知人には言えない話 その2

自分の心の中の裏の自分というと、多重人格者と考えられるかもしれないが、そういう訳ではないと思ってはいる。
誰だって本音と建前は存在しませんか?
だから、多重人格者で精神科や心療内科のご厄介になるレベルなのかは分からない。
ただ確実にある、いる。違う感覚を持つ自分。
そんな自分が
「俺は家族じゃない」
と目の前の2人と父を思い浮かべて、何度も繰り返している。そして、表向きの自分もこの件に関しては同意をしている。とは言え、嫌いとか憎いとかそういう訳ではない。
変な話かもしれないが、むしろ俺が家族だと思うのは申し訳ないと思うのだ。

今現在の話を少しすると、これを書いてる前日父が肺癌ステージⅣであることが判明した。骨にも転移しほぼ治療の施しようがないと聞かされた。
その前日に、ここ数年で1〜2度しか連絡を取っていない妹から突然着信とLINEのメッセージが立て続けに飛んできた。
俺にとって身内からの連絡がいい連絡だったことはほとんどない。見た瞬間に何となく察してしまった。父の事だ…
最悪を想定しつつ、運転中の車を最寄りのコンビニへ泊めて電話を返した。着信音の音が流れる出すのと同時に電話が取られた。
そうか…
予感が悪い方に収束していくのを感じながら妹の言葉を促した。
その日分かったのは、肺癌であることと、精密検査は必要だが、かなりよくない状況だということ。予約が1〜2ヶ月かかるがんセンターが翌日時間を用意するくらいだ。
そしてそれは、お母さんの時と同じだ。初めてお母さんの癌が発覚した時、症状がだいぶ進行していて、やはり、予約の取れないがんセンターがすぐに時間を開けてくれたらしい。それでもお母さんはステージⅢからⅣの手前ぐらいで、手術をする事ができた。それから約3年後再発が発覚し、そこからは急速に身体は衰弱していき、2ヶ月程で亡くなってしまった。
社会人1年目の終わり、半年前から決まっていた仕事を辞める日の10日前に連絡を受けて、仕事の最終日を迎えてすぐに地元へ戻ると母親は面影がほんのわずかに残るくらいの姿で病院のベッドに横たわっていた。
お母さんの姿を見てショックを受けたことに、さらに大きなショックを受けたことを今でも覚えている。

そしてこの後、母が亡くなり葬式が行われ数日間実家で過ごす事になるのだが、この期間で初めて、そして決定的に
「俺は家族じゃない」
とはっきりと気づくことになる。

その3へ(予定は未定)

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