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いじめに対して異常に鈍感だったってお話

わーお。いきなりセンシティブ。いきなり社会問題。
いや、私ね。学生時代めちゃくちゃいじめ受けてたんですよ。そういう話です。

今じゃなくても大問題ですよそれ。

中学生の頃でした。
もともと気が弱く、勉強も出来なければ、運動も出来ず、発達障害特有のあれこれもあり、リアクションが大きく、それでいて構ってちゃんという典型的ないじめられっ子気質な私は、早い段階で目をつけられ、登校すればジャイアンみたいな同級生の女子に叩かれ、引き摺り回され、制服はいつも埃で白く汚れていました。
真っ白だったエナメルのカバンなんかも割とすぐボロボロになって、余計みすぼらしい感じだったと記憶しています。

部活は剣道部に入部していたのですが、学校の隅にある道場に行けば、先生のいないことを良いことに服を脱がされ、全裸で道場内を走り回らされたり、道場の端を囲っているゴム状のモノ(あれなんて言うんでしょう?っていうか分かります?)をムチに見立ててバシバシ叩かれまくりました。

中学生、思春期真っ只中。中途半端な性知識があるだけに、時には縛られて、上記のようなSMまがいのいじめを受けたり、思春期の自分はよくそれで泣いていました。

しかし、今でもそうなのですが、自分はいじめられたと思ったことがないのです。
久しく会っていない当時の「いじめっ子」達ですが、今会っても楽しく歓談できると思います。

ある時、クラスで帰りのホームルームの際、私といじめっ子の女子が担任になんとなく先に教室を出るよう促され、後日「理非道君が虐められていると思う人」というようなアンケートをクラス全員に取っていたことを知らされました。

アンケートの結果はクラスの大半が「はい」

それを聞いた私
「え!?俺いじめられてんの!?」


大事になってしまったばかりに、親に話さない訳にもいかず「どうやら自分はいじめられているらしい」と他人事のように申し出ました。

すぐに親同士との話し合いになり、いじめっ子の彼女は私と距離を開けるよう担任から注意を受け、泣きながら謝る彼女に私は当事者なのに蚊帳の外といった感じで終いには「なんだか申し訳ないことをしてしまったな」なんて思ってしまいました。

部活についてはついに教師にバレることもなく、かといって私はこれっぽっちもそんなこと望んではいなかったのです。

よく「いじめはどんな些細な事でもいじめられた側がいじめだと思ったらいじめなんだ」とは聞きますが、私の場合それが真逆に作用して「いじめられてる覚えはないのに周囲がいじめだと騒ぎ立てている」という不思議な現象が発生していたのです。
こんな人間、日本中探して何人いるでしょう?
同級生がこのnoteを見ないことを祈ります。あまりに稀有すぎて一発で身バレするので。

君らの暴力には愛があった

見出しは大好きな漫画、殺し屋1の悪役垣原の名言「オマエの暴力には愛がない」のもじりですが、なんとなくあぁ、そうか。と腑に落ちた節もあります。

クラスのいじめっ子の彼女は前から私の事を好いてのことだったというのを、私自身知っていました。異性としてのアレなのか、人間としてのアレなのなかは知りませんが。
漫画なんかでよくある「好きな子にはつい手が出ちゃう」の酷い版です。甘酸っぱくもなんともないですが、それでも好いてのことだから私自身の好意はともかく、悪い気はしなかったのです。自分自身マゾヒストを公言してた時期ですし(今は違いますよ!本当です!)

部活の人たちはまぁ、端から見たら歪んではいますが、それでも大好きな仲間でした。いじめは先輩と同級生から受けていた訳ですが、一方で先輩たちにはよくして頂いたし、同級生達も一緒によく遊んだり、自分が部活以外のことでも辛いと思うようなことがあれば、支えてくれたのです。
これはもういじめっ子といじめられっ子の関係ではなく、良き仲間って間柄です。
ので「からかいの度を越してしまった」みたいな感じです。今考えると度を越してるなんてレベルじゃねぇですが。

反対に、一つ下の後輩は女子しかいなかったのですが、いつも脱がされる私に対して悲鳴を上げて逃げ惑ってました。当然っちゃ当然なんですが、何故被害にあっている自分が軽蔑の対象になるんだって怒りもありつつ、何より本気で嫌がられているのが虐められているよりよっぽど不愉快な出来事でした。

