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ASKA コンサートツアー Made in ASKA 追加公演 in 日本武道館 レポート

九段下。

ライブで下車するのはいつ以来だろうか。

2番出口をエスカレータで登り、左を向く。
そこには新緑が鮮やかな皇居のお堀が広がっていた。

田安門をくぐる手前で「たまねぎ」が目に飛び込んでくる。
しかし、改修工事中のため、足場に覆われていた。

武道館の正面近くにやって来ると、来場された方々が武道館にスマホを向け、写真を撮っている。

2012年1月22日、昭和が見ていたクリスマス!?以来7年ぶり、コンサートツアーでは2011年1月26日に行われたFACEs ツアー以来、実に8年ぶりの日本武道館公演なのだ。
それだけにファンのテンションも高い。

抜けるような青空、映える朱をバックに金で彫られた「館道武」の文字。
そして、黒を基調に作られたツアータイトルのサインボード。
これこそ、ASKAが武道館へやってきた証だ。

比較的早い時間に現地へ赴いた私は、場内から漏れ聞こえるリハーサルの音を遮るように「フォレスト北の丸」で武道館と青空を眺めながら、まるで祝杯をあげるようにビールで喉を潤した。

開場直前、正面近くで妻と合流。
グッズ売場を周回し、売店へ向かう。
水分と若干の食材を補給し、場内へ。

この日、私たちに用意された席はアリーナ席。
それも、11列目という素晴らしいものだ。

コンサートの本編が始まる前、私は天井を見上げながら、場内をぐるっと見回した。

あと数日で平成が終わるが、私が初めて、アーティストのコンサートを見たのがここ、日本武道館だった。
1989年12月13日、CHAGEがMultimaxとして初めてソロのライブを行ったその日、私はこの場所で、初めて生の音楽に触れていたのだ。
ある意味、自分の原点とも言える場所で、平成最後のライブを見届ける事になろうとは。

開演前、場内にはChicagoの曲が流れていた。
その、Chicagoの曲が終わり、場内が暗転しないまま、聞き覚えのない曲が始まる。

「1964 to 2020年 東京オリンピック」。

この曲は以前、正直者のASKAが井上公造にデータを送り、ミヤネ屋で勝手に流され物議を醸したもの。
初めて聴いたのは宇都宮公演の際だが、実に素晴らしい。
「G線上のアリア」や「威風堂々」にどこか似たような、壮大かつ、優雅ながらも、躍動感のあるその曲は、ASKAがオリンピックで躍動する選手たちのイメージを膨らませて作ったものという。
私はよく、曲が流れると、脳内で勝手に情景が浮かんでくるのだが、この曲ではオリンピックではないものの、躍動するスポーツ選手がスーッと浮かんだのだ。
今すぐにリリースしてほしい。

曲がアウトロに差し掛かる頃、場内が暗転し、「未来の勲章」のイントロが始まるとともに緞帳が上がった。

歌い出しで私は異常に気がついた。

ASKAが鼻声なのだ。

この日はDVDの収録の日でもあるが、昔からASKAは収録日に体調を崩すことが多い。
それは今回も例外ではなかった。

「明け方の君」が終わり、最初のMC。
やたらと早い。
早回しのように終わったMCの後に流れてきたのは「cry」。

1995年4月、ASKAがプロデュースしてデビューした黒田有紀のデビュー両A面シングルだ。
ファン投票アルバム「We are the fellows」への投票結果、嘗てライブで数回披露されたこの曲への票数があまりにも多く、ASKAがレコーディングをし、「Made in ASKA」に収められたもの。
この曲はASKAの愛娘である宮崎薫さんもライブで歌うことがある。

曲が始まり、Aメロ、Bメロと進む。
しかし、どことなく違和感がある。

ASKAの歌うピッチが早い。

「cry」が披露された過去のライブを見ているが、このようなことは無かったように記憶している。
2番の終わりでは、サビをもう一度繰り返してしまう歌い間違いもあった。
流石にここまでくると、体調面がかなり深刻な状態なのではないかと思ってしまう。
残念なことにそれはその後、現実となる。

