten Tomatoesで96%取っている。この高評価はアメリカ文学の古典「ハックルベリー・フィンの冒険」を現代風にアレンジしている点が大きな理由だろう。

「ハックルベリー~」は白人と黒人が一緒に筏に乗りミシシッピ川を下るという話で、1885年頃の黒人差別問題を内包しているが、この映画『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』では、白人青年がダウン症の青年と一緒にノースカロライナ州の美しいアウター・バンクスを筏で進んでいく。そのダウン症の青年の描き方がとてもやさしく、みんなが彼のことをそんなに気にしないで接してるのが好感が持てる。

ロードムービーは、アメリカでは自動車やオートバイでの移動が当たり前のところを、自分で作った筏でゆっくり行くというのが新しいと言えば新しい。『西部開拓史』(‘62)の筏のシーンはスリルのある場面だったが、この映画はゆったり、のんびりだ。それはアウター・バンクスが砂州と半島で出来ている場所だから。波のほとんどない水面を、これまたシンプルな筏が進んでいく。

こう書くと、かったるい映画を想像するだろうが、実際は筏のシーンばかりではないので問題なし。笑える場面も多い。あらすじはこうだ。

老人施設で引き取られている身寄りのない22歳のダウン症青年ザック(ザック・ゴッサーゲン)は、同居のおじいちゃんカール(ブルース・ダーン)が見せてくれる古いプロレスのビデオ(←VHSで見てる・笑)が大好き。その中でも一番のお気に入りはヒーロー役のソルト・ウォーター・レッドネック。ザックは彼のプロレス道場で訓練し、いつかプロレスラーになることを夢見ている。ある晩カールの協力を得て施設を脱走できたザックは、逃げ込んだボートが走り始めた時、カニ漁をめぐって諍いを起こしているタイラー(シャイア・ラブーフ)と出会う。逃亡者の身になったタイラーはザックの夢を叶えてやるため一緒に旅をすることになる。途中、施設のザックの担当者エレノア(ダコタ・ジャクソン)に追いつかれるが、いつしか彼女もその旅に加わることになるのだった。

Reference YouTube

主人公がダウン症でも良い映画を作ってヒットさせた奇跡

監督・脚本はタイラー・ニルソンとマイケル・シュワルツ。無名の彼らは、友人のザック役のザック・ゴッサーゲンが「映画スターになりたい!」と夢を語ってる時「そんなことは叶いっこない」と答えたら、怒ったザックが「じゃあ、君たちが僕のために映画を作ってくれよ」と言い返したことから、この長編デビューになったのだという。

つまりこの映画も、やるかやらないか?そして「やったもの」が掴んだ成功だったのだ。残念ながらダウン症の人たちが世の中で活躍することはあまり多くない。商業的な感覚でいうと、ちょっとそれは... と感じるのがハリウッドなどの映画製作者の本音と思う。それは世の中がまだ受け入れていないだけで、実際にそれをためした人はいなかっただけなのだ。

主役のザック・ゴッサーゲンは、1985年生まれ。ドレイフォーズアートスクール演劇科を卒業後、サザン・ダンス・シアターに俳優兼ダンサーとして13年在籍していたという。2018年、世界ダウン症財団で活動が評価された人に贈られるクインシー・ジョーンズ賞も受賞している。

つまりダウン症でも、立派にプロの演技もでき、社会的にも貢献できるんである。この映画の社会的な意義はそこにあると思う。

映画の中でも、ザックは自己紹介の時に「自分はダウン症です」と言う。施設の人間は、ザックを危険分子だから「隔離」しないといけないと信じこんでいる。だが、ザックはもう十分すぎるほど大人なのだ。そして自分の意思で施設を飛び出し、自由を得た=解放された、と感じるのだ。この辺りは『カッコーの巣の上で』(‘75)を思い出す。

ダウン症のザックを取り巻く人たち、そしてプロレス道場へ

免許がないからカニを取るなと文句を言われた腹いせに、同業者のUS$12,000もする網を燃やしてしまうタイラー。彼も兄のことで心に傷を持つ男。施設のザックの(美人すぎる!)担当者エレノアも、離婚をして働かざるを得ないので、自分の心の声よりも施設長の指示に従わざるを得ない。

