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『保険証は絶対に持ち歩く』:東南アジア旅行記 出発前〜1日目(11/22)

16:00(日本時間)
機内である。
9:35発、7時間20分のフライトが、40数分遅れたため、もう少しかかるだろう。そういえば遅れの便はこの便だけだった。乗り物運がない。車は何度もトラブルがあったし、飛行機も以前アメリカからの帰りで荷物が出てこないまま2〜3時間待機したこともあった。

旅行記を書こう!
と思ってノートは持ってきていたものの、実際に書き始めたのが、機内の、少し睡眠を取ってからのこの時間からになります。
時間軸が前後して読みづらいでしょうが、この調子でノート優先で書き進めていきます。(網掛けの中がノートに書いてあった言葉です。)

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座席から見える風景を絵に描きました。
「なんか、こういうノートって、スケッチとかあった方が面白いかも!」
と思ったものの、画力が追いついてませんでした……。

着く前に、2日間のことをまとめておこう。旅行記ではないけれども。いや、出発ってのこなのだろう。家を出た時か、盛岡を出たときか、友人宅を出た時か。離陸した時?離国した時?
逆に前はどうなんだろう。航空券を予約した時、行くと決めた時、ビザを取った時、興味を待った時……、と考えていくと、境目が分からなくなってくる。

このあと、飛行機に乗る前の、2日間の東京滞在について、ノートに書き記しています。(そこは旅行記とは異なるので割愛)
僕は普段は盛岡に住んでいて、演劇を観にちょくちょく上京しています。
今回の旅程も、観たかった公演を出国、帰国に挟んで組みました。その中で、

喉の痛みがあって内科に行こうとするも保険証がないことに気づく。持ってこないとダメだなあ。海外も大丈夫だろうか。

と、書き記していました。
が、これを書いているのは「」、昨日のことを振り返って「大丈夫だろうか。」と、さもその当時の不安を思って書いているのですが、
この時すでに僕のリンパはパンパンに腫れ上がっていました。

それなのに、「大丈夫だろうか」、と書いたのは、書いてしまったら認めたことになってしまうと思ったからで、既に満身創痍。
上空に上がった頃から、首の横のあたりが熱く、固く腫れ上がり、水を飲むことすら辛いという状態でした。今思い返しても、よく頑張ったと言ってあげたいくらいです。

そんな僕の身体の状況はよそに、機体は無事到着。

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バンコク/ドンムアン空港です。
文字が全く分かりません。

外に出ると、東南アジアの、ムッとする暑さを感じました。まずは、ホテルの方面へ行ってくれるバスを待ちます。
しかしこれが分かりづらい。

16:30(現地時間)
バス待ち、案内が不親切に感じたものの、周りの声を聞くとこれだと分かりやすくなったそう。
外はむっとして暑い、独特の匂いもする。
バスの時刻表がないのは、国柄かなとも思った。
いつかは来るよって、待ちなさいとのこと。
停留所から離れたところに、目当てのバスが停まる。それまで別のバスはこっちまできていたのに、不意をつかれた。みんなあわてて移動して乗り込む。
(あわてての「あわ」の字があわあわしていていい。)

そのバスはドアを開けたまま、まえにすすみだした。
理由は、前が空いたから、と思う。客も時間も関係ない、つまり運転手次第。個人がある、いいなあ。

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写っているのは、今回の同行人。
周りの日本人の方の声を聞くと、前はこの案内もなく、バスがどこに来るかも分からなかったそうでした。
バスを待つ場所が分かるようになっただけ、良くなったということでしょうが、日本では信じられないことですね。

17:00
高速バスから見る風景が面白い。
高層ビルと、廃墟やスラムが混在している。
日本にもこういう時代があったのだろうか。
ボロボロの団地のベランダに服が干されている。川沿いの方が古い建物や廃墟が多いのは、川で昔は栄え、交通が移り変わったからという背景か?
などと思索をめぐらせる。17:10渋滞につかまる。

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17:35
相変わらず窓から混沌とした世界を眺めていたら、バスの、バスの空気の中にいることが途端にもどかしくなった。ここは世界が別だ。まだ日本、東京に近い。外の空気を浴びて、五感で感じたい。
そんな中、バスは路肩を走っている。3車線の、4車線め。

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最寄り?のバス停に着いて、外を歩きます。外はすっかり夕暮れ時。見慣れない光景、匂い、音、空気を感じて、ようやくタイに着いたのだなと。

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僕です。

宿はHits Hostel(ヒッツホステル)
友人と2段ベッドの、1部屋を予約しました。
安さと立地の兼ね合いで決めたはずです。

チェックインを済ませ、バックパッカーの聖地と呼ばれる『カオサンロード』を歩き、夜ご飯を食べます。

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顔に余裕がないです。普段なら、喜怒哀楽の喜か楽で写真に写るのですが、この時はそのどれでもない、キメ顔未遂のただ不機嫌そうな顔になってしまってますね…。(このことからも体調を察して欲しいです…。)

夜はトムヤムクンマッサマンカレーを食べました。
美味しかった、とは思うのですが、もとより香辛料があまり得意ではない(なら、なぜ東南アジアに行ったんだ、という話ですが)のと、喉がそれどころじゃなかったので、トムヤムクンをすすれば咳が出る、という地獄みたいな状況で、とにかく栄養を取ろうと必死でした。

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トムヤムクンの中には、食べられないものが入っているのでお気をつけください。

この日は買い物はせずに、ホテルへ戻ります。

21:30 ホテル
チェックインから食事まで、言語の壁の前で変にカッコつけてしまった気がする。足元見られたくないし。
でも、そのコミュニケーションは断絶だよなあって思って、明日からは頑張ろうと思った。
ネットをつけると、TVも見れるし、Twitterも日本語が溢れている。この距離感はなんだろう。
いつもは肉体が日本で精神がどこかに行っている。今回は肉体が海外で精神は日本(いや、普段も精神は日本か)。

あくまで観光なのだけれども、観光でしかない、ということを感じていました。
これならば、本やテレビで見てるのと変わらないなあ、もっとコミュニケーションを取ったり、肌で感じたりしたいなあ、と思って書いたことだと思います。

その結果、翌日痛い目に遭うのですが、それはまた近いうちに更新します。

2段ベッドの上では友人がYouTubeで挨拶の練習をしていました。今かよ。

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