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喋るよ鳥ト少しだけ長く④前半#インタビュー

大変お待たせ致しました!!
演劇ユニットせのび第8回公演『踊るよ鳥ト少し短く』について、今回演出を務めた、せのび主宰・村田青葉にインタビューしました!

村田のインタビューを投稿します、とTwitterで宣伝してから既に20日以上が経過してしまいました。
インタビューは12月の早い段階で録り終わっていたのですが、制作・石橋の文字起こし作業が遅くなってしまいこのような時期の投稿になってしまいました。申し訳ありません。

公演から1週間経たない段階でのインタビューですので、内容的にはアツアツです。
『踊るよ鳥ト』の創作過程や自身の演出について、村田青葉青葉が、せのびの主宰そして一表現者として語っています。
村田が思い描いていた世界とはどういったものだったのか?順調に歩みを進めていたように思われた稽古場だが、公演を終えてみるとどうやら何か気になることが?

それでは、はりきってどうぞ!


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―せのびのこれまでの公演では「なぜ、いま、ここでこの劇をやるのか」というのが設定されていたように思うのですが、今回も何か意図している部分はあったんですか?

たしかに「どうして今この劇をやるのか」っていうのは、これまでの作品でもずっと意識してはいました。このタイミングがいい、とか、この月にやりたい、とか。
そういう風に時期にこだわりを持って創作をしていたんですけど、そうじゃなくて、作品に普遍性があったら時期によって見方が変わるっていうのがいいなって。この時期にやらないとあとはダメになってしまうっていう作品はよくないかなって。
そういう、これまでの自分の創作の仕方を手放したいっていうのもありました。

あとは、場所とか時期とかに縛られないで演劇したいなと思って。そういうの関係なく「演劇やりたい」って思う時は思うし。でも、結局は時期とか場所とか自分が置かれている状況とかからの影響を受けてるよね、っていうことを自覚して作品を作る方が自由かなって思って。

今回はコロナに差し掛かる時期に脚本を選んだんですけど、だからといってコロナにとらわれない作品を選ぼう、と。でも結果、演出の段階で「距離」「距離感」っていうことが意識された部分はありました。

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―コロナの影響が出始めてからの公演だと、青葉さんは、中止になってしまったダンス公演『SPR.OUT』、延期になっている『優雅に叱責するでちんちゃ』、一人芝居『@Morioka(僕=村田青葉の場合)』、落語、民話の語り部企画『ふぉるくろーる』、そして今回の『踊るよ鳥ト少し短く』に関わっていますね。これらを経て何か変化したことはありました?

んー、今は他の人ほどコロナのことは意識していないかもしれません。
コロナだからこういう芝居を書こうとか、こういう芝居をやりたいけどコロナだからできない、って感じのところからは離れていて。
とりあえず純粋に作品を作ろう、と。

そのうえでコロナだからここら辺が苦しいねとか。『@Morioka(僕=村田青葉の場合)』で全部終わった感じでして。

『SPR.OUT』が中止になって、「くっそ~~」と思って。『@Morioka』でそのときのバイトのことを一人芝居にしてみたら「なんだできんじゃん」ってなったんです。「じゃあ、まあ楽しいことしよっか」って思いながら公演をしたりしていくうちに、手放しで楽しいことは、やっぱり出来ないなっていうのが溜まっていって。
それが次回やるINDEPENDENTの脚本・演出に多分出ると思います。で、INDEPENDENTで出たら、それの反動で、自由に生きようぜってホテルスタージーン(※)が生まれましたし。(※村田の次回公演です。)

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―せのびとして久しぶりの本公演で、既成の脚本をやってみていかがでした?

