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何の修行なのだろう?

次に住む家を決めるべくバタバタしている中、夫がこの機会に家を出る、と言い出した。

はい?

意味がわからない。でも、子どもへの教育的指導が原因で子どもが家出して警察騒動からの保護アンド帰宅という出来事から、夫はずっと家を出たいと願い続けてきているようで、ある意味初志貫徹。この期間、7年くらい。

でもやっぱり意味がわからない。

夫は無職なので、夕飯作りと片付け、洗濯の他はフリー時間。夜通しゲームしたり、子供たちとアニメ観たり。お小遣い含めてお金も渡してる。
 なのに、出ていきたい。
 死にたいとか離婚したいとかじゃなく、出ていきたい。
 お金は要らない、という。

どんだけ困難でも孤独でも、本人が決めることだ。それに私は夫がいなくても経済的には困らない。だから、出て行きたければ出ていけば良い。
でも、家族の失踪って精神を削られるだろうと思う。希望に満ちたお引越しに水をさすなんてもんじゃない、床上浸水レベルよ。

なので、夫ともうちょっと穏便な方向を協議しないといけない。めんどくさい。それでなくても職場でルンバさん濃縮状態なのに、さらに常識も話も通じない引きこもり夫のワガママのお手当とか、何の修行だよ。人生ってこういうもんなの?


調べると「家出する夫」というのも世間にはそれなりにいるようで。
根底にあるのは、話し合いができない幼稚さ、家庭を維持する責務を簡単に放棄しちゃう無責任さ、といったところか。
植木等の無責任さは笑えるけど、こういう無責任さはどうなのよ。
まあ、我々が何を思ってもどう言っても、彼らは逃げるしかできないし、逃げる。考えるだけ無駄なのかもしれない。なるようになれ。


後日、結局、夫は出ていかないことに。
私がweb飲み会で行った些細な一言で、バカにされてるってカチンときたらしいよ。なんだそれ? 会話の前後関係もわからない状態でそう解釈しちゃうし年単位で怒り続けるとか、もうね。なんというか、やっぱり子どもなんだな。