「めぐり逢い」の後に、ASKAでは聴き覚えのないアレンジの「Moonlight Blues」が流れてきた。
「ASKAでは」と前置きしたのは、このアレンジはシャ乱Qのつんく♂がリリースしたカバーアルバムに収められているそれとほぼ同じアレンジなのだ。
本家がカバーされたアレンジを採用する、極めてレアなケース。
どうしてこのアレンジが採用されたのかが気になる。

MCの後、名曲「はじまりはいつも雨」が始まる。
イントロと曲の入りで「おっ!アルバムVer.か!」と喜んだのも束の間、途中から「12」に収録されているVer.が加わってしまい、中途半端なアレンジとなっていることに気が付いた。
これは本当に残念。
「はじまりはいつも雨」に関しては「シングル版」「アルバム版」「チャゲアス版」「Gutギターソロ版」「12版」「BankBand版」など、様々なバージョンが存在するが、この様なバージョンの掛け合わせは今回が恐らく初。
しかし、とても中途半端に感じた。
それは歌っているASKAが「アルバム版」を演奏中に「12版」で歌ってしまったり、その逆で歌ってしまっている部分を何度となく聞いてしまった。
「そんなに間違えるのであれば12版に固定して欲しかった」と言うのが私の正直な感想だ。

「いろんな人が歌ってきたように」が終わった後、このツアーでは恒例の「もぐもぐタイム」が始まった。
しかし、ASKAが「メイク直し」と言う事で一度、舞台袖に退いた。
ライブ中に舞台袖へ退くなど、これまであまり記憶にない。
「やはり体調が良くないのでは?」と感じた。

ちなみに、この日のもぐもぐメニューは「赤坂離宮銀座店」の「杏仁豆腐」だった。

もぐもぐタイムが終了し、メンバー紹介が始まった。
しかし、宇都宮で聞いたそれとは異なり、かなりのハイペースで紹介している。
澤近さんを紹介した後、「FUKUOKA」が始まる。

澤近さんの奏でる、優しく、情緒溢れる「FUKUOKA」のイントロはいつも素晴らしい。

しかし、ここでも違和感が。
ASKAがモニタに腰掛けた状態で歌い始めた。
これは1番を歌い終わるまで続いた。

かなり体調が悪い、それは手に取るように明らかだった。

その後、武道館の中を暖めるように「リハーサル」「と、いう話さ」と徐々にオーディエンスの熱も上がってくる。

そして。

先ほどのMCの際、こそっと木村姐さんの右に設置された「チューブラーベル」が活躍する曲のイントロが流れてきた。

「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」

1995年1月1日リリースのこの曲は、それまでのASKAソロのイメージをぶち破るロックテイストの強い楽曲であり、当時、人気絶頂で全く同じ発売日であったtrfの「Crazy Gonna Crazy」を押さえ、オリコンウィークリーチャート初登場1位を記録。
これは前作、「はじまりはいつも雨」でも成し遂げることができなかった記録である。

そんなこの楽曲のライブでの見せ場はなんといっても間奏。

古川昌義、ASKA、鈴川真樹の3人が並んで張りあうかのように3連で弾く。
これがいい。
それはこの日も健在で、3人ともに楽しそうに弾いている姿が脳裏から離れない。

その後、CHAGE and ASKAの楽曲である「ロケットの樹の下で」を挟み、Black&Whiteに収録されている「今がいちばんいい」と言う曲に移る。

この曲はこのツアーの本編で、最もオーディエンスがステージ上とリンクする曲と言っても過言ではない曲だ。

コーラスの二人は前に出て、ノリノリで笑顔を会場中に振りまく。
笑顔を振りまいているのはコーラスだけではない。
ステージ上でパフォーマンスしている全員が笑顔なのだ。
古川さんは本人の拘りでギターとの配線をアナログにしているが、このラインを揺らしながら、素晴らしい笑顔を見せてくれていた。
古川さんの対面でギターを担当している鈴川さんも飛び切りの笑顔を見せてくれていた。
ピアノの澤近さんも、ベースのメッケン(荻原基文)も、ドラムの手数王(菅沼孝三)も。
ステージ全員が笑顔だった。
そんな印象的な曲、ステージ映えする曲がこれだ。

