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ビッグバンと悟り


今回は大きなテーマに挑戦しますが

途中で遭難しそうになったり

道に迷うこともあるかもしれません



それでも

何とかまとめる方向で

書いていきますので



よろしくお付き合いください







ひとも他の動物も椅子も机も

空も雲も山も川も

根底でつながっていて

すべてはひとつである


そして

この世のすべては

意識によって想像された

産物であるといわれます




そこには意味や概念は存在せず

時間や空間という概念

生まれて死んでいくという概念

始まりもなければ終わりもない

これらをスピリチュアルの世界では

「ワンネス」と呼んでいます




私のメンターである「松田 豊さん」

ワンネスについて

以下のように説明しています





この世界を作り上げたのは

あらゆるものを超越した

存在であって



私たちはいずれそこに

向かうことになっており

そのための条件が

この世のすべてに

愛を向けることだそうです

動画の内容は難解ではありますが

すべては自分の一部である

他人を傷つけるというのは

自分を傷つけるのと同じである

こうした気づきの向こうに

次のステージが待っている

まとめの中で話しています


始まりはひとつの意味


私たちはこの体があるために

どうしても

自分と他人という区別をして

ものを見ようとします



個々に分かれた体があるために

どこに住んでいますか?

と問われれば

「私は祖師ヶ谷大蔵」

「私は千駄木です」

「私は住吉」

「私は天神」とうように

生活の場である空間を答えます




視点をもう少し上に持っていけば

東京や大阪といった答えになりますし



もっと上から見れば

日本とかアジアとなり



やがてすべての人は地球人と答えます





その地球は46億年前に

塵とガスが集まって出来ました




数度の隕石や惑星の衝突に会いながら

38億年前に安定した海から

タンパク質やら何やらが

なんちゃらという変化を起こして

生命が誕生して私とあなたになりました



つまり

岩も水も初めからあったわけでなく

すべては塵とガスから始まったのです




何千年も前に釈迦やキリストが

すべては一つであると説きましたが



地球の歴史を科学が解き明かし

ワンネスの証拠を示したのです


これは素粒子の小さな世界でも

同じことが証明されていて

すべて物質は細かくしていくと

素粒子にたどり着きます



そこに上位も下位もなく

優劣の別もありません


神様は遠くに存在していない


ワンネスについて調べていくと

どうやら神という存在は

人間があらゆる次元を上昇させ

完全なる存在となった


その結果であるようです




その神的領域が宇宙を創り

銀河系を創り地球を創り

人間を創ったのであり




人間が神の一部であるとは

そうした考えが基になるようです




神とは意識体の集合であって

その意識体は時間も空間も

始まりも終わりも超越した

「完全」なる存在です




その存在はなぜか「不完全」を

創るために宇宙を創造します

「完全」な世界には

すべてが思い通りになるのですが

嬉しいも悲しいもない

自分という自我のない世界です




この自我の崩壊が反転して

「不完全」な世界を生み出します

これがビッグバンといわれる

宇宙の仕組みなのかもしれません



「完全」なる存在が作り出した

「不完全」な世界で人間は生まれ

その存在を「完全」なものへと

近づけていきます





仏教の死生観の中に

「輪廻転生」というものがありますが

生まれ変わりを10万回した後に

仏に到達するとしています



この仏が「完全」なるものを

あらわした存在かもしれません



あるいは「完全」になるために

必要な存在が仏かもしれません




私たちは神や仏が

遠く離れた存在のように

考えてしまいますが




私たちが次元上昇の末

到達した姿であって

その存在がまた私たちを

創り出しているのですから



神や仏が内なる自分であるとは

そういったことなのでしょう

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苦しみを作らないと苦しみを抜けられない


魂を成長させるということは

執着や頓着する心を離し



幸せも不幸もそれを受け取る心が

意味を作り出していることを

学び悟ることです




若さに執着する意識が

老いの苦しみを作り出しますし



健康に執着すために

病を忌み嫌う存在とします



死への恐怖も生への過度な執着です





この執着によって生まれる

苦しみがあることによって

魂の解脱という概念が生まれます





「不完全」な世界は「完全」を

目指す上でなくてはならないわけです





すべての事象を自分の都合だけで

とらえているうちは

「不完全」な世界から

脱することはできず



大きな世界観を中心に据え

その中に自分が生かされている

ということを悟れば

「完全」な世界に近づける

仏教ではそのように説いています




「完全」がなぜ「不完全」を創るのか

「不完全」はなぜ「完全」を目指すのか





そこに意味などはなく

そういうものだと

解釈するしかありません




今回はとても難解なものに

挑戦してみましたが

自分でも咀嚼できていない部分もあり

読みづらいものになってしまいました



いつの日かもっと学びを追及した後

再度このテーマで書いてみます





ここまでお読みいただき
ありがとうございます

あなたのもとに 

素晴らしいことが

たくさん たくさん

降り注ぎますように


サポートしていただければ大変うれしいです もっともっと読み応えのある記事を執筆してまいります