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日記 人生で初めて宝くじを買った話

死ぬまでに買ってみたいと思っていた宝くじを買ってみた。バレンタインジャンボ連番10枚3000円である。
言うまでもなく外れ、連番で買えば1000割当たる末一桁の300円だけが当たった。
それでもなんだかとても楽しかったので記録したいと思う。

きっかけは年末ジャンボを買い損ねたことである。
それ以上前、そもそもなんで買いたがったのかは思い出せない。ただ未成年の頃から一回買ってみたいな〜成人したら買ってみよ〜と思ってたり毎年末にソワソワしたり先輩が買ってみたと話すのを聞いたりするうちに長年の願望を今こそ叶えようと思い立ち、思い立ちながらも年末を逃し、その次にラジオがやたらと宣伝していたのがバレンタインジャンボで、徒歩で売り場に通りすがったので突然買った。

まずやったことは、3億円とは実際どんなもんかという計算である。
年収換算や土地や家や年金税金で持ってかれる金を色々と計算してみた。多分ガバガバだが「3億円」よりはリアルでたのしかった。
その結果、5000万くらいで関東圏の殺伐とした場所に土地と家とガス窯を購入し、のんべんだらりとたまに陶芸をしたり絵を描いたりして、残りの2億5000万円でなにもしなくていい世界をつくるのが理想だな……となった。
最高である。
ちょっと想像しただけで心の安らぎがすごい。
なにをしててもいいしなにもしなくてもいい。1人のままで猫や蛇やアロワナを飼って、あとはカップ麺を食べて生きててもいいのだ。家にいるからペットの世話もできる。あと真冬でもちゃんとあたたかくなる暖房も入れたい。あまりの平穏さに泣きそうである。孤独で寂しく安らげる最高の環境、ハイパーワンダフル。

……という、想像上の自分への嫉妬で気が狂いそうになった辺りで打ち切った。

自分にまだ嫉妬するほどの願望があったのだなぁとしみじみ思いながら、まあ3億じゃなくでもしなんかしら当たればしばらく月一で美容室いこう、車のバッテリー交換しよう、自転車買おう、値上りし続けてる炭酸リチウム粉末を買おう、玉露のお茶っぱと形のいい急須を買おう……とまあとりあえず購入したいものも思い浮かんできた。
なにもしたくないといいながらわりと物欲まみれで恥ずかしさもひとしおであった。鬼が臍で茶を沸かし、取らぬ狸の前祝いをしていたら影を食われてしまう勢いである。
いや車のバッテリー交換はすぐにでもしなきゃならんのだけども……。

通常では考えられないうきうきした気持ちでしばらく過ごせて、当然外れた訳であるが、滅多にない能動的な気分で持ってして過ごせたのでいい経験をしたとかんがえている。

まあ、夢を買っている、という言葉が表すとおりその実態はゆめまぼろしであり、なんなら「宝くじは愚か者に課せられた税金」という言葉すらあるらしい。
ただ自分のような、色々と夢や希望を持たないよう気をつけることで夢や希望が叶わない辛さを味わわないよう人生に折り合いをつけがちな人間にとって、3億あったらという想像は普段感じない楽しみがあった。 金で夢が買えたならそれでいいのではないだろうか。

少なくともソシャゲのガチャに金を突っ込むよりは大分健全である。私はたまに回すんですけど。それに比べたら健在じゃない?健全か?健全なんだろうか。
これについては私の場合だし大いに脱線する話でもあるが、ソシャゲガチャは「このキャラ引きたい!!」の時はまだ理性が働くものの「理性を飛ばして金をドブに捨てたい、その間にちょっと良いキャラが出ればラッキーだけどそれはさておきこの憂鬱を金でぶっ叩きたい、無為なことがしたい、誰にも迷惑をかけず愚かなことがしたい」と酩酊している時にアップルカードを切ることが稀によくある、ので、私にとってソシャゲはすっげぇ不健全なのである。それに比べれば3000円で自分に関わる希望的空想が持てて一応公共事業に使われるという建前がある宝くじは非常に健在であるといえよう。
おっそろしいことにこの世には「課金は家賃まで」という名迷言があり、この迷言を知ってしまったせいで「家賃の◯分の1は少額なのでは?」という気持ちになることがある。大変によろしくない。弊社には早く私を減給してもらいたい。早く……!殺せ……!俺が手遅れになる前に………!!生活費ギリギリまで下げてくれ……!!

欲があると楽しいねって話をしたかったのに欲があるとこうなるのである。3億、当たらなくてよかった。私は自滅するタイプの人間に違いない。
その自覚した上で、空想と割り切ってたのしい空想ができるのは面白い経験だったのだ。今年の年末ジャンボあたりにまた、今度はバラで買ってみたい。

とりあえずは300円券、替えるかどうかが目下の悩みである。

#日記

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