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人生で一番佳き日

 2024年4月20日土曜日、この2ヶ月で東京と実家の4往復目の移動をしていた。3月から犬山祭のお囃子練習と犬山祭本番のために週末に実家に戻ること3回、では、4回目は何なのかというと、私の姉の結婚式に出席するためだった。金曜日は深夜までライターのバイト、月曜日の2コマ目にも授業があるので、週末にさっと帰ってきて、披露宴が終わった瞬間に東京に戻る形だった。実家の家族からしたら慌ただしく見えたかもしれないが、東京と名古屋の時間距離などたかが知れているので、私自身はただ移動しただけという感じではある。

 4月21日日曜日、大学に進学するときにあつらえた礼服を引っ張り出して、教育実習の時とは別の結構良い革靴を履いて、式場に向かった。初めて着る礼服だからしつけ糸を外したりしてたが、1本気づいていないやつがあった。目立ってないのでセーフ。ちなみに、白い礼服用のシャツを下宿に置きっぱなしだったので、実家の方で買う羽目になった(▲5k)。父親はモーニング、母親も納戸の奥底にあった黒の着物を着ていて、少し新鮮だった。着物は当然だが、モーニングも結構着るのが面倒らしい。僕は普通の礼服なので、何も準備はいらなかったが、ガチ目の礼服というのは大変らしい。

 クロークに荷物を預けて、控室で待つこと1時間、白無垢姿の姉が入ってきた。

 すげ〜わ、誰か分からんかったもんね〜綿帽子でっかいし、すっげ〜重量感のある衣装だし、華奢な姉がこんなん着れるんかいなって感じだったが、しっかり重いし暑かったらしい。そりゃそう。

 何枚か写真も撮ってもらい、次は両家顔合わせ。新郎のご家族は、新郎の両親と兄、妹夫婦とその娘さんだった。新郎は3人兄弟の次男らしい。ちなみに僕は新郎の顔を見るのは、ここが初めて。何の仕事をしてるかくらいしか聞いてなかったし、なんなら名前もここで聞いたかな。覚えてなかっただけかもしれない。多分良い人だと思う。姉が選んだ人だから間違いはあるまい。両家それぞれで写真を撮って、いよいよ新郎新婦を先頭に式を挙げる神前へ向かう。

 お祓いをしてもらい(修祓って言うらしい)、斎主の祝詞の奏上、新郎新婦の誓杯の儀と誓詞奏上、玉串奉納、指輪の交換、最後に親族杯の儀を行って終了。30分弱くらいだったかな。式中に新婦は多少移動しないといけないんだが、白無垢って裾が長いからこれを引きずらずに移動するために、巫女さんが裾をたくしあげたりしてて、本当に大変そうだった。丁度姉のすぐ左横に座っていたが、改めてすごい衣装だと思ったものだ。

 その後、両家全員で写真撮影。スタッフさんは、衣装の1mmのズレも妥協しないと言わんばかりに、両家の襟や袖などを直しまくってた。これがプロの仕事か、気合が入りまくっている。毎年、祭のときに朝、若衆・子供連が写真館で撮影するのだが、それとは比べるべくもない。まぁ、人生で一度だもんな。

 その後、新郎新婦を置いて披露宴会場に先乗り。地上200m、51階だってさ。尤も生憎の雨模様だったが。やっぱ室内で挙式するのがデジタルということか。ウェルカムドリンクをお選びくださいと言われたので、まぁ、こんな時くらいしか飲まんからなと、ロゼスパークリングをいただいた。ちなみにこの日、乾杯用のシャンパンと白ワインもいただいたので、普通のこの日だけで、今までの3倍くらいの量の飲酒をした。今までが飲んでなさすぎという話だが、これにより、常識的な量だったら前後不覚にはならないということが分かった。良いお酒だろうし、当然だろうか。しばらくすると、着替えた新郎新婦が入場だったが、これも凄かった。新郎は白いタキシード、姉は深緑色のドレスだった。

 すげ〜わ、お姫様だったね。姉は華奢だけど、背はそこそこ高いから画になってた。たくさん写真も撮ったわけだが、一生忘れることはないだろう。

 その後、新郎新婦が、1ヶ月前になばなの里で撮影していたウェディングフォトを見ながら食事会だった。

お洒落な品目しか書いていないmenu

 まじで全部、美味しかった。ハイソサエティな食事なんて滅多にしないし、味の良し悪しなんか分からないけど、ちゃんと庶民でも食べられるもんだな。
 ウェディングフォトの撮影は雨こそ降ってなかったけど、曇天で寒かったらしい。移動中はブランケットを羽織りながら朝6時から準備してまわっていたらしい。大変だねぇ〜 ついでにギガレベルで送られてきた写真データから150枚くらいを選んでスライドショーにしたらしい。大変だねぇ〜

 そんなこんなで披露宴も終わって、新郎新婦に挨拶して、礼服は家族に預けて、そのまま新幹線で戻ってきて、今これを書いている。
 歳は離れているけど、私のただ1人の姉弟、末永く健やかな家庭を築くことを切に願っている。
 お幸せに、お姉ちゃん

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