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今解き明かす𝒉𝒂𝒓と𝕞𝕠𝕖【𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖ライブ解説】

𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖1stライブのライブブルーレイ発売から1年の時が経ち、2ndライブのライブブルーレイも発売されたということで再び𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖ライブの魅力を語っていきたいと思います。
ライブレポートではプリミティブな感想を書き連ねるに留まってしまったので、そこからもう一歩踏み込んだ内容となっています(多分)
プリミティブな感想はこちら


ぜひお手元に𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖ライブのライブブルーレイをご用意いただけたら幸いです。

それではいきましょうか。



𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖とはフィクションである


フィクション【fiction】
作り事。虚構。「―を交えた話」

作者の想像力によって作り上げられた架空物語小説。→ノンフィクション

https://dictionary.goo.ne.jp/word/フィクション/


𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖の魅力を語る上で欠かせないもの、他の声優ユニットや声優のソロアーティスト活動と一線を画す要素となっているのが

音楽は物語といっしょに歩く

である。


幕が上がればそこは𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖 WORLDという"舞台"


𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖のライブパフォーマンスを見た人の多くが口にする「舞台やミュージカルを見ているようだった」という感想。
度々耳にする「世界観」というワード。
ならば何故あのパフォーマンスを見たらそう思うのか考えてみようじゃないか。
ポイントは3つ

  1. スタッフロールをはじめとした演出の数々

  2. ライブに至るまでの筋書き

  3. 𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖とは岩田陽葵さんと小泉萌香さんではない


スタッフロールをはじめとした演出の数々


スタッフロール

Q.幕上がってないですよね?

A.はい

𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖ライブを再生してまず最初に目にするスタッフロール。まるで映画のエンドロールのようなスタッフの名前が記載されたスタッフロールによるオープニング。
幕が上がる前の導入とも言えるこの演出により𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖 WORLDに観客を誘い、最後に出てくるライブロゴで期待感を最高潮にする効果もあるってわけだ。

そして幕が上がれば演出…と一言に演出と言っても振り付け、小道具、バックダンサーの衣装、映像、ライトアップ、パフォーマンスの立ち位置…とありとあらゆる手段を用いておとぎ話をステージ上で表現しています。
神は細部に宿るとはまさにこのこと。作り込みが尋常ではありません。

例を出せば枚挙に暇が無いのでかいつまんで。

パフォーマンスでの立ち位置
特に強く感じたのは1stでの雪のかけらと2ndのbrilliant and bad、voiceの三曲でのパフォーマンスです。
舞台には上手優位という原則があります。上手(かみて)です。上手(じょうず)ではないですよ。
客席から舞台を見て右側を上手(かみて)、左側を下手(しもて)と言います。
客席から見て右側が優位ですよという原則です。
ウルトラマンが光線を放つ時に右から左への構図になっていることが多いのはこの原則にのっとっているというわけであります。舞台や映像作品を見る機会があれば立ち位置を意識して見てみるとまた違った見え方がするかもしれませんので頭の片隅にでも置いておいてください。

閑話休題。

1stの雪のかけらの字幕演出、2ndのvoiceのセリフパートを見るとこの原則にのっとっているのがわかります。
雪のかけらでは上手側の小泉萌香さんが「もう行かなきゃ」と決意しそれに対して下手側の岩田陽葵さんが「一緒にいたい」と食い下がっている場面です。一緒にいたいのは小泉萌香さん側も思っていることですが決意が固く揺らぐことはないので上手に立っていると言うわけですね。
voiceでは人魚姫を深海に誘い声と引き換えに足を生やす契約を交わそうとする場面です。アースラ(小泉萌香さん)が執拗に契約を迫る際に上手側に立っているのがわかりますね。バックダンサーの衣装の違いも人魚姫とアースラを演じる2人をよりわかりやすくしています。
(ただそもそも𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖の立ち位置の上下が基本固定なんですよね)(それに合わせて配役してる?)
『眠れぬ森』はこの法則に従っていないっぽいんですがそれに上手い理由をつけられないのでなんかいいこと思いついたらコメントください。

brilliant and badではダンサーがステージ上段、𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖2人はステージ下段でパフォーマンスしています。
2サビ後にそれが入れ替わり𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖2人がステージ上段に、ダンサーがステージ下段にいきます。
そしてダンサーは客席に背を向ける形でステージ上段の𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖と鏡合わせのようなパフォーマンスをします。このダンサーと立ち位置を入れ替わるのと鏡合わせのパフォーマンスがGood and Evilのテーマと合致していると言うわけですね。鏡合わせになってるダンスは俯瞰定点映像で見るとわかりやすいですよ。

