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「将来の夢は何ですか?」「今年の目標は何ですか?」こんなこと、恒例行事のようによく聞かれません?

答えられないと、「やる気のない子」「なんかダメな子」のレッテルを貼られる風潮があるような気がします。


①子供の夢や目標を自分のモノにしてないか?

「子どもはどんな夢や希望を持ってもいい。目を輝かしてそれに向かって欲しい。」こんな言葉は、大人のエゴのように思えます。自分はもう夢を見られないから、子どもたちの大きな夢を聞きたい。そんな気持ちが見え隠れしているように思えるのです。

だからこそ、大きな夢や目標が聞けないと子どもたちに伝わるほどがっかりする。

実は、私にも思い当たる節があるんです。

夢や目標を聞くことは良いことだと信じてやまず、むしろそれを聞いて本人にも自覚させなければ!それに向かって走らさなくては!と本当に迷惑な使命感を持ってました。

使命感に駆られていたからこそ、夢や目標が答えられない子の肩身の狭い、なんとも言えない表情に気付くことができませんでした。何度も何度も「したいことはないの?」「こんなことを目標にしたら?」なんて言ってました。

その時の自分に「夢や目標は?」と聞いたら、おそらく答えに詰まるか、「生徒たちの成績を上げること!」なんて自分の夢や目標ではない、生徒任せのことを言ってたと思います。

ホント迷惑なヤツです。

大人になってからもこのフレーズによく出会います。自分で仕事をし出してから特に。私自身、夢や目標がバチッと決まってる時もあれば、なんとなくあるんだけど映像でしかまだ思い描けてなくて、みたいな時もある。そんな時に、周りがまぶしいくらいの夢や目標を語っていると、なんだか肩身が狭い。

逆のこともあります。私がバチッと答えられてる時に、別の人が夢や目標が私はまだはっきりと分かりませんって言ってる。その人の顔は、何となくうつむき加減で申し訳なさそうにしている。


②夢や目標は絶対に必要なのか?

「ある程度は必要」というのが、私の答えです。

大きな夢や目標じゃなくていいから、何らかしら自分のやるべきこと、やりたいことが分かっていればいいと思うんです。

「医者になりたい」という夢がなくても、「数学でクラス5位以内に入りたい」っていう目標があればいい。

「数学でクラス5位以内に入りたい」という目標がなくても、「自分の得意な教科を見付けたい」というミッションがあればいい。

そんな風に思います。

私は今でも生徒たちに、夢や目標を聞きます。でも、決して無理強いはしない。「今は思い浮かばないので、ちょっと考えます。」これでいい。だって、考えて見付けることが目標だから。ミッションになってるから。

夢や目標は、ゆるくていい。もちろん、大きな夢が出来たならそれはそれですごいことだから胸を張って教えて欲しいけど、ないことに恥ずかしさや申し訳なさなんて感じなくていい。何回もいうけど、見付けることが夢であり目標なんだから。


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◆「大人になるのも悪くない!仕事も楽しそうだ!」そんな風に思える子どもたちを増やすために、楽しい学びのヒントを音声でお送りしています。


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