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5/24 日記 横浜に行ってきて、久しぶりに氷川丸に乗りました。

今日は久しぶりに横浜に行ってきた😁ハマフェスなるイベントがやっていて盛り上がっていましたね😄🚢。  

港にはダイヤモンドプリンスが泊まっていました!

デカすぎてまるで、海に浮かぶマンションて感じですね💦。

そして僕は久しぶりに氷川丸に乗りました😄氷川丸はかつて日本郵船の横浜-シアトル航路を結んだ貨客船です!戦前は氷川丸の黄金時代と言われ、チャップリンが日本から米国へ帰国する時に乗ったり、秩父宮様がジョージ6世の戴冠式の帰国の際にカナダのビクトリア港から横浜まで氷川丸に乗って帰国されたそうです、そして加納治五郎もIOC総会の帰りに氷川丸の船内で亡くなったそうです。

多分もうキャパ的には作れないんでしょうけど、豪華客船はこういうクラシックタイプの方が好きです。
後ろ姿も美しいです!
おそらく二等客室の部屋と思われます。通路は意外広くも無く、狭くも無い感じ。

一等食堂は豪華なアールデコ様式でした!意外にも狭く感じました!、今の客船は法令でこうした木材を使うことは法令で禁じられているみたいなので、氷川丸でないと見れないそうです😃

夕食を再現しているらしい。

一等社交室は女性達の交流の場であったようです!

一等客室を利用する人は外国人、日本人なら政治家なり会社の社長達なりそれ相応の身分の人たちであったらしいです、こういった場所で話したりして交流を大事にしたりするので、割とめんどくさい場所でもあったようです💦。

そして、僕が結構印象に残ったのが今の時代の客船なら乗った人誰もが楽しめて、サービスを受ける権利があるのですが当時はまだまだ厳しい身分社会があったんだなあと痛感させられた表示が衝撃的でした。

英語だと一等客のみ!日本語だと三等客はご遠慮ください。

という、表示を見て踊り場の階段に向かうと、船名の由来となった埼玉県の大宮にある氷川神社の八雲紋があしらわれていることが、日本の船である事を実感させてくれます🇯🇵

八雲紋。

そして、当時の船旅は退屈な物であったそうでお客さんを楽しませるレクリエーションの一環として色々と模様されていたみたいです!そのプログラムも残っていて展示されていました。

パン食い競走が行われていたのが衝撃的でした😂

船籍が日本の船であるため、日本らしい行事をしていたのも印象的でありました🇯🇵。

すき焼きパーティーが非常に好評であったようです!

僕がいいなあ!カッコイイて思ってしまったのは旅行カバン🧳、こうやって訪れた先のホテル等のステッカーを貼っていると旅先で旅慣れていると色々と優遇してもらえたそうです😀これが現在のスーツケースにステッカーを貼ることの走りなのかな?

そしてチャップリン、秩父宮様といった名だたるVIPが止まった一等特別客室を通っていく

特別室には応接間が付いていたらしい。
特別客室

今の豪華客船の基準にしてはなんだか狭く感じてしますよね😅今の豪華客船はほとんどがバルコニー付きで、窓も開放感がありますもんね!氷川丸は当時の基準としても、いわゆる定期航路船のため超豪華客船てわけではないらしいのですが、超豪華客船にあたるタイタニック号などもバルコニーはなかったみたいですし🤣。

シアトル定期航路で主にアメリカに向けて生糸等を運んでいたそうです、こちらが日本からアメリカに向けて輸出された生糸の包だそうです。

日本製

そして、機関室等を通り過ぎて行って三等客室にゆきます、三等客室は一等客の方が使う先程見てきた食堂や娯楽室、デッキには自由に行き来することが出来ずに、出された食事の内容も違って日本の家庭料理が中心であったそうです。二段ベットでプライバシーなんて無いようなもんですね💦、おそらく日系移民としてアメリカに渡っていた人達はこういった客室で寝泊まりしたのでしょう。

僅かに見える窓からの景色に飽きたら、近くにある厨房に芋の皮剥きの手伝いに行った人もいるらしい。

戦前は横浜-シアトル間を往復し、戦時中は病院船として負傷した将兵の輸送任務に着手し、戦後すぐの時期は引き揚げ船や国内航路として、そしてまた横浜-シアトル間の定期船として、この船がかつて日本人はこんなに素晴らしい船を作って運用していたんだよ😃てのと、戦争で沈められず、最後まで任務を全うし今は記念船としてかつての船旅とはどんなものだったかしれる貴重な船です!。

数えきれない日本人の良い、寂しい歴史や記憶が刻まれている場所、ずっと残っていて欲しい場所ですね!

氷川丸から現在の横浜の街を望む

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