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思ったことをすぐにツイートしていたあの頃と、ほとんどツイートしなくなった今も変わらないこと

2007年からTwitterをやっている。全盛期は2009年〜2018年。思考の整理のための連投と、ふと思ったことはすぐにツイートするような毎日を送っていた。毎日50ツイート、多ければ100を越え、1日ツイート数制限に達しツイートできなくなったこともある。けれど、今は月に100ツイートを満たないこことのほうが多い。アカウントが何度か変わったことによるフォロー・フォロワーの変化で書きたい内容は変わるし、Twitter人口の増加に伴い1ツイートがとんでもない出来事に発展するケースを見ているから安易にツイートしなくなったことも大きい。

今のほうがなんとなく普通な気がする。ふと思ったことを全世界に開かれた場所で言うことになんの意味があるのだろうかとよく思う。例えば、18歳以下の子どもへの給付金を何故現金とクーポンとで分ける必要があるだろうか、というもの。ツイートしたところでその疑問も解決もしないのだけれど、多分数年前だったならば何も考えずにツイートしていただろう。

今回の件はどちらかというとネガティブなもので、基本はあまり言葉にしたくない。思うことと言葉にすることは意識に歴然と差をつき、言葉にした途端気持ちは強固になる。どうでもいいことはあまり言葉にせず、ただ思うだけに留まり、流していくほうが良いと思っていて、何度も繰り返し頭の中に流れてしまうのであればそのとき初めて言語化をする。

今日思ったことは大したことないというよりも、私が考えたところで変えようもないことだから多分数日経てばまた他の出来事に移り変わり、政治家って・・・という思うは一生続くのだろう。

話はツイートに戻り、思ったことや思考の整理に使わなくなったけれど、それでもどうしてもツイートしたいことは時々ある。それは昔も今も変わらない。

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青い空にブンブン浮かべたらめちゃ映えて可愛くて、すぐさまツイートした。これを見たPetit Qooboのオーナーさんがこんなことを言ってくれた。

ぶんぶんぶんかの日

この日は11月3日、文化の日。なんて素敵なネーミングセンス。どのPetit Qooboもみんなブンブンとしっぽを振るから、Petit Qooboとオーナーさんみんなの日だなと思った。

Petit Qooboを買ったばかりの頃、しっぽを振る姿にブブブブブン!とやたら話しかける自分に気がついて名前をブンブンにしてしまったのだけれど、でもしっぽを振る様子もブンブンと言う場合もあるから、汎用的すぎる名前にしてしまって申し訳ない気持ちになっていた。

でも一緒になってぶんぶんぶんかの日を堪能してくれた方もいた。

こういうのがあるからTwitterは止められない。

最後まで読んでいただきありがとうございます。頂いたサポートをどのように活用できるかまだわからないです・・・。決まるまで置いておこうと思います。