また高校では「孤立する」といった形でいじめを受けた訳ですが(これに関しても自分に非があったので、いじめとは思ってませんが)やっぱり中学時代よりずっとしんどかった思い出があります。

私は割と愛されたがりです。割と、じゃなく、たぶん異常に愛されたがりです。自分ではそんなことないだろうと思いつつ、こうした過去の出来事が裏付けになってたりします。
例えそれが、暴力であろうが、辱めであろうが、愛されてるのだったら、受け入れてもらえるのだったらそれでいいという人間でした。
もし私が女性だったら、典型的なメンヘラで、身体を売りつつ、ホストに貢ぎまくってたんでしょうね。

今、いじめに遭っている人に伝えたいこと

いじめられていたのにいじめられた経験がなく、不登校になってもいないという私なのでなんの参考にもなりませんが、一人の人間として虐められている人に伝えたいことがあります。

人生という長い時間の中で、いじめを受けているのはほんのわずかな期間だから、人生そのものを悲観しちゃいけない。けど、またいじめを受ける可能性がない訳じゃない。

我ながらひどいことを言いますね。炎上しかねません。でも、真実です。綺麗事は私の言葉より参考にもならないです。

まず、いじめは集団生活の中で起こるものです。その代表例が学校な訳ですが、大人になって会社に入れば、それだって集団生活です。
今、会社ではハラスメントを失くそうなんてことをやってます。大人になれば、あからさまに誰かをいじめるなんてそんな子供じみたことはしません。

ですが、人は人を嫌いになったり、心のどこかで蔑んだりします。大人になれば上手いこと誰にもバレないようにいじめることも、そういった悪意を自らの詭弁で「あの人は〜なんだからしょうがない」と言い聞かせて虐めているという事実を薄めたりします。
正直、私もそういう節はあります。だからといって責めないでほしいです。いっぱい色んな理由があるんです。そりゃ、遠ざけたい人もいます。
こんな調子の人がほぼ全員で社会を構成しています。
「いじめは絶対にいけない!」っていう有識者の大半もこんな調子です。信用しちゃいけません。

もしこれを読んでいるあなたが学生なら、社会に出るということはすなわち、そういう分かりにくい悪意の中に飛び込むってことでもあります。夢も希望もありません。現実は非情です。

じゃ、どうしたらいいでしょう。こっから先はもっと酷い話です。覚悟して聞いてください。

結局、私たちは変わってくしかないんです。

全く身に覚えがないのにいじめられているっていう人はいる…のかな。いたらごめんなさい。
でも、いじめてくる人って何か理由があるからいじめてくるんです。
それは大抵理不尽な理由です。
私は発達障害で、忘れ物や無くしものが多く、だらしなく、勉強も出来なきゃ運動も出来ない、身なりも常に汚く、コミュニケーションもうまく取れません。そのくせ目立ちたがり屋で、声もデカけりゃリアクションも大きい。人の気持ちに敏感な一方で相応する行動が取れない。
右に倣うのは得意ですが、それも嫌で、どうでもいいことで流れに逆らって「自分は他の人とは違う」みたいなスタンスを取ります。

身に覚え、あったりしませんか?
多分それです。いじめられている原因。じゃなかったらなにかきっかけになるような事はあったはずです。何にもない無味無臭の人間をいじめるってことは余りないことだと思います。

有識者は「いじめはいじめてる人間が悪いんだから、『いじめられた原因』なんて事を言うんじゃない!」とか言いますが、それは私たちの薬にはなりません。どうせ陰で似たようなことやってんです。私もその一人ですし。

ならばもう私たちは社会に溶け込めるよう変わってくしかないんです。才能があるなら別ですが。音楽、絵画、勉強とかその道ですごい成績を残せるならありのままで構わないのですが、そうじゃない私たちはありのままじゃまた酷い目に遭ってしまいます。

とりあえず耐えましょう。よくいじめられたら不登校になってでも逃げろとか言いますが、特異な才能でもない限り、やっぱり高校は出て、就職まで漕ぎ着けないとこの先しんどいです。逃げろとか言う奴はその責任を取ってはくれません。綺麗事言いたいだけの人間です。味方ヅラしてますが無視しましょう。
社会人ならとりあえず転職を視野に入れましょう。学生とは違って自分の意思で変えなきゃ環境は変わらないんですから。

