高校を卒業した          

 以下はYoutubeチャンネル「雷獣」の動画、「【神童】灘の先輩・川上拓朗さんに、東大合格への軌跡をすべて聞きました」
の説明欄の文章です。

こんにちは、川上です。

好きなんだけど、ふと、自分もこうなりたかったなと思って悔しくなるコンテンツ、ありませんか?僕はあります。もし3つ挙げるなら、月ノ美兎、ダ・ヴィンチ・恐山、そして雷獣です。

雷獣の先輩であり、最古参ファンでもある僕ですが、画面越しに彼らの話を聞いていると、すごく切なくなることがあります。僕と彼らでは、過ごした中学高校生活の階層が明確に違うのです。それはもう、取り返しのつかないほど。

僕と似たようなモヤモヤを感じながら雷獣見てる人、いるでしょ。でも、それでも良いんじゃないですか。あのとき仲良くなれなかった楽しそうな奴らが、せっかく会話を聞かせてくれてるんだから。同じ教室なら寝たフリして盗み聞きしなきゃいけないけど、画面越しなら声出して笑っても大丈夫だし。

そんなわけで、僕の人生グラフ中学高校編です。大人になったら中高のことなんて覚えてないって、ふつう。そうだよな、みんな?

https://m.youtube.com/watch?v=x9EKKiVoSkg

 「僕と彼らでは、過ごした中学高校生活の階層が明確に違うのです。それはもう、取り返しのつかないほど。」
という一節があります。共感すると同時に、この喪失感を言葉にできる能力の差を感じました。

 僕は中学受験はしませんでしたが、小学校のころから周りの人よりは勉強ができて、勉強のような目に見える能力を第一として生きてきました(なのに怠惰)。

 そして今まで心のどこかで、頭がいい人間は本気を出せばコミュニケーション力もリーダーシップも人よりあると思っていたのです。でも僕はそうではなかったし、僕が無意識に馬鹿にしていた人とは、「階層が明確に違う」かったです。一方、自分より頭のいい人がコミュ力もリーダーシップも容姿も兼ね備えていることもあります。「全部持っている」人間です。

 こういうことを認めてしまうと、今までのアイデンティティを失ってしまいますよね。僕は高校生の間このことを認められずに苦しかったです。もう少し早く認められたなら、卒業式の日に一緒に写真を撮るような人が増えていただろうと思います。階層が変わったでしょう。

 卒業式の日に、僕は「階層」を身に沁みて感じました。他の人は友達との別れに悲しむ一方で、僕が感じる悲しみは、他の人の送った高校生活との密度の差からくる喪失感でした。

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