「今がいちばんいい」の後、どこか聴き覚えのあるイントロが始まる。
それは「太陽と埃の中で」のSTAMP ver.である事に、時間は掛からなかった。

その曲は「歌になりたい」と言うタイトル。

嘗て「太陽と埃の中で」が出来た際、ASKAはライナーノーツで「合唱曲を作りたいと思った」と書いていた。
実際、各地の合唱コンクールにこの曲を選曲したところがあったとか。

「歌になりたい」は個人的にその「太陽と埃の中で-第2章-」の様な、曲の展開があると感じた。
もっと言うなら、「太陽と埃の中で」と「世界にMerry X’mas」を足して2で割ったような印象。

そんなこの「歌になりたい」は、2009年に発売された「あなたが泣くことはない」以来、実に10年ぶりのシングル発売を考えているそうだ。
Twitter上では「ASKAブーム再燃間近だ!」との文字を何度も見かけたが、仮にそれが事実なら、このシングルは大ヒット間違いなしだろう。
あくまでも「事実なら」だが。

ライブの本編はここまで。
この後はアンコールに移るということで、一度ステージ上の全員がステージ袖に消える。

ステージに戻ってきたASKAがこう言った。

「やらない方が恥ずかしいからねー!」と。

始まったのは西城秀樹さんの大ヒット曲「YOUNG MAN〜Y.M.C.A.〜」。
この会場の年齢層からして、誰でも知っている70年代の名曲。
この曲を演奏中、やはりステージはノリノリである。

会場全体もノリノリで曲が終了し、余韻が大いに残る中で、あの曲が始まる。

CHAGE and ASKAの名曲「YAH YAH YAH」。
1993/3/3発売。93年の年間シングル売上で、B’z最大ヒットシングル「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」を超え、第1位となった「モンスターシングル」である。

アレンジは恐らくシングル版かアルバム版。直近にあった「一拍分の静寂」を持つ、あのアレンジではなかった。

この曲で嬉しかったのは3点。
1.BLACK EYESの二人が演奏に参加していること。
2.武道館で拳を上げているオーディエンスを見渡せたこと。
3.オーディエンスのChageさんパートが西さんを凌いだこと。

また、この曲で残念だったのは以下の通り。
A.コーラスがChageさんではない。
B.YOUNG MANとの繋ぎが雑。

「1」についてはチャゲアスが所謂全盛期の頃、バックバンドとしてサポートしてくれていたのがBLACK EYES。
命名者はChageさんで、当時のヤマハの事務所が目黒にあったことに由来する。
このメンバーに入っていたのが、今回のサポートメンバーである澤近さんと菅沼さん。
この二人が参加している中でこの曲を聞くことができたこと、それがこの曲で一番嬉しく、感慨深かった。

「2」はサビでオーディエンスも拳をあげるが、それをアリーナから見上げ、スタンドをぐるーっと見渡すことが私の至福の時間だった。
今回、それを再び行うことができたこと、それが嬉しかった。

「3」は本来Chageさんが担当するコーラスパートは今回、西さんが代打で務めていた。
後ほど改めて書くが、この日は各パートのミキシングがあまり良くなかった。
特にコーラスの西さんのマイクはあまり出ておらず、「西さん、大丈夫か???」と心配になるくらい。
そのせいもあるかとは思うが、サビ以降のChageさんのパートは、オーディエンスが日ごろ鍛えた喉を披露し、Chageさんの不在を埋めようと必死に声を張り上げた結果、西さんのコーラスを凌駕した様に思えた。
少なくともアリーナ11列目でChageさんパートを歌っていた私にはその様に聴こえた。