そして辛い話ですが、自分と向き合って何が悪かったのか考えましょう。私だって「貴方が悪いんじゃないんですよ」とか言いたいですが、それじゃあなたの人生は変わらないです。自分の中にある『理不尽な非』これを認めて変えなければまた同じ轍を踏みます。

そして社会に出たら、環境が変わったら、反省点を生かして出来るだけ社会に馴染むようにする。悲しい話、こうするしか他にないです。
私はとりあえず身なりは気にするようになりました。オシャレに気を使う訳じゃないですが、少なくとも小汚い服で外に出ることがないよう気は使っています。
忘れ物、無くしもの…まぁたまにやりますが、結構気にしているつもりです。大事なのは努力すること。結果はだんだんそれに伴ってきます。たぶん。
コミュニケーション…あまり変わってないかなぁ。でも前よりマシになったかな。

いじめられていた原因と向き合って、それを反省して10年くらい立ちました。結果どうなったかといえばあまり変わってないように思います。
人間そんな大きく変われないです。それでも、小さな気づきが、反省が、行動が少しだけ自分を変えました。そして少しだけ変われば、それで割となんとなく馴染めてたりします。

世界は広い。だから生きてていい。

そしてもう一つ言いたいこと。
貴方や周りが思っているより、世界はずっと広いってことです。
言葉通りの壮大な話にするつもりはないです。要はいじめから耐えるにあたって、その場所だけが世界の全てじゃないってことです。
学生なら、お小遣いやらバイト代やらで、一人じゃ絶対行かなかったようなちょっと遠いとこに行ってみてください。5000円あれば十分遠いとこ行けます。
場所はどこでもいいです。電車なら出来るだけ遠いところの何があるのかも分からないようなところで降りてみましょう。

きっと孤独です。でも辛い孤立ではないです。あなたがどっか適当な公園やら、川縁やら土手で休憩しようが、誰も蔑むことはありません。
そして自由です。当てもなく彷徨っても、名所っぽいところを観光したりしても、何を食べても、何も言われることはありません。職質にあったらゴメンネ。

それがきっとこの世界の正体です。
あなたにはそういう自由が待っています。

周囲から孤立していた高校時代、私は帰り道の土手から眺める遠くの山に想いを馳せていました。一度思い切って自転車で半日かけて行ってみました。
この経験も後で書こうとは思いますが、行った先で何を見る訳でもなく、食べることもなく、ただただ遠いところまで行って帰ってきただけで端から見たら無意味でしかなかったのですが、今思えばその経験が大きな意味を持っていたと思います。

たかだか100キロあるか無いかですが、あの時私はこんなちっぽけな距離で世界が広いことを知りました。

私たちが理不尽と戦うということ


貴方の毎日は戦いです。大半の人がする必要のない戦いを理不尽にも強いられている人生を送っているのです。

だから本当は強い人間なはずなのですが、社会はそれを認めてくれません。
自分を顧みず誰かを助けるヒーローや、妥協なき努力を続けられるスポーツ選手など、そういう人ばかりが称賛を浴び続ける世界です。これは間違いでもなんでもないですが、誰のためでもなく、自分自身のために戦うということを称賛する社会があっても良いと思います。でもやっぱり現実は非情です。

ここまで言っておいてなんですが、私はあなたたちの味方ではないです。味方だっていうなら、すぐにでも駆けつけてあなたを理不尽から救ってこそです。そんな立派な人間じゃないです。
でもきっと戦友です。いじめられたことがないとか言いつつ、そりゃあんなことされたら辛いし、泣くし、高校の頃は自分の非を認めながらも、やっぱり辛かったって叫びたいです。

誰かが手を差し伸べてくれるなら、こんな幸運なことはありませんが、そうでないことが多いのもまた事実。ならばもう、これは私たち一人一人の戦いです。

言いたくは無いですが、逃げてはいけません。耐えて耐えて戦うしか道はないものと思ってください。
そして耐え切った先でも戦いは続きます。それでも少しずつ経験値が増えていきます。
時には気を紛らわしたり、自分にも好きなことや得意なことがあるって気づけたら、戦いも多少楽になってきます。

その先に何があるのか、私も若いですから分からないです。でも少しずつ見えてきてもいます。
多分それは分かりやすい成功とか賞賛じゃないです。結婚して家庭を持つことが全てでもないような気もします。

とりあえずこの駄文が、あなたの戦いの一助になれたらそれもまた、私の戦いの小さな功績の一つです。







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