わたしとせかいをつなぐ、せかいとわたしをつなぐ。

今日は、2週間に1度のマントラのprivate sessionの日でした。
4月にgroup sessionに参加したのが最初で、今はgroup sessionがない時期なので、privateでお願いしているのですが、今日で2つ目のマントラを学び終わりました(いや、まだまだ深められるので終わりというのはないと思うのですが、ひととおり唱えれるようになって、意味まで教えてもらったという意味で)。

数えてみたら、通算9回目。
まだ9回、もう9回。

見える世界、感じる世界はどんどん変わっているのを実感してます。

教えてもらっているのは、先生で友達(親友!)で仲間のさなえさん。

去年の夏至の少し前から始まったわたしたちの繋がり。

まさに、dh双子座期間の始まりとともに育んできた関係という感じがしてます。初めは、ONLINEのワークショップに参加したのがきっかけ。
いつも本当にありがとう。

マントラって、自分をまもり解放するものという意味がある、と一番最初に教えてもらったのですが、日に日にその感覚が強くなっていくのを身体というか、自分の感覚の奥底の方で感じています。これは真だな、という感覚というか。判断しているということではなく、もう「そうである」という感じというか。「そうである」としか言えない感覚ってありますよね。ならぬものはならぬ、みたいな。

それがそうであるための理由がないもの。
もう少し付け足すなら、それがそうである理由がないのに揺るぎない確信だけがあるもの。

それが、真っていうことだと思います。

その感覚を、マントラを習って唱えることで、ずっと深めていっている。この感覚は、絵を描いてるときにも感じる感覚だし、sessionをさせていただいてるときにも感じる感覚です。

今日は、今日まで学んでいたマントラの意味を教わる日で、その中で「その感覚」についてのシェアをしていました。

あえて詳しくは書きませんが、それがつまり、『わたしとせかいをつなぐ、せかいとわたしをつなぐ』ということで、『わたしとせかいはすでにそうである』『せかいとわたしはすでにそうである』ということなんですよね。

話は、エメラルドタブレットとか、フラクタルの話とか、世界のはじまりやルール、神話、昔から「そうである」と伝わってきたもの、そして今も変わらず「そうである」とわたしたちに教えてくれるものの話になって、つまりは「そうである」ということをずっと話しました。

豊かで満ちたりた時間、幻のようで現実である、幸せな時間でした☺️

来週と再々来週は、サンスクリット語の発音をみっちり!教え直し(確認し直し)してもらうことにしました。
自分の身体を楽器に仕立て上げて、整えていく。ただそれだけの時間。そしてそれは、神様(宇宙とか大いなるものとか、「そうである」もの)からいただいた大切な音をただ出すためにする。音を捧げるために、お返しするためにする。
こんな贅沢なことって、ないんじゃないかと思ってます。

そして、これが実はまたわたしのことを未知の世界へと連れて行ってくれる(精神的には既に連れて行ってくれてますが、現実世界でも!)きっかけになる、かもしれません。
楽しみ。


ということで、今回はマントラの学びのことをいつもより詳しめに書いてみました☺️

おしまい!




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