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横浜日本大通りの建築(3)横浜市中区役所~彼我庭園

こんにちは、Akiです。
建築好き通訳ガイドの視点から、建物の魅力について紹介しています。

横浜の建築集中地帯のひとつ、横浜日本大通りの周辺にある建築を巡る記事、第4回目です。
前回ご紹介したストロングビルから横浜公園へ戻り、日本大通りへと向かいます。

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横浜関内地区の航空写真
(出典:国土地理院ウェブサイト(https://www.gsi.go.jp/))

ストロングビルから横浜公園へと向かう横断歩道のところから、はす向かいに外壁の茶色いタイルが際立つ、「横浜市中区役所庁舎」が見えてきます。

横浜市中区役所庁舎

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横浜市中区役所庁舎

この横浜市中区役所庁舎は、近代建築の巨匠ル・コルビュジエに師事した名建築家、前川國男氏の前川建築設計事務所の設計によるものです。

前川國男氏は、横浜で多くの建築を手がけており、中でも「神奈川県立図書館・音楽堂」は初期モダニズムの名建築として知られており、神奈川県の重要文化財に指定されています。

1983(昭和58)年に竣工した建物は、前川國男氏の最晩年のもので、前川建築によく見られる外壁の「打ち込みタイル」が特徴的です。

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横浜市中区役所庁舎外壁の打ち込みタイル

この打ち込みタイルは、打ち放しコンクリートの対候性に疑問を感じた前川氏が考案したものです。
コンクリートを打設する(流し込む)際、タイルと一体的に成形するもので、剥がれ落ちにくく安全であるといわれています。

横浜市中区役所庁舎の外壁タイルは、陶器質の釉薬がけタイルで、色合いが鮮やかで美しく、温かみのある印象を与えています。

この打ち込みタイルは、東京都美術館、国立西洋美術館新館、新宿紀伊國屋ビルなど、前川建築によく使用されています。

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横浜市中区役所庁舎の前の歩道に目を向けると、マンホールが並んでいます。

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これは、災害時に仮設トイレが設置できるように用意されているものです。
万一に備えて、こういうものがあるということを知っておくと安心ですね。

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この他にも、歩道のタイルは雨水がしみ込みやすく、雨の日にも歩きやすいなど、歩道にはさまざまな工夫が施されています。

彼我庭園(ひがていえん)

横浜市中区役所庁舎側からの横浜公園の入り口は、スクラッチタイルを使った、関東大震災復興期のレトロな門構えです。

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横浜公園 北東端の入り口

横浜公園のこのエリアは、小さいながらも本格的な池泉回遊式の日本庭園になっています。

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横浜公園 彼我庭園
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横浜公園 彼我庭園

1978(昭和53)年、横浜スタジアムが建設された際に合わせて整備され、「彼我庭園(ひがていえん)」という名称になっています。

これは明治時代に横浜公園が、外国人「彼(ひ)」と日本人「我(が)」が共に利用できたことから「彼我公園」と呼ばれていたことに由来します。

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彼我庭園に置かれた「岩亀楼の石灯籠」

ここの一角には、幕末のころに存在した妓楼、「岩亀楼(がんきろう)」にあった石灯籠が置かれています。

横浜公園の一帯は横浜開港時に埋め立てで造成された場所で、港崎(みよざき)町と命名され、そこには遊郭がつくられました。

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横浜本町並ニ港崎町細見全図 五雲亭貞秀(1860年)
右側が横浜港、左側下に港崎町遊郭が見える(ウィキペディア(Wikipedia)より引用

「岩亀楼」はその遊郭の中で最大規模の妓楼でしたが、1866(慶応2)年の大火事で遊郭は焼失してしまいました。
石灯籠の脇にはそのことを記したプレートが置かれています。

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横浜スタジアム側にある彼我庭園の門には、幕末から明治にかけて横浜でつくられた、西洋瓦(複製)が使われています。

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この瓦は、フランス人のアルフレッド・ジェラールが、横浜の山手地区で製造していたもので、彼の名を冠して「ジェラール瓦」と呼ばれています。

また、門の足元の礎石には煉瓦が使われていて、横浜らしい和洋入り混じったつくりになっています。

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門に掲げられたへん額の「彼我庭園」という文字は、書家・金澤翔子さんの筆によるものです。

彼我庭園を出ると日本大通りが目の前です。次回から日本大通り沿いの建築を巡ります。

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横浜公園の噴水から日本大通りをのぞむ

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