雪のかけらの話(いつも雪のかけらの話ばっかしてごめん)
𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖ライブではCD音源を聞いた私たちが想像したおとぎ話の世界が現実の世界に具現化されています。その最たる例が1stアルバムに収録されている「雪のかけら」だと思っていますし𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖ライブにおいてCD音源からライブで披露するにあたって1番「化けた」曲は間違いなくこの曲です。
CD音源では演者の表情もわからないし背景映像の字幕も見えるわけないですからね。

まるで舞台やアニメを見ているような「おとぎ話」の世界を、心地よいダンスポップミュージックにのせて、全世界に発信する新プロジェクト。

https://harmoe.jp/profile

と公式サイトにある通り𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖はダンサブルな曲が多いですよね。曲によってはダンス用にボーカル無しの区間を意図的に作っていますし。
バックダンサーがラプンツェルの長〜い髪を表現した1stでの空想エスケープ。
ピノキオの直線的な動きだったのが妖精に魔法をかけられて人間になりしなやかな振りに変化した2ndでのブルーフェアリー。
などなど実際のライブでもダンスが入ることでより一層おとぎ話の表現に説得力が出ます。

そんななかでバラードである雪のかけらは振り入れによる表現がどうしても制限されてしまいます。
ではどうしたのかと言いますとダンスをほぼ排して他の演出で勝負してきました。同じバラードのmake a pearlはダンサーさんも出てきますしダンスもしますが雪のかけらではほぼありません。というかありません。
𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖の他の曲が「動」のパフォーマンスなら雪のかけらは「静」のパフォーマンスとでも言いましょうか。
これはもうはっきり言って映像を見てもらうほかないんですよね。衣装も2人の表情も字幕も舞い散る雪も(Chu!丸投げでごめん!)

ライブに至るまでの筋書き

1stは「旅」
2ndは「善悪の物語」
明確にテーマが定まっていてそれがパンフレットや各グッズにも反映されています。
例えば、1stのパンフレットは旅行記風に写真が撮られていますし2ndのパンフレットは表紙で天使、悪魔の装いに身を包んだ2人がオセロをしています(裏表で色が変わるオセロというのが2ndライブのポイント)

1stライブのテーマはその直前に発売された1stアルバムの文脈が踏襲されています。

46億年前
母なる宇宙のもと
彼女たちは生まれました。

二人手を繋ぐと
太陽よりも小柄だけれど
月よりもちょっぴり大きめ。

雨となり魚となり
恐竜となって
地球を旅してきた二人は
今また人間となって
この地を
旅してみることにしたのです。

It’s a small warld

𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖 1stアルバム ブックレット

突然ですが「日本のおとぎ話」と言われてパッと何が思い浮かびますか?
桃太郎、浦島太郎といったおとぎ話が私はパッと思い浮かびます。みなさんはどうでしょう。
なんにせよ「一寸法師」が真っ先に浮かぶ方はあまりいないのではないでしょうか。

これに関しては𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖公式からも言及がありました。(どっかであったと思うんですけどソースが見つかりませんので知ってる方ご連絡ください)(アーカイブがない1stアルバムのリリイベだったかなぁ)
日本という国から外国に行くためには何が必要でしょうか。島国なので海を渡らなければなりませんよね。
なのでお椀の船で川をくだる一寸法師が選ばれたそうです。
このように一寸法師をすこし紐解くと日本のおとぎ話、旅、アルバムの一曲目としてこれ以上ないモチーフなんですね。
ライブでも一寸法師モチーフということでアクリルスタンドがステージ上に置かれる前代未聞の演出がありました。一寸が約3.3cmなので一寸法師より𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖アクスタの方がデカい。


