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疫病禍の旅々1 京都

2020年令和2年1月11日、私は京都にいた。
前々年より旅のイラストコラムの仕事をいただきほぼ2か月に一回のペースで日本のどこでも取材にいっていいという仕事だ。
これはうれしかった。本業の漫画のほうの仕事量が減っていたのでありがたい上に時間も割とある(単に仕事が減った)。
なによりずっとやりたかった類の仕事と言っていい。

だがそんな時に限って別件で今までやったことのないページ数の漫画の仕事が入る。
私は本来4コマとかショート(4ページくらいの)が主戦場であり約半年の間に200ページ近く描けと、しかも手伝いなしで(人雇うお金ないんで)
それはもう別ジャンルの仕事と言っていいだろう。それプラス少ないとは言えレギュラーの漫画仕事も変わらずこなさねばならない。そこにプラス旅だ。
実際は取材のストックはわずかにあり大仕事の間に行った旅仕事は2回、そのうち1回は近場日帰り、もう1回が京都だった。

旅と机仕事(漫画原稿描き)は相性が悪い。簡単な旅でも原稿作成の途中で一回出てしまうと別のテンションになってしまい
再び机に向かうのがなかなか難しくなってしまうのだ。自分の中では旅と漫画は別ジャンルなので区切り、切り替えを重視しないと共倒れになってしまう。
特に京都は好きな場所だけにできればこの大仕事が終わってからの取材にしたかった。
「これが終わったら京都行くんだ~」という希望、というより死亡フラグのような思いを抱きながらの作業の日々だったのだが残りもう少しの原稿を残し旅仕事の締め切りが来てしまい結果、心晴れぬままの慌てての京都に行きとなってしまった。
受験も終わってないのに卒業旅行にいくような締まりのなさであった。

さてそんな京都、冒頭でもあるように2020年の1月のことである。
普通は勤め人ではない特権ですいている平日を選べるのだが今回は原稿の合間行けるのが土曜になってしまった。
2020年1月、土曜日の京都。当たり前のように大混雑、ついでに言うとその半数以上が外国人。(もういろんな国)
それを避けるため京今回は都の中心からちょっと離れた木津川の流れ橋(上津屋橋)を取材先に決めていた。
時代劇ロケでもおなじみの木製の橋で増水時には流れても構わないようにな構造で作られているのだが・・・流れてしまっていた。

ロクに調べず飛び込みで行く旅はやはり裏目に出る。流れ橋は前年の台風でほぼ原形をとどめていなかった。
これは使えない。その場で計画変更、よりによって京都観光の中心、しかも嵐山突入することにした。

嵐山は当然人で一杯、途中の嵐山鉄道から外国の方々で満員、日本人の若い子たちはこぞってレンタルの着物着てる、飲食店はみっちり、渡月橋は人も車も大渋滞。それがほんの1年半前、2020年1月京都の風景だった。


準備のない急ぎ旅、帰ったらまた原稿しかも取材先の選択失敗、いいことなしの旅だったかのようにも思われるが
結果的に生涯のなかでも特に印象深い(皮肉なことだが)旅となってしまった。
ただその後の世界的変化とは関係なくこの旅は妙に楽しかった。


ここから先、疫病の波のタイミングを計りながら旅が続くことになるのだがむしろなかなか珍しい経験(旅に限らず)の中にあると割り切り
前向きに捉えていきたいと思う。

そんな珍妙な日々の記録としてここに残していくつもりである。


疫病の旅


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