「A」はそもそも、この曲を含め、CHAGE and ASKAの楽曲を今回のツアーのセットリストに加えるべきではないと考えている。

嘗て、ASKAさんのソロツアーはソロの楽曲のみで構成されていた。
ASKAさん自身も「CHAGE and ASKAとソロ活動は別物。ソロ活動で得たものをCHAGE and ASKAに繋げていきたい」と話している。
その定義がある時から崩れ始め、1曲、また1曲とCHAGE and ASKAで歌われた曲がソロツアーで披露される様になった。
きっと、ASKAさんはこれまでの延長線上で、歌いたい曲を歌ってきた。ただそれだけだったのだと思う。

しかし、今回のツアーはASKAさんが事件を起こしてから初のバンドツアー。
ASKAさんが逮捕され、その事件に対する判決が出て保釈され、裁判が結審されるまで、チャゲアスの楽曲は世の中から完全に追放された。
それはASKAさんと共に時代を築いてきたChageさんのコンサートでも例外ではなかった。
逮捕前のツアーから結審した後のディナーショーまでの633日という間、自身の曲であっても「チャゲアスとして発表された曲だから」という理由だけで、コンサートがあってもステージでの披露されることはなかった。

このツアーには「40年のありったけ」というサブタイトルが付いている。
この「40年」というのはASKAさんがCHAGE and ASKAとしてデビューして40年という意味だ。
ASKAさんがソロとして世の中に楽曲を初めてリリースしたのは1987年なので、今年で32年になる。

このツアーの前、ASKAさんはビルボード社から提案された「ビルボード・クラシックス」を数公演行っている。
この公演におけるASKAさんの立場は「ゲストボーカリスト」だ。
即ち、ビルボード側から「この曲をやってくれ」と言われてCHAGE and ASKAの楽曲をセットリストに組み込んだ可能性も否定できない。

しかし、今回のツアーは自身で構成を決める「バンドツアー」。

その最初のツアーでいきなりチャゲアスの楽曲を含めるのは時期尚早であり、暫しの禊期間は必要であると思う。
それはファンに対して、そして何より、長年共に歴史を作り上げたChageさんに対する敬意を表する必要があるはずだ。

マスコミの前で正式に謝罪してほしいとか、そんなことは微塵も思っていない。
しかし、謝罪に近い何か。とりわけ、ファンやChageさんであればわかることで表現をして欲しかった。
これまでの様な「歌いたい曲を歌う」形ではなく。

ASKAさんは昨年、執行猶予期間が明けている。
つまり、社会的な制裁は済んでいる。なので、そういった世間からの意見には堂々としていて欲しいし、堂々と楽曲制作やライブ活動を行っていて欲しい。
しかし、あの日、マスコミの前でトレードマークである帽子を取り、「メンバーがご迷惑をおかけしました」と頭を下げたChageさんにはそれでいいのだろうか。

今回のツアーで披露されたチャゲアスの楽曲はこの「YAH YAH YAH」や前述の「Moonlight Blues」、「ロケットの樹の下で」の他にも「Man and Woman」、「LOVE SONG」、「めぐり逢い」、「NOT AT ALL」を披露している。
これらをASKAさんのソロ楽曲に差し替えて行うことは出来なかったのだろうか。
それとも、何か披露ができない理由でもあるのだろうか。

ASKAさんのソロ楽曲も素晴らしいものばかりなのに残念だ。とても残念だ。

「B」は「YAH YAH YAH」の前に披露された「YOUNG MAN」は大いに盛り上がり、オーディエンスは大いに興奮状態だった。
「YOUNG MAN」の後に「YAH YAH YAH」を持ってきたこと自体は問題ないと思う。
しかし、イントロが始まった瞬間、「YOUNG MAN」とは別の曲が始まったことすら判断出来ない様な間合いだった。

この「YAH YAH YAH」は今後行われるアジアツアーで披露するための「リハーサル」とのことだ。
だからと言ってツアーで披露される1曲であることに変わりはない。

