ソーシャルディスタンスなどと称してスペースを挟む行為について、私なりの考えを書いてみる

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生活と意見: ソーシャルディスタンスなどと称してユーザー名や文章にスペースを挟む行為についての苦情

を読んだ感じ、私なりの考えを書いておこうかなーと。

怒る必要はないしバカにするべきではない

読んでて思ったのは、全体的になにか強い口調で感情的な文章だなと読んでて思った。それでも3割くらいに抑えているらしいので、もっと過激な文章だったろうと思った。

 「ああ、知性の欠落した野蛮人によってインターネットが破壊、蹂躙されているな」

このような一文を見て、いくら内容が正しいことが言えてるとしても(事実内容に関してはある程度同意できるものであった)、これは伝わらないものだと思う。事実私もこれをみて、この内容を読むのに拒否反応を示しそうだった。

前提として、間違えは誰にでもあるし、むしろこの出来事によって新しい考え方(アクセシビリティ)について理解を深めるタイミングだったと思う。そっと指摘したり、啓蒙すればよかったはずである。なぜ怒りを表現したのか。怒りは共感を生まない。反発を生むだけのような気がする。

それよりも、抑えて指摘し、共感を得るように書けるようになればよいと思う。UIやデザインにそれなりに造詣が深いのであれば、もっと読み手が共感する書き方ができるはずだと私は思うのであってとても残念だなと思った。

スペース開けに関する私の気持ち

私としては、そこまで怒りはない。ただ、マシンリーダブルは良くないだろうし、アクセシビリティに問題があるだろう。そして、そこまでスペース開けも、私はそこまで面白くないと思う。

しかし、一方で、面白がる人たちもいるだろうなと。それは否定してはいけない。一つの表現でもあると思う。ただし、企業等のアカウントがそれをするのはあまりよくないだろう。

アクセシビリティは常識ではない

そもそもアクセシビリティは常識ではない。私の家族や身の回りの友人に対して「アクティビティって知ってる」と聞いても知らないと答えるのであろう。

スペースを空けることに怒っていた筆者のツイッターアカウントを除いてみた。ツイッターには画像投稿時にaltタグが付けられる機能があるのだが、記事の筆者のアカウントには適切なalt属性が追加されていないようであった。アクセシビリティがある程度理解があるのであれば、当然、このような機能は活用するべきだと私は思う。怒りを表明する前に、自分自身のアクセシビリティに関してできているかを考えてみるべきだと思う。私もあまりできている気がしないし、だからこそみんなでアクセシブルにしていきたいと思う。

ちなみに画像のアクセシビリティを向上するやり方は次の通りにある

https://help.twitter.com/ja/using-twitter/picture-descriptions

ぜひとも読者には実践してもらいたい。(私も、機能を忘れるが、たまにやってはいる)

別に知らないことに対して、私はキレたりすることはないのだが、つまり私が言いたいことはアクセシビリティは当然のことではないし、そもそも実は難しい概念のように私は思う。

アクセシビリティは開発者だけのものではない

アクセシビリティは常識ではない、一方で、ユーザのアクセシビリティに関して理解がないからおこったように私は思う。アクセシビリティは一部の意識が高い、Webサイト設計者、デザイナー、クリエイター等がやっているものである意味、専門技能である認識が強かったように思う。

でも考えてみれば、このインターネットでコンテンツを提供しているのは、そういった方々だけでなく、一般のユーザもまたコンテンツの提供者となりうるわけだ。そもそも、インターネットは誰でも情報の発信者になりうるし、メディアになりうると昔から言われてたことだ。いまさら当然のことではない。

そうしたとき、「コンテンツの提供者」としてアクセシビリティに無関係でないのだと私は思った。

よりよくアクセシブルな世の中にするには

そうしたときよりアクセシブルな世界にするにはどのようにすればいいだろう?考えられるのは

1. アクセシビリティに関する一般に対しての周知

2. 一般の利用者でも勝手にアクセシブルになるような仕組み

の2方向が考えられそう。つまり、利用者側が努力するパターンと、機械が頑張るパターンだ。おそらく機械が強くなるべきだと私は思うが、一方で機械やソフトウェアを強くするのも人間で、限界がある。だから1の方向も必要だろう。

アクセシビリティと表現

一方で、そのアクセシビリティのために表現が制限されるみたいな事態は避けたいと思う。アクセシビリティと表現は対立するべきではない。むしろ、その表現をひっくるめて、アクセシブルにするにはどのようにするべきかを考えるべきであろう。

大雑把に私の感想を書いてみた。このような感じである。

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