善悪の物語

逆に2ndライブは筋書きをあまり事前に出さない手法を取ってきました。
2ndアルバムの曲も表題曲であるbrilliant and badを除く他5曲は事前にタイトルとクリエイターの情報のみを解禁して音源は一切明かされませんでした。
これまでの𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖はシングル曲のカップリング曲も事前にワンコーラスのみの視聴動画をYouTubeにて公表していました。1stアルバムもワンコーラスのみの視聴動画をアルバム収録順に段階的に公表するという手法が取られました。
これまでの𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖が「善」だから「悪」である2ndアルバムでは真逆の情報解禁の手法を取ったのでしょうか。
2ndライブにおいても「善悪の物語」というテーマが、善悪の種類を問わず楽曲が披露されるライブの中でだんだん解き明かされていく。そんな構成になっています。
2ndアルバムでは悪役である鏡の女王の鏡が割れて幕を閉じます。
しかし2ndライブでは曲順がアルバム収録順と異なっているので鏡が割れようとも(unfair mirror)ダンスの振り付けで王冠を取るような動きがあっても(Love is a potion)再びQueenで王冠を被り直します。アルバムとライブとの対比が私は好きですねぇ。

心だけは女王ーQueenーでしょ

Queen


𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖ファンクラブのブログや動画ではより事細かに演出等の意図が掲載されています。
楽曲の制作から衣装からジャケット撮影からMV制作から………etc
こうしたいからこうする。こうしたいからどうしたらいいを突き詰め各スタッフで共有することでより高いクオリティで観客である私たちの元へ提供されています。
それでいて受け取り手である我々が考察する余白を残してくださるので想像が膨らみ受け取り手が勝手に補完するというサイクルが生まれています。


月額500円
2ndライブ以降で会員がかなり増えたらしいです。
嬉しい限りですね。


𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖とは岩田陽葵さんと小泉萌香さんではない


Q.バカか?

A.はい

声優ユニットや声優のソロアーティスト活動でその人のアーティスト性、言うなれば個性や「らしさ」を一体どこに感じるでしょうか。
歌唱する本人が作詞もしくは作曲をしていたり、クリエイター側がその人のパーソナル性に寄せた曲を制作していたら感じることが多いのではないでしょうか。

___では𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖のらしさとは?

これまでの記事でも再三書いてきましたが𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖はおとぎ話をテーマにして楽曲が制作されています。
不思議の国のアリス、人魚姫、アラジンと魔法のランプ…etc
そこに個性が入り込む余地があるだろうか?
それらの物語を読んだり映像作品を見たりしたことがある方は思い出していただきたい。
その物語に岩田陽葵、小泉萌香という"キャラクター"は出ていますか?
出てるわけがない。当たり前である。
ならば𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖ライブでステージの上に立っているのは誰?

そのモチーフとなったおとぎ話の誰かなのです。

言うなれば𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖楽曲はキャラクターソングの一種とも言えるのではないでしょうか。
その最たる例が𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖 villans impressの6曲です。
(impress楽曲の解説は下記)

impress以前の楽曲ではおとぎ話の世界やシーン、概念のふんわりとしたイメージを落とし込んだ曲が多かったです。抽象的と言ってもいいでしょう。
そこからより具体的に悪役"キャラクター"にスポットを当てることでステージに立った2人が「演じている」と客席の我々が強く感じる要因になりました。
セリフのあるvoiceや眠れぬ森はそれが顕著に現れています。

小泉萌香さん「わたしたちのライブってMC無いんですよ」
森口博子さん「歌オンリー?」
酒井ミキオさん「(トークが)こんなに楽しいのに?」
岩田陽葵さん「だからダメなんですよ!」

