海の見える家

トースターはちりちりとパンを焼き上げている。
少しずつ香ばしいバターの香りで満たされて行く部屋の中で、手挽きの豆からコーヒーを入れる。
細い線を描きながら注がれるお湯に気をつけつつ、既にテーブルの上に並べられている卵とベーコンに注意が向く。あれが冷める前に全ての準備がととのうといいのだけれど。
ふと自分の手際に心配を抱いた頃。
寝ぼけ眼のあなたが起きてきて、「いいにおいした」だなんてつぶやきながら椅子に座った。私は急いで、でも今以上の急ぎかたもわからずやはり丁寧にコーヒーを抽出して、カップに注ぎ分け、丁度よく小気味いい音を立てパンを吐き出したトースターからスライスされた食パンを取り出してテーブルで向かい合うようにそれらを並べた。

完璧だった。
完璧な「朝の食卓」がそこにあった。

おかしいのだ。
私はこの人と、とうの昔に別れている。
この人は私のことが好きで、そう告げられた私は特に断る理由もないので恋人になることを了承して、そして結局好きにも嫌いにもなりきれなくて別れてしまったはずなのだ。
ずいぶん泣かれたけれど。別れたのだった。
別れられたのだろうか。どうにもはっきりと思い出せない。

なんだか空恐ろしいこの完璧な食卓を彩るように窓からゆらゆらと朝の光がさす。

「今日はなにか予定があったかしら」
「なにもないよ、家でのんびりしてればいい」
「ねえ、今私どこにいるの?」
「僕たちの家だよ」
「……あなたわたしをどこにつれてきたの」
「誰にも邪魔されない穏やかな朝だ」

完璧な食卓越しに、あの日見たような揺らめく水面を錯覚する。
窓からは青い光が注いでいる
私はその窓から外の景色を眺める。
魚が窓を横切った。

***
無理入水心中をした、今は水の底にいる男女の話です。

#小説

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?