かつてはスーパースターでセレブだったソルト・ウォーター・レッドネック(トーマス・ヘイデン・チャーチ)というプロレスラーも今は道場も閉めて、うらぶれた生活をしている。その仲間のサム(ジェイク・ロバーツ)も、時々開催される野外のプロレスイベントに参加するだけの身になってしまっている(←ジェイク・ロバーツは往年の名選手で、国際プロレスや新日本プロレスにも参戦した。あのDDTを開発したのはこの人である)。

余談だが、こんなアメリカの道場はかつては結構あったようで、プロレス好きのぼくも、やれ佐山聡(のちのタイガー・マスク)や前田日明、藤原組長なんかが、フロリダのカール・ゴッチが主催していた「ゴッチ道場」に行ってどうのこうのという記事を「週刊ゴング」や「週刊プロレス」でよく読んだものだ。

この映画では、終盤そのソルト・ウォーターの家にたどり着くが、出てきた人は違う名前で、もう道場はやってないという。失意のまま帰ろうとすると、さっきのおっさんがメイクをしてリングコスチュームのまま、ムスタングに乗ってさっそうと登場する。ザックと同じで、かつてのWWFなんかを見ていたプロレス・ファンの人間にはたまらないシーンだ。

そしてソルト・ウォーターはザックにプロレスの基本を教えてやるが、そのとき同時にプロレスの「嘘」も教える。純粋にリアルファイトだと信じていたザックは、そのことを知った時、一瞬のとまどいを見せる。これはもしあなたがプロレス・オタクなら気持ちがわかるだろうという名シーンだ。まるで新日レフェリーのミスター高橋が書いた「流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである」(‘01)を読んだ時の、あの衝撃と落胆と同じ感じ方だったろうと思う。もー、本当に教えてくれなきゃよかったのに!←この感覚だ(笑)

そしてクライマックスは、ついに裏庭で行われるようなプロレスの試合にザックがデビューする。極度に緊張しビビるザック。それを勇気づけるタイラー。この映画のタイトルは、彼らが旅の途中で酒を飲み、顔にピーナッツバターでペインティングをしてふざけあってリングネームをつけたことに由来する。

ここでのプロレスは、ザックにとって生涯初めての「リアル・ファイト」。社会に出て、自分の力で、自分の足で踏みしめたリング上での「大人の男」としての戦い。

彼にとって、どんなに殴られ蹴られても人生初めて乗り越えなければならない大きな壁。本当の意味での大人としての通過儀礼=デビューだったのだ。

感動的なプロレスを期待して観てたが、あらら、プロレスの「嘘」というか少々演出がオーバーな場面になっちゃうのは勿体無い!。そこだけがノレなかった。残念(笑)。

映画公開に水を差した主役のシャイア・ラブーフ

生まれながらダウン症という身体的にハンディをかかえながら、主役のザック・ゴッサーゲンは、監督たちに自分の気持ちを訴えてこの映画を『リトル・ミス・サンシャイン』製作チームと実現させた。アメリカン・ドリームとして上出来の話だ。

だが、そこに水を差したのが、主役のシャイア・ラブーフ。この映画の撮影中に、泥酔したあげく逮捕され、人種差別的発言をしたと大バッシングを受け、本作が公開されない可能性もあったという。

そんな中、ザックに「君はもう有名だけど、この映画がぼくのチャンスなんだ。それを台無しにした」といわれたシャイアは、更生に向けてアルコール中毒のリハビリ施設に入所。現在はセルフコントロールできるようになってきているという。

アメリカでは、若い時に有名になってしまった人たちは、ほぼ全員が精神的にやられておかしくなっている。その途方もない額のお金と名声を得る代わりに、大きすぎる重圧に押しつぶされる人のなんと多いことか。これは気の毒という他ない。

すでに2017年には撮影が終わっていたのに、公開が2019年になってしまったのはそのような経緯があったからだ。だがフタを開けてみたら、評論家からの高評価を受け、わずか17館でのスタートから公開6週目には、全米1,490館にまで上映規模を拡大しヒットを記録したという。

色んな意味で「ドラマ」の多かった映画。そんな外野の話はおいといて、映画自体としては小品だが、なかなか楽しめる97分。IT社会に疲れたら、携帯もほとんど登場しないこんな映画を観るのも精神的な癒しになるかもね。佳作である。Rotten Tomatoes 96%は取りすぎと個人的には思うが(苦笑)。

てなことで。

日本では、2020年2月7日公開。



最後までお読みいただきまして誠にありがとうございました!