わたしだけが、知っている。福井城の百間堀をまちあるき!(1)
【福井城の百間堀とは?】
福井城は、徳川家康の二男である結城秀康が築いた城です。天下普請によって造られ、家康自らが縄張りしたとも言われる立派な城でした。しかし明治維新とともに埋め立てが始まり、当時の姿を残すものは本丸の石垣だけになってしまいました。
でもまちなかを歩いてみると、その痕跡が窺えるところもあります。今回と次回は「百間堀」の跡をたどって、その大きさを実感してみたいと思います。
福井城の「百間堀」とは、城内を南東と北西に分けて足羽川へと繋がる、大きな堀のこと。