林、枝の割れる音、娘の躊躇しない行動。

久しぶりに林の中に入った。少なくとも娘が生まれてから入った記憶はないので、3~4年振りだ。いや、それ以上じゃないだろうか。

子供は靴の汚れなんて気にせずに、自分の気持ちが向くままに進んでいく。子供の素直さに触れ、学んだ。今日はそんな話。

僕は革靴が好きだ。以前はプライベートでも良く履いていたが、最近はほとんど履かなくなり、スニーカーだ。特にいいスニーカーでもなく、10年ぐらい前に購入し、ずっと履かなかったコンバースのスニーカーを引っ張り出してきて履いている。

以前のように革靴だったら、娘が林の中に入っていったときに、汚れるなーとか思って躊躇してしまっただろう。ただ今回はどうでもよいスニーカーだったので、気にすることなく入っていけた。娘の靴は最近おろしたばかりなのだが、本人は汚れることなんて気にしない。林の中で、体験することに行動の主眼が置かれている。

体験を得るために素直に行動する娘と、靴の汚れを気にする父親。

靴はただの靴でしかない。革靴が好きなので、GAZIANO & GIRLINGの革靴が欲しいなーと思っていたが、行動に制限がかかる靴ってどうなんだ?とふと思った。確かに普段使いはしないで、フォーマルな場にしか使わないようにすれば良いだけだけど、気に入った靴であれば多くの回数を履きたいと思う心もある。

モノを機能としてとらえる。このことを体感として教えてくれたのが、娘であった。離婚に伴い、娘と過ごす時間の終わりは見えているが、それがいつかはわからない中での日差しが強い日曜日の午後であった。また、娘のすすめで多くの木の枝にも触った。大きさによらず、枝の重さが異なったことが新鮮であった。

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集めた枝。そして、家。(娘曰く)

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そういえばスニーカーにしてから、足が疲れなくなった。そして靴下に穴が開くまでの期間が延びた。革靴を良く履いていた頃は靴下にすぐ穴が開いていたが、最近は靴下に穴が開いていないことに気づいた。

また娘から色々と教えてもらおう。

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