「たかが間合い」かもしれないが、ライブにおける曲と曲との間は重要な意味を持つ。
その重要さを私はChageさん、ASKAさんのステージから教わった。

その間をこのアンコール1曲目と2曲目では軽視された気がして非常に残念だった。

コンサートはその後、谷川俊太郎さんの「朝のリレー」を歌詞に取り入れた「UNI-VERSE」でエンディングを迎える。

今回のコンサート全体で思ったのは以下の内容だ。
a.CHAGE and ASKAの楽曲を復帰初のバンドツアーである今回のセットリストに含めるのは時期尚早ではないか
b.スピーカーから発せられる音のバランスが悪い
c.終演後にアップされる本人のブログで「言い訳」をする必要はあるのか

「a」は前述しているので割愛。

「b」については、武道館公演では「YAH YAH YAH」の項目で触れた通り、ASKAさんのボーカルに対し、コーラスのバランスが特に悪く、西さんの声は殆ど聞こえなかった様に思えた。
ご本人の体調が悪いとは受け取れなかったが、仮に体調が悪く、発音が小さいということであれば、それをPAが察知し、適切な音量調整がなされるべきだったのではなかっただろうか。

「c」について。
ASKAさんは事件後、当初は期間限定として始めたブログを今も継続的に更新している。
それはコンサートが終わった後にも更新される。
追加公演は3公演行われたが、その3公演全てで触れている話題がある。

それは自身の体調についてだ。

とりわけ、喉が不調であることを常に訴えている。

以前からASKAさんはツアーのどこかで風邪を引いてしまうことがあった。
それ自体は決して珍しいものではない。(それはそれで問題ではあるが)

何が問題かというと「実は高熱で体調を崩していたが点滴を受けてステージに立っていた」という内容をブログにアップしたことだ。

ブログを書くのはいい。
一つのツールとしてうまく使う分には何も問題ない。

しかし、言い訳のツールとして使うのはどうだろう。

「史上最悪の喉の調子」と言われた98年の「kicks」の時でさえ、当時の取材やラジオ番組ではそれを言い訳にしなかった。
札幌で行われたカウントダウンライブでは、体調不良であったことを数年後に明らかにした。

体調不良であったこと、またどの様な対応をした上でステージに登ったことなど、本当にファンがリアルタイムに必要な情報なのだろうか。
それは視点を変えると「高音が出ないのは体調不良が原因なので、そこは多めに見てください」と言っている様にも見える。

「ライブは試合と同じ」と嘗てASKAさんが発言していた記憶がある。

であるならば、どこの世界のプロスポーツ選手が自身のブログやSNSで言い訳をするだろうか。

プロ野球選手が「あそこの三振はカーブを待っていたところ、ストレートが来たので三振してしまいました」と弁明するだろうか。
プロサッカー選手が「あの場面はバックパスを選択したもののパスが弱く、相手に奪われてしまいました」と弁明するだろうか。

インタビュアから仮に聞かれても、「あれは僕のミス」と答える選手が殆どではないだろうか。

プロであることの美学、それは「言い訳しない美学でもある」と思う。

嘗てのASKAさんは、そう言ったツールを持っていなかった事もあるだろうが言い訳をしなかった。
後からネタにすることはあっても、その場やツアー終了後のインタビューでも言い訳している姿はなかったと思う。

正直なところ、今のASKAさんにあのブログは不要だろう。

そもそも、喉の調子の不安定さが原因なのだ。
今回の喉の不調は追加公演であるこの日本武道館、その後の大阪フェスティバルホール、最終公演である愛知県芸術劇場と全てで発症。
今回のチケット代金は約9,000円なので、3公演でおおよそ1.2億円ほどのお金が集まっている計算になる。

1.2億ものお金が動いているにも関わらず、「ごめん!声は出ないけど、一生懸命歌うから」で許されるのだろうか。

そしてそれは「たまたま」でも起きていい事態なのだろうか。

その「たまたま」の確率があまりにも高い現状を、ファンは良しとして良いのだろうか。

今がいちばんいい。
その姿勢は理解する。
ただ、今も続けなければいけない大切なこと、大事なことを彼はどこかに置き忘れて来てしまった気がしてならない。

あの頃のASKAは
僕らが誇りを持って憧れていたASKAは
どこへ行ったのだろうか。

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