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源泉を求め続ける

朝一でこういうことを書きました。


その続き、という訳では無いのですが、でも続きかもしれないような感覚が出てきたので(続きというか、関連するというか)、呟きかけて長くなったのでnoteにお引越ししてきたはなしを書いておきます。

自分のために書くので、わかりやすくは無いかもしれませんが、ご興味あれば読んでみてください。わたしの中の感覚の話です。

勢いが大切だと思うので、全く140文字に収まっていない言葉の羅列をそのままコピペします。


↓↓↓

わたしは本が好き(もはや自分の1部であるとすら思う)なのに、本を読むのが怖いときというのがある。好き避けの酷いやつみたいなの。そうであればあるほど、好きであればあるほど、気になればなるほど、自分が大きく変わることがもう分かっているから(侵食されるみたいな感覚)、変わってしまうことへの恐怖、今のわたしが消えてしまうという恐怖。なぜ、深化を怖いと思うのだろうとふと考えたとき、それはきっといずれ決して触れたくない(同時にどうしても触れたい)禁断の扉を開けるときがくる、その感覚に似ているのだと思う。ああ...もし仮にそうだとすれば(かりにと言ってますがここは十中八九そうであるという確信があります)、この感覚を超えていけば、私はわたしに出逢えるということなのだろう。今も既に出逢っているけど、よりその奥のわたしというか、深淵に沈んだわたしというか、より源流にちかづくというか、源流の奥の源流というか、そのどこまでも辿れる水(魂)の源に近付き続けるというか。

↑ここまで


この、異常なまでの好き避けの感覚は本当にずっとあって、わたしは好きなものを好きと素直に言えないところがある(本当に好きなものほど!)。
言えないというか、恐らくそれは先程のツイートになり得なかった量の呟きにも出てきたように、封印が施された禁断の扉に触れる感覚と同じなので、ふいに磁石のSとSを合わせたかのような感覚で「ふいっ」とずらされてしまうというか、気になったまま近づけない(むしろ離れようとする)という感覚になるんです。


磁石がとてもいい例なのでこのまま話を続けると、本質的にはSとSまたはNとNだから引き合うはずだけど、そこに磁力という名のエネルギーが存在するから、同じなのに触れ合えない、でもそこには確実に他にはないエネルギーが存在する、あの感覚です。みんな磁石の実験したことあると思いますが、あれです🧲


あとは、どこまでも近づけない...という感覚で話すと、前にもどこかで例に出したのですが、無量空処。

note書いてました。良かった。


どこまでも近づけない感覚を2つ書いてきましたが、実は磁石ではなく、アキレスと亀なのかも・・・?
間にあるエネルギーの層、それをどうとらえ、どう扱うかという話なのかなと。だとしたら、反発しあっているという感覚は超えて、その間にあるものを反転させられるくらいの(コペルニクス的回転というか)自分になれるように、まずは発想から回転させてみたいとおもいます!というかここに書い他から既に少し回転した気がする!

ヤマアラシ

ヤマアラシのジレンマを越えられる日も近いかも!
という、一縷の望みを大切に抱えつつ、何でもまずは自分の内側からですね。
より一層、色んな視点から整えていきたいと思います。本も読みます(笑)←そもそも、今回のnoteのはじまりはここでした😊


ということで、わたしの中で何かが纏まって解決して次に行ったので、ここでおしまい。


ふー。
今日も、今日を楽しもう。

のびたまごでした。



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