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スピリチュアルな部分を否定しない

スピリチュアルとか運気とか、風水とか占いとか、
怪しいと思えば怪しい話はたくさんある。

人から聞いたスピリチュアルな話に入り込む必要はないけれど、
自分自身のスピリチュアルな部分は否定しないことが大切だと私は思う。

自分自身のスピリチュアルな部分も、
自分自身の一部に変わりはないのだから。

例えば、「人のオーラの色が見える」という人。
そういう人の話って真に受ける必要はない。
でも、自分がオーラが見えたからって自分を疑う必要はない。

いちいち怯えたり反応したりせず、
そういう一面もあるんだなぁと認めてしまえばいい。

「幽霊が見える」という人も、
それを利用して人の気を引こうとするのはどうかと思うけど
見えているものを否定する必要はない。

お金持ちの斎藤一人さんは、ありがたいお話をたくさんしているが
話の1割程度はスピリチュアルなことを話すと言っていた(気がする)。
9割は現実的で良いということなのだ。
なんの努力もせず「この商品売れますように」と祈っているだけでは
だめだけれど、努力を重ねつつ、スピリチュアルなものにも
意識を向けることは大事なのだと話されてた気がする。

人に会うたびに「オーラが見える」「幽霊が見える」と言っていたら
確かに困ってしまうけれど、たまにそういう一面もある、と打ち明ける程度
だったら人付き合いに支障はないと思う。

むしろ、良くないな、と思うのは
「こんな自分ではいけない」と否定してしまうこと。

自分を否定したからってスピリチュアルな部分が
消えるわけではない。
理屈で説明できないことなので理屈で考えても
消えない。

オーラが見えてもいい
幽霊が見えてもいい
人の将来が何となくわかってもいい

そうやって認めちゃった方が楽になるし
ふと気づいたら、スピリチュアルな面が薄まっていたり
消えているかもしれない。

スピ系って言葉もあるけど、別に系統を決めることなく
興味がある時はスピリチュアルな話を調べればいいし
飽きたらやめればいい。

入り込まないで楽しめる範囲で取り入れつつ、
しっかり現実を生きればいいと思う。





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