台本に関しては、やっぱりノゾエさんは本を書くのがうまいなあ、って。
大学二年の夏に劇団はえぎわの公演を観に行った時に、ノゾエさんがアフタートークで脚本の書き方の話をしていて、なるほどと思ったことがありまして。

「どういう風に脚本を書くの?」って質問に、「例えば、A~Cの登場人物がいたとしたらそれぞれに事件①②③があって。それを、A①→B①→C①→A②→B②→…みたいに、パズルのような形で組み立てていくんだ」って言ってて。
それが理解できない人もいると思うんですけど、そのスムーズ過ぎない流れの作り方が自分にはすごいしっくり来て。

伊坂幸太郎さんもそうだと思っていて。『ラッシュライフ』っていう小説が1番好きなんですけど、それにも似ているから、ノゾエさんのお話を聞いたときに「あ、そっかあ!」ってなって。「こんなてんでばらばらな書き方もあるか!」って。それ以降に書いた作品でも、それこそ、せのび旗揚げ公演の『なくなりはしないで』とかはそういうパズルみたいな書き方をしているんですね。「なるほど、こういう作品でもみんなはすんなり受け入れるんだ」って、その時は思いました。

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―『踊るよ鳥ト少し短く』は舞台装置がかなり印象的な舞台だったと思うんですが、あれってほとんど脚本には書いていないことでしたよね?

脚本には「髪が絡まっている」、「男と女がいる」、「身動きがとれない」、「手の届かないところに扇風機があるようだ」しか書いていないんです。
それを、高い台を組んだり髪の毛を色んなところに結び付けたりして高低差のある舞台にしました。

最初は、お客さんの目線が横じゃなく上下で見えるようになってほしくて、地面から2メートルぐらいのところに客席を置こうとしたんですけど、安全性の問題からNGになっちゃって(笑)。そりゃそうなんですけど。

本当は、そうやってお客さんが役者たちを見下す形にしたかったんです。
どうしてかっていうと、ノゾエさんがよくやる不条理っていうのが「壁にはさまる」「穴に落ちる」なんですけど、今回の『踊るよ鳥ト少し短く』の脚本にも「穴に落ちる」っていうイメージがあったので。
だから、「下層の人たちがなんだかうごめいてるぞ」っていうのをお客さんには観てほしかったんですね。でも客席が高いのはナシになってしまったので、じゃあ舞台を上げるかって。
だけどお客さんが男の役を見上げる形になるのは絶対に違うんだよな、と直感で感じまして。

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―なんでですか?

男が一番下まで落ちているとすると女は半落ちくらいの状況だと思うんですね。

(今回の会場であった)タウンホールで観劇する時って、盛岡劇場の入り口がある1階からタウンホールがある地下まで降りる形になるじゃないですか。だから、その地下の床面よりも高い所に女を置いて半地下くらいの位置にいることにしたかったんです。それがすごく効果的になるんじゃないかなと思って。
ある意味では、劇場も身動きがとれないし喋ることもできない空間だから「制限がある」って点では、お客さんも女と同じ構図になるんですよね。
お客さんたちは劇が終わったら地下から1階の地上へと帰っていくし、女も劇の終わりでどうやら髪の毛を切ってどっか上に行くのかなっていうのがあるから、その点でも追体験ができるんじゃないかなって。

―他の舞台装置についてもこだわったことはあります?

あとは細かいところでマテリアルを揃えたかな。「木と鉄のセックス」って言ってたんですけど(笑)。
上演中、女は木のもの、男は鉄のものを使う、と。

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―たしかに、女の人は平台(木でできた台)の上にいるし、男の人は脚立とか鉄っぽいのに触れてますね

そう。まずは、女を地面よりも高いところに置こうと思って、平台を組んだやつの上に乗ってもらうことにしました。
男は、その台の上まで物を持って行ったりしなきゃいけない場面があったから、男には脚立で上り下りしてもらったんですけど、その時に「ああ、なんかこれ、ぐっとくるな」って。木と鉄の関係性っていうか。だから、男女がそれぞれ触れるものの材質を揃えることにしたんです。

床にアルミのテープ貼ったり、女の髪の毛を絡めとっている扇風機をメタリックに塗ったり、男は脚立を持ったり。
で、女は木の台の上にいて、劇場の上の方には蔦を絡めていた。自然のイメージを上に集めて、鉄っぽいイメージを下に集めた感じですかね。

