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ついぶらりと島鉄

2021年春、長崎二日目。天気朝から雨。長崎は今日は雨だった。長崎ではかなり高確率で雨に降られる。旅先の雨はたいてい残念だが長崎に関しては当たりの気分だ。(豪雨でなければ)
だがこの日は市内を離れ朝早くから諫早へ。斜面しかないような長崎市に比べ諫早は平たい。同じ長崎とは思えない。まず今回は諫早の眼鏡橋を見に行くことに。
九州は石造りの橋が多い。その代表が長崎市内の有名な眼鏡橋だが同じ中島川には他にも複数石橋が架かっておりなかなか圧巻な風景だ。
さて話は諫早の眼鏡橋だ。
基本私は橋というものが素材、構造を問わず好きだ。大小問わず渡ってよし下から見上げてもまたよし。知らない土地の橋はそれを渡ればその向こう側に何かいいことがあるなどと思ってしまう。
特に石造りの橋は私の住む関東にはあまり見られないのでそんな珍しい石橋を見るだけでつい嬉しくなってしまう。
長崎市の眼鏡に比べ諫早市の眼鏡はデカい。(まあ長崎市の眼鏡橋が結構小さいのだが)
周辺は城址公園になっており周辺随所に石垣の痕跡が見られなかなか好きな風景である。
そんな中でも今回妙に気に入ったのが城郭の下をくぐる島原鉄道のいかにも古い石造りのトンネルだ。
もちろん眼鏡橋とは時代がまったく違うのだろうが周りに合わせて造ったのか、まるで城があった時代に既に鉄道が走っていたかのような実にいい雰囲気のトンネルだ。
さて眼鏡橋を見たところでまだ午前中。せっかく好きな土地にいて時間もあるというのに次の行動を何も決めてない。これは自分にとってなかなか幸せなことである。

島原鉄道に乗って島原まで行くことにした。

島鉄には途中「映える駅」大三東駅がある。CM等で過剰に有名になった感はあるが地元民からすれば普通の日常風景。なんと贅沢な日常。
その一方で周辺住宅の窓のほとんどが米印の養生テープ。今回の九州の旅で普通に見る風景だ。東京でももちろん昨今よく見るが疫病禍直後の九州地方は特に豪雨被害がひどかった。「映える風景」も過酷な災害も日常的。こんな所に住みたいとか簡単に思うがそこには地元の覚悟というものがあり、そして旅人はいい所だけ見て気持ち良く帰ればいい。幸いにもこの日はちょっと雨、もはや好天の部類だ。
雨空の大三東駅は下車することもなく通過し島原に到着。
なんやかんやで20年ぶりくらいか。前言った時はまだ島原港駅より先にまだ運行区間が存在した。
とりあえず島原に降りたがもちろん予定もなければなんの目的もない。
ベタに島原城を目指すことに。
地方都市で城に登ったら負け。それはわかっている、わかっていてもそれが模擬天守だとしても私という人間は城は登ってしまうのだ。
島原はかつての権力者の居城だがその後ろにさらに大きな力の主、普賢岳。 島原の特異な風景だ。
早朝に出たため島原まで来てやっと昼飯時だ。城の前のいかにもな観光食堂に入る。正午過ぎだったが平日、疫病禍ということもあってか割と空いていた。
看板に名物であろう「具雑煮」という料理名。私はこれも「貝雑煮」と誤読して「かいぞうに」とはっきり注文した。特に訂正されることもなく「具雑煮」が配膳される。「貝がはいってないなぁ・・・」店を出る直前にメニューの文字が具であることに気付く。 今思い出しても恥ずかしい。夜中に布団の中で足をバタバタさせてしまう。これぞ掻き捨てられない旅の恥だ。だが向こうはカケラも憶えていないだろう。毎日一人くらいはいるだろう、と思いたい。

城周辺、武家屋敷などもいいがやはり島原は普通に鯉が泳いでる街がいい。そんな商店街のスナックに「県外者お断り」の貼り紙。
疫病禍継続中の実感。
かといってよそ者かと厭われることなどは一度もなかった。

午後にはすっかり晴れており帰りの島鉄では晴れの大三東駅を拝むことができた。
本日は長崎市内連泊。
長崎に帰れるというこの喜びよ。
近年にない旅で貴重な時間を過ごしている実感。疫病禍であるにも関わらず。


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