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「言っちゃダメだ」は言ってみる 2024/06/30 -2

言えると癒える、とはよく言ったもので、本当に言えることは癒えるに繋がる。
逆に言うと、「言っちゃダメだ」というエネルギーをためてしまうことはものすごくその人の負担になる。

"言う"くらいなんだっていうんだ。
それを言ってどうこうなるならどうこうなればいいのだ。それだけのこと。何が起こると思っているから「言っちゃダメだ」と思っているのか、それを理解する方が余程意味があるように思う。

かくいうわたしも、基本的には「言っちゃダメだ」をすぐに発動する族で、気付かないうちに何でも言わずに我慢して溜め込んでいる。気が付いても付かなくても溜め込むことに変わりはなく、気付いても溜め込むし、基本的には「言っちゃダメだ」と思ってることは言わない。ことが多い。

それは、相手や場を大事にすることでもある。ちゃんとわかって選んでいるなら尚更だ。自分でわかって引き受けているのだから当たり前だ。誰かに強要されている訳ではなく、選択権は自分にあるのだから、したくてしていることなのだ。

大概のことは我慢出来る。でも、我慢してるとしんどくなってくることもあって、そういうのはもうさっさと言ってしまった方がいい。言ってしまって、その先の体験をした方がいい。自分の中に溜め込む選択をしていても、何も変わらない。そして、言ってみたところで、それって意外と大したこと無かったりする。もちろん、大したことであることもあるから、つまり結果はベタだけどTPOによる、ということになる。

自分にとっては一大事だったり、重いと思うことだったり、「言っちゃダメだ」と思ってることは、どこまでも自分にとって・・・・・・だったりする。もちろん、そうじゃない事もある。相手を傷付けることだったり、批判することだったり、多分その人が言われたくないだろうことだったり、その場で言ってしまうと場が固まってしまうことだったり。でも、それもなんだかんだ言って、言わないといけないことなのであればいつか言うしかない。言うしかないことは言うべきタイミングで言うのが1番だ。自分にとってのそれもそうなのだと思う。でも、自分にとってだけだと、ついつい蓋をしすぎてしまって、気が付いたら発酵していたり、腐っていたりする。そうなると、素直じゃなくなっていくのは自明の理のような気がする。だって、そこにあるものが、どんどん素じゃなくなっていくから。

なんでも、こんがらがる前に対応するに越したことはない。「言っちゃダメだ」もそれに該当する。それだけのことなんだよな、と思ってみる。こうやって、ここに書いてみる。つまり、outputしてみる。淡々と並ぶ文字たちを見て、そしてプレビュー画面にして自分の書いたものを読んでみる。うん、これだけのことなんだよ。それが、自分にとっては「言っちゃダメだ」になってしまうんだってことを、客観的に受け取ってみる。

まぁつまり、「言っちゃダメだ」を納得するために、これだけの文章言い訳が必要なくらい、わたしは「言っちゃダメだ」と思うことを言うことについて思うところ(主に恐れ)があるらしい。・・・とりあえず、めんどくさくて可愛いヤツめ、ということにしておくか。そうじゃないと、この文章を書いたことについてまた、頭を抱えて悩んでしまいそうだから。

とかなんとか色々書いては納得したりざわついたりしている自分がいる半面、しれっと「溜め込むから太る浮腫むんじゃない?」と思っているわたしがいたりして、なんならこっちに気付くためにこのnoteは書いたのでは?!というくらいの謎の大どんでん返しをみせているなう、なのでした。ううう、、、動揺が隠せない(苦笑)

ということで、まとまったようでまとまってないnoteですが、一旦この辺で終わりにしようと思います。ではまたね。



2024/06/30 -2 (155/366)

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