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劇中でも、男は煙草とかライター、ナイフ、はさみを使うシーンがあるんですけど、女はそれらには触れずにいるんですよね。
ただ、最後の最後で男が「はさみも置いて行くし、ライターも置いて行くし」って言って。
で、男がいなくなった後に女は、男が置いていったライター(鉄製のもの)に触れるけれど火がつかないから諦める、と。
そして、「久しぶりに会うか」って言ってはさみを手にして劇が終わる。
この「鉄の物を受け入れていくわけだよね」っていうのがすごいぐっときて。恐れを受け入れて前に進んでいくのかなっていうのが。

そういう風に深読みをしちゃうんですよね。辻褄とも言うと思うんですけど(笑)。

―脚本や舞台装置など演出に関するお話をしてきましたが、今回二人芝居に挑戦した髙橋・藤原についてはどうでした?

よかったですね。
欲を言えばもっと上にいってほしいし、最終的には俳優に自立してほしいというのがあるんですけど。
でも、上に行く道を見つけたと言うか、上に行く梯子に手を掛けたし、なんならちょっと上に行ったように思っています。稽古場にいる居かたとか、舞台上での存在感もそうですけど、「なんで役者をやっているのか」「なんで舞台に立つのか」というのが強くなって舞台に立てた気がします。

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―藤原の方は稽古の初期段階で既にそれがはっきりしていた?

6月に僕が一人芝居をやった時に、藤原が「おれも役者やりたくなったな」って言ったのを聞いていまして、やりたいって気持ちがあるなら役者をやったらいいかなって思ったんです。
最初は今回の作品を男二人・女二人の4人でやろうと思っていて。でも、せっかくだから藤原が役者としてちゃんと前面に出る企画にしよう、と。

―脚本は既成のものをお借りしましたが、最終的にできあがったものを見てせのびっぽさっていうのは感じました?

これまでは、というか今でも、やっぱり見る側、お客さんって、脚本至上主義なんだなと感じることがありました。感想とかで「これはこういうお話だったんだね」みたいなのが多くて。面白い、つまんない、書けてないって評価が多いんですけど、それ以上に僕は演劇は演出だと思っているんですね。
じゃあ、どれだけノゾエさんの本で村田が、せのびが、出るのかっていうのは自分自身も取り組んでたところですね。
僕はやりたいことをやりきったので、自分らしさ、せのびらしさは出ていたと思ったいたんですけど、ある方のお話を聞いて少し違ったかもって思いました。

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―何が違ってました?

公演が始まる前は、高いところに目標を設定したと思っていたんです。
ノゾエさんの本で、役者としてもっと成長してほしい二人の役者で、外部のスタッフさんや初めましての方と公演をつくる。
でも、稽古をしている途中でわりとその目標まで届いてしまっていたみたいで。自分が成長したのか、みんなが僕の方に近寄ってハードルが下がったのかわからないんですけど、とにかく、届いていたようで。その後、一度目標に届いた後にもう一段上の目標をさらに設定すればよかったんですけど、実は越えられるハードルのままで公演前のラスト2週間を過ごしてしまったのかなって。
「最後までせのびしきれてなかったんじゃない?」って言われたんですけど、それが要因だと思います。
役者には最後まで「うまくやろうとしないで」って言ってたのに、もっとギリギリまで求めてもよかったんだなっていうのは今回感じたことです。僕自身、もっと挑戦できた。

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―挑戦とは具体的に?

一個大きなところでの賭けをしてないんだと思います。成功する、という確証のあるラインの上で「これできるかな?」は、やっているけれど、失敗するかもしれない、っていう部分での挑戦を僕はしていなくて。あー、これは自分の人間性の部分にも関わってくるかもですね。
本当に舞台に立つ人っていうのはそこまでさらけ出さなきゃいけないとも思うんですけど。
ちょっと、気合は入りました。今後に向けて。
ある意味で甘くて、ある意味で優しいんだと思っていて、お客さんにも、創作に関わる人にも、自分にも。甘くないところをやらないといけないですね…。

(つづく)

〈インタビュアー・文・写真、石橋奈那子〉


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