名大理学部受験記総括 クソ長文

 僕は地方の公立中学校に通っていた。中学校では受けるテストの半分くらいは学年1位だった。そこでは人並みに勉強した。そして県で一番の普通科の公立高校に入学した。現在のみんこう偏差値を見てみると64だった。

 入学直後は推薦を除いた約250人中上位20番くらいだった。運動部に入った。人と仲良くなるのは苦手だった。勉強時間は一年生前半では他人の半分くらいだった。一年生のときに3回受けた進研模試の偏差値はそれぞれ70,77,75だった。一回だけ京大がc判定だった。77を取ったくらいのとき,担任との面談で東大の名前を出された。そこから模試の第一志望には東大を書くようになった。文理選択では普通に理系を選んだ。

 一年生の後半では勉強時間は0に近かった。夏休みに勉強をしなくなる負のスパイラルが完成したからだ。1年生のときは特に辛かった。勉強しようと思っていてもスマホとiPadから手が離れなかった。1日を終えたときに絶望してしまうような時間の浪費を繰り返した。そうしたら寝る気も起こらなくなって勉強しようとするが,結局スマホをいじってしまう。深夜までブルーライトを浴びるから,眠りの量も質も下がった。部活も割ときつかったので,授業中は寝ることもあった。こんな感じだったけど,模試の偏差値はまだそこまで下がらなかった。

 2年生になると,クラス分けがあって理系は最上位クラス,上位クラス,普通クラス2組に,名前は違えど別れることになる。クラス分けの基準は4回ある校内一斉の課題テストのようなものだった。僕は模試は40番以内に大体入っていたが,課題テストは勉強していないので点が取れなかった。不満を持ちながら最上位ではなく上位クラスになった。2年生の進研模試3回は全て偏差値70だった。家で勉強はやっていなかったけど,授業でそこそこ頑張ったのと,自分の地頭が周りより良かったから成績は下がらなかった。

 僕は今でも理由がよく分かっていないが友達がいなかった。クラスのグループみたいなものにも所属できなかったし,クラスメイトと3人になるときは必ず1人のほうになるかんじの距離感だった。クラスに特に友達もおらず最上位クラスに入れなかった自分は,俗物っぽいクラスメイトを内心よく見下していた。

 3年にあがるときも5回の課題テストによってクラス分けがされるが,僕は上位クラスにさえ残れなかった。僕は一応東大志望だったから,そのときはプライドが許さなかった。最初は普通クラスが嫌だったけど,クラス内順位が大幅に上がったのと,同じように上位クラス落ちのクラスメイトがいたから気持ちが楽になった。   

 3年生になって部活も総体で終わったので,勉強時間はある程度増えて,1日平均3時間くらいするようになった。休日の朝は油断するので休日の勉強量も同じくらいだった。3年生の進研記述の偏差値も紹介すると,67,70,67だった(3年生の母集団は1,2年生のそれと多少違うことは念頭に置いて欲しい)。順位で言うと30/160(理系)くらいだ。勉強量は増えたけどおそらく勉強量偏差値は変わっていないので成績は2年生から変わっていない。

 僕は本気出せば今からでも東大は受かると秋まで思っていたが,秋に初めて受けた東大実戦模試で完全に諦めがついた。11月くらいになると,残り時間に対する勉強ができていない内容が多すぎることに気づいて,これを高水準まで持っていくのはかなり難しいと分かったので,東大の船降り先として京大をすっ飛ばして阪大にした。東大志望が阪大に下げた場合,通常はかなりのヌルゲーとなるが,僕はファッション東大志望のレベルだったので,ギリギリのラインだった。このあたりから学校でも共通テスト対策に注力し,共テ模試も最盛期の真っ只中である。僕は地頭重視の共通テストが二次より得意だったので,阪大もB判定以上が結構出ていた。しかしこの時期の僕は,二次試験が苦手なので,恥ずかしながら二次過去問から逃げていた。

 そのうちに共通テストを迎えた。共通テストの自己採点は732/900だった。二次試験ができるなら十分阪大に出せる点数だったが,実力不足だった。出願締め切り10日前くらいに,自己採点を用いた志望校判定を資料として,三者面談で出願校を決定する。僕は面談前は阪大を考えていたのだが,面談で担任に前期北海道とか筑波とかを勧められたのでショックだった。中期後期に勧められた大学もショックだった。結局阪大は厳しいと僕も認めたので,最小の妥協で名古屋大学に決めた。学部は少し前から理学部に決めていた。二次試験までの期間はあまり勉強できず,集中力をなくすくらいだった。入試前日はかなり緊張してあまり眠れなかったが,無事合格した。合格発表は五分五分の感触だったので怖くてなかなか見れなかった。合格直後は安堵感を覚えたが,達成感は感じなかった。多分努力をほとんどしていなかったからだろう。

 受かってからしばらくたった今思うことは,大学を過信していたということだ。いい大学に入ったら自分のアイデンティティになると思っていた。けどこんな思いで難関大学に入っても上には上がいるということは明白なので,なにか満たされない気持ちになる。どうにか自分の考え方を変えないと一生幸福になれないだろう。阪大を一蹴してくれた担任には感謝している。阪大だったら落ちていた気がする。肝心の家族に対する感謝は出てこない。同い年のみんなは出てくるようだけど,口先だけだよね?僕はこれから30年も生きて初めて分かるようになるんかな?親の気持ち

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