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見かけ倒しなことはないだろうか

体が重い。サスケに出てくる重たいシャッターを力を込めてあげているような感覚が寝起きを襲う。そのシャッターは通り過ぎる前にしまったので、もう一度意識が遠のく。眠たい。
3時間半過去からやってきた弊害である時差ボケが意外と残っている。

そういえばサスケが「SASUKE」としてオリンピック種目候補になったという記事をみた。すごい。日本はスポーツという文化において伝統あるコンテンツを築き上げていたのかもしれない。それは日本だけでなく世界に通用するものであった証拠がオリンピックという世界大会でのノミネートだと思う。

障害物競争をよりわかりやすくエンターテイメントにした競技がSASUKEにあたると思っているが、近年TVやSNSの発達によってスポーツに求めれる要素が身体性の競争や発展から、経済の発展にむけた集客効果に向いているのかな。

なんて思ったけど、オリンピック開始当初はそのスポーツの集客性能が高かっただろうから、人の感覚と競技がアップデートされただけなのかもしれない。それにしてもスポーツ競技として生まれたわけではないけれど、競技になっているそのプロセスがとても面白いと思った。


整った街を歩いている。人も車も少なく、静かだ。
東京は特に綺麗な服装をまとっている人が多く、どの人がどんな役職や稼ぎや学歴・背景をもった人なのかはわかりづらいな、と思った。

身だしなみ綺麗にしている人は良いポジションや職種。
インドでは見かけと中身が一致している印象があった。
適切な使い方かわからないけれど、「見掛け倒し」という現象はあまり起きなかったように思える。

帰ってきて、綺麗な街や人々をながめてみると「見掛け倒し」なことはないだろうか。

気になった。
綺麗にしているけれど、クレジットカードの返済に追われているかもしれない。適当なTシャツを着ているけれどめちゃくちゃな学歴や収入を持っているかもしれない。わからないなぁ。

道は綺麗。街も綺麗。だけれど現金での決済。それもちょっとした見掛け倒しな気もする。え、現金持ってきてないよ!ってことが意外と起きる。
技術の発展が遅かった国ほど今はキャッシュレスが進んでいること、技術力のジャンプという現象が面白い。

綺麗なことはいいこと。
水道水は直接飲んでもお腹を下さないし、野良犬も野良牛もいなくて、空気が臭うこともない。

ただし、綺麗だからといって課題がないとは限らないのかもしれない。
綺麗に見えるからこそ隠れてしまっている課題や想い、隠してしまっているものもあるのかも。

体格が良く、髪がパリッと分けられて肌が綺麗。
そんな人を仕事ができそう、バリバリ働いて稼いでそう。と思っちゃったりする。実は飲み歩いているだけなのかもしれない。知らんけど。

良い見掛け倒し、悪い見掛け倒し。どちらもある。
見かけがとっても大事なのは大前提とした上で、見かけだけに囚われずに目の前の事象を解きほぐす。強い言葉にも背景があるかもしれない。

フラットに事象をみれることがより大事になっていくだろう。
何となくだけれど腑に落ちている。

ヘッダーはファミリーマートの紙パックジュースコーナー。
オレンジ・アップルともにどうしてそんな見かけになったのだろうか。
フォントから察するに力強い味がするのかもしれない。

知らんけど。

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