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正解よりも、正解を作っていく練習が大切。

「今の教師と親は与えすぎている」

「子どもたちに楽しい学びを通じて、大人になるのも悪くない!」と思ってもらう。これを自分の仕事として自分でやっていくと決めた時に、本でこの言葉に出会い、それ以降、私がカリキュラムを組み立てたり講座をする時の指針としていました。

教師や親が「与えるべきもの」は何で、「与えるべきではないもの」は何なのか?

今回は、そこについて考えていきたいと思います。


①正しい答えを与えすぎていませんか?

大学生から始めた家庭教師のアルバイトから15年ほど、たくさんの子どもたちに勉強を教え、たくさんのお母さんの相談に乗ってきました。そして、たくさんの先生を見てきました。自分の娘が小学生になって、学校の中身も見えてきました。

そんな中で、「先生にも親にも共通していることがひとつある」と、私は感じています。

「正解を与えすぎているし、求めすぎている」ということです。

私も塾講師として、「正解を教える」ことが当たり前だと持っていましたし、何ならそれ以外に何を教えるねんぐらいにそこしか見えていませんでした。

でも、塾講師の時に感じていた違和感であったり、自分自身が子どもを育てていくなかで「私が子どもにするべきことは何なのか?」と考えていくと、「正解を教える」ことは必ずしも為になることではないと思うようになりました。

「失敗を許さない」というと怖く聞こえるかもしれませんが、実際の教育現場ではそんな風潮があるように思えるのです。そして、家でもそういった失敗を許さない教育が知らず知らずの間に浸透していってると私は思います。

学校でも家でも勉強していると、間違いは正されます。それは、決して悪いことでも間違ったことでもないのですが、「正しい答え」を与えるのではなくて「正解」をつくっていくことが大切。ここがすっ飛ばされていては、いつまでたっても子どもたちは自力で正解にたどり着けません。

「それ答え違うやん!!何でそんな計算間違えるん?54+32=86やろ?」

「この間、習ったばっかりの漢字が書けてない!!何で覚えてないの?ぎょうにんべんに・・・」

正しい答えを求めるがあまりに、こんな言葉出てきてません?

答えをすんなり教えてません?

先生としても母親としても、私はこんな言葉が口からボコボコ出てきてました。今でも、あります。


②与えすぎるのではなく、与えるべきものを見極める。

先生もお母さんも人間です。子どもが間違えたからといって、それを責めるようなことは一切言うな!というのは無理な話です。時間も無限にあるわけではないので、子どもが正解を導き出すまでエンドレスに付き合えるわけでもありませんしね。授業なんて特にそうです。

でも、実際、子どもを伸ばすための教育としては、先生にもお母さんにも「正解よりも、正解までの道筋を大切にして欲しい。」というのが本音。

さて、どうしたもんか?と考え、いきついたところはコレ。

「言ってしまったものは仕方ない。言った後、挽回するしかない!」

例えば、答えをすぐに伝えてしまったら、「はいー、次ー!次の問題できたら天才ー」と深刻にならずに次に進む。わざとおどけるぐらいがちょうどいいです。

正解をすぐに与えてしまったら、その後は自分で正解を出す。そんな地道なやり取りをしていくしかないと思います。

正解を導き出すチカラを身に付けるのは、そんなすぐには出来ません。でも、正解を与えすぎたら確実に正解を誰かに求め、自分で正解を導き出すチカラも、正解を作り出していくチカラも身に付きません。

この正解を導き、正解を出すというのは、何も勉強だけに必要なチカラではありません。

社会で生きていくうえでも、誰かに正解を求め続けていると一生正解には辿り着けません。

仕事も勉強も自分で正解を出していくしかない。私はそう強く感じています。

与えすぎているという言葉に出会って、自分で仕事を始めて、4年になろうとしています。

その4年を経て、私が新たに行きついた指針。

「与えすぎず、与えるべきものを見極める」


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◆「大人になるのも悪くない!仕事も楽しそうだ!」そんな風に思える子どもたちを増やすために、楽しい学びのヒントを音声でお送りしています。





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