Anison Days 第321回

演出でどんなに作り込んでいても肝心のパフォーマンスが岩田陽葵さんと小泉萌香さんになっていては観客の我々が「世界観」を強く感じることはないでしょう。
ステージ上では岩田陽葵さん小泉萌香さんの個性を抑え、おとぎ話を演じることで𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖らしさを生み出していると言えます。声優、舞台女優としても活躍するおふたりの演技、歌、ダンスなどのパフォーマンス力を信頼した魅せ方とでも言いましょうか。そしてこのキャラクターを演じるという行為は岩田陽葵さん小泉萌香さんの演技の経験や人生経験の賜物であり、つまり個性に他ならないのです。
個性を抑えることが個性?
なんだかこんがらがってきたな…

つまり𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖は岩田陽葵さん小泉萌香さんの個性をおとぎ話で覆い隠すことで”𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖らしさ”を生み出し、2人がステージの上で歌い踊り”演じる”ことで舞台女優でもある岩田陽葵さん小泉萌香さんの個性を引き出しているという矛盾を孕んだ構造になっているのではないでしょうか。
おとぎ話という空想の世界を舞台という現実に表すためにあの手この手で作り込み、作り物を本当にするために作り込めば作り込むほどに作り物としてのクオリティが上がる。なのでライブ公演だけでなく映像作品としての満足度も高い。

だから𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖とはフィクションなのである。


偶然の一瞬

これほどまでに作り込まれた𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖 WORLDにおいて、とあるアクシデントで現実のおふたりが顔を出しました。

𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖 1st Live tour This is 𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖 WORLD
東京公演 セピアの虹

イントロのピアノ部分を長くしてそこで𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖の2人がライブの感想を語る手法が取られました。
2人の感想が終わり曲に入り………

「「あっ…」」

クリック音を数え間違えたのか2人ともまだイントロのピアノ部分が終わらないのにダンスに入ろうとしました。1stだから!と笑って取り繕う姿が可愛らしい。
旅にアクシデントはつきものですよね。スマホの充電がなかったりとか明日のパンツを忘れたとか降りる駅を間違えたとか。よくある事だと思います。
そう言った意味でも偶然起こったアクシデントでありながら旅というモチーフと合致しました。

旅、アルバムの最後を飾る曲、そしてオズの魔法使い。
このセピアの虹という曲は𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖のこれまでの旅路を想う曲でありライブでは2人の感想のあとに披露されました。なのでこのアクシデントがなければもっとウェットに寄ったパフォーマンスになっていたのではないかと思います。東京千穐楽公演でしたし。
しかしこのアクシデントがあった事で満面の笑みで披露されました。

君が隣で笑ってくれるから

セピアの虹

足りないものを探しに世界へ旅に出た2人だったけど大切なものはずっと持っていた。

これほどまでに作り込まれた𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖ライブにおいて偶然に偶然が重なりあの瞬間だけは𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖ではなく岩田陽葵さんと小泉萌香さん、つまりフィクションではなくリアルでした。そしてそれが、セピアの虹が𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖1stライブを締めくくるのにふさわしいパフォーマンスになっているのは奇跡的ですね。
勝利の女神が微笑んだのでしょうか。

encore

アンコール。
1st2ndともにアンコールでは舞台に上がっていながら役を投影せずに岩田陽葵さんと小泉萌香さんに戻っていたかなと思います。
その上で1stのラストで気まぐれチクタック原曲版を披露したのは岩田陽葵さんと小泉萌香さんのためのセットリストだったのかなと思っています。

結に

ここまでお読みいただき誠にありがとうございました。
1stライブの東京公演のセピアの虹にどうしてあんなにも感動したのかを自分の中で噛み砕いて文章にしたら思わぬ長さになってしまいました。
𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖ライブの客席に初めて座った時の高揚感が少しでも伝わっていたら嬉しいです。
そしてなにより𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖に少しでも興味を持っていただき、𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖ライブに参加してここがすごい!ここはこう感じた!みたいなことお話しできたらこれに勝る幸福はございません。楽曲や演出の解釈はみんなバラバラで当たり前なので読んでくださったみなさんの解釈や感想もぜひ聞かせてください。

それではまたどこかの会場でお会いできることを心から願っております。
ありがとうございました。

信綱


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