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自分を表現していく

旅の終わりから一夜明けた。
帰ってきたら身体がガチガチなのに気づいて近くのマッサージ屋さんに行って60分間ゴリゴリしてもらった。何でこんなに硬いんですか?聞かれたから、待ってましたとの如く説明をばわぁーと浴びていただく。

東京から博多まで電車で行ってですね、そのあとあちらこちらで下車して宿泊し東京に帰ってきました。あ、青春18切符という、こんな名前ですけども期間限定で誰でも買える周遊切符でして、(以下省略)
笑い声ともに聞いてくれたので大満足。

マッサージから帰ってきたら沖縄花火の当落時間にぶつかり、運良く当選しわーいなんて思ってたら、落選の方を多くて、え、まじで当選祭りかと思っていたらそうではなかったようだ。

しかも、ずっと息を潜めていたAbema TVから8/25の特番のニュースも飛び出し、おいおいまじかよ、その日にCM撮影を応募しようと思ってたのに無理じゃないか。東京の撮影日は25、26日だが、26日エーネに行く予定なんですよ。もうどうしよう何て考えていたらnoteの更新が今日となるという、前置きが長くて恐縮。

やっと本題。
旅の最終日、朝6時ごろに東京に到着。必要のない荷物をロッカーに預け、東海道線に乗り込み三島にあるIZU PHOTO MUSEUMで星野道夫さんの写真展へ向かう。

一昨日の晩に、岐阜県大垣駅を出発して東京に帰ってきたわけだか、そのあいだに三島はあって、停車駅の浜松や小田原、横浜でも乗り換えが可能ではあったのだが、到着時刻が早すぎてしまい降りてもできることがあまりないので一旦東京に戻り折り返すというルート。

当初、早朝に東京到着で終わりと考えていたけれど、最終日が朝の6時で終わってしまうのは勿体無いということでこのプランを思いついた次第。

IZU PHOTO MUSEUMが開く2時間ぐらい前に三島駅に着いたため、それまで街を散歩することに。

その様子はこちら


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IZU PHOTO MUSEUMはクレマチスの丘という、美術館や庭園などが点在している複合施設の中にある。今回の目的地にして旅の終わりの場所。

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IZU PHOTO MUSEUM 没後20年 星野道夫の旅

展示の内容は、以前銀座の松屋で行われた写真展とおそらく同じだったように思うけど、展覧会は行われる建物の作りに依存するから印象は大きく変わる。

展示はいくつかのテーマごとに分かれていて、分かれ目の通路がすごく狭く1人しか通れないぐらいの幅。アトラクション感覚で次の部屋に入るワクワク感を味わえた。

写真の隣に言葉が書かれているコーナーが随所にあり、もっともこの言葉が好き。

目に見えるものに価値を置く社会と、見えないものに価値を置くことができる社会の違いを僕は思った。そして、たまらなく後者の思想に惹かれるのだった。夜の闇の中で、姿の見えぬ生命の気配が、より根源的であるように。

この言葉との出会いは「地球交響曲第3番」という映画の中。

「目に見えないもの」に焦点を当てただけでなく、「価値を置くことができる社会」と表現されていることにとても感銘を覚えた。

大切なことは、世界を二分にしないこと。
対立せずに共存をしていけることをこの言葉から学んだように思う。

自然の中で、人間はどちらかといえば異物にしかならないようにも思うけど、でも星野さんの沢山の写真や言葉を通して同じ生命ある同志のような感覚を持てるようになったり、慌ただしい日々の中で星野さんの文章や写真に触れることは、生活に追われて気づけないこと、気に止めるのを忘れてしまうこと思い出させてくれる師のような存在なのかもしれない。

展覧会では写真とともに、NHKに残っていた映像が流れていて、撮影の様子や話している姿を見ることができる。私が星野さんを知ったのは、亡くなってから随分後だったため、生前の様子は文章や写真でしかほぼ知らなくて映像は映画の中のほんの少しの姿だけだった。

やや強面な印象があったの星野さんの声は最初の印象と全く異なっていた。トーンが低めでゆっくりゆっくりと慎重に話す。その印象は優しさであふれ、文章の柔らかさそのものだった。

声を聞いてからというもの、顔が怖いだなんて全く思わないんだから、意識ってほんのすこしのきっかけでガラリと変わる。

プロフィール欄に、意識の変化に興味があると書いたのはまさにこういうことで、自分というか人は移ろいやすく不確かな生き物で、だからこそ意識というものに敏感でいることが、私を知る手がかりだと思っている。意識を意識していると、無意識が発動したあとに、その理由をも理解できる場合もあるから興味は尽きない。

星野さんの写真展で、もっとも印象に残ったのが、冒頭に書かれていた言葉の一部。

アラスカの自然をテーマに、写真を通して自分の考えていることを表現していけるだろうか

読んだとき、自分ごととして言葉がおりてきたようだった。

安室奈美恵さんをテーマに、言葉を通して自分の考えていることを表現していく

安室さんのことが好きで、それを残して行きたくて6年前に始めたブログだったけれども、最終的自分がやってきたことはまさにこれだった。表現できていたのかはわからないけれど、でもたまに読んで泣いてしまう記事があるから、自分の考えていることが言葉になっている証のように思えた。

旅の最後をここにして間違いなかった。安室奈美恵さんをめぐる冒険というか、結局自分をめぐる冒険だった。

長い長い電車の旅だったけど、めちゃ楽しかった!

最後まで読んでいただきありがとうございます。頂いたサポートをどのように活用できるかまだわからないです・・・。決まるまで置いておこうと思います。