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果てしない自由(下書き)


『我が愛する妻、ソフィーにこの書を捧げる———
 

第一章

盛大な拍手の嵐が聞こえた。かと思うとそれは地面を突き抜けてしまうようなひどい雨音であった。
放課中、ヒロは独り机に突っ伏していた。
すると、いつものように彼の友人トリュが駆け付けてきた。
ヒロの前の空いた席に座ると、トリュが言った。
「おい、ヒロ。またつっぷしてどうしたんだよ?」
「……疲れた」
ヒロは机につっぷしたままもごもごと言う。
「まぁ、今日は見ての通り大雨だしな。外で遊ぶこともできない。加えてここじゃ、ゲームはもちろんトランプだって禁止されてるときた。そりゃ、疲れちまうよな」
外では重たい雨が降っていた。
ヒロの所属するここ、ヤノベル高等学校はルール(規則)が厳格だった。生徒は勉強することを是とされ、授業のほとんどは決まって座学だった。また髪型は端正なものが良いとされ、服装は制服。遅刻に対する処罰は相当なもので三回遅刻した場合その授業の単位は剝奪されてしまう。それ以外にも様々な厳しいルールが存在した。
ヒロは顔を上げたかと思うと、顎を腕の上に乗せ、言った。
「いや、まぁ今日が雨でつまらないっていうのもあるけど」
「あるけど?」
トリュが促す。
「なんか生徒やってるの疲れたなぁって」
「なるほどな。ヒロはここ、ヤノベル高等学校の厳格なルールに疲れ切ってしまい、その疲れはなぜそもそも自分は生徒であるのかという問いを呼び起こすこととなったわけか」
トリュは探偵気取りで言った。
「詳細な分析どうも」
ヒロがだるそうに言う。
「まぁ、この生活もあと数か月さ。俺たちもう卒業まで一年を切ってるんだぜ?もうちょっとだけ頑張ろうぜ。な?」
「……」
ヒロはトリュに応じず、机と空間の境界線を見続ける。
トリュが続ける。
「それにさ。今の生活もそんなに悪くはないだろ?」
ヒロの視線がトリュに向けられる。
さらにトリュが続ける。
「勉強していい成績とれば、親を喜ばせることができて、先生だって喜んでくれて。俺たちは毎日うまい飯を食えて。ちゃんと勉強ができれば未来だって保証されてる。大学に行くのも良し。就職するのも良し。ヒロ、君はこれ以上何を求めるってんだい?」
「……」
ヒロはまた視線を戻した。
授業の開始を告げるベルが鳴った。
「まぁ、あんま考えすぎんなよ」
トリュはそういうと、自分の席に戻っていった。
 
五限目は歴史の授業だった。数分後教師が教室に入り、授業が始まる。
「二十年前、まだ君たちが生まれる少し前の事だ。我がN国はかつての大国L国に勝利し、世界の覇権を握った。その後L国からもともとN国のものであった国土を取り戻し、N国は世界のリーダーとして様々な他国の問題を解決してきた。政治、経済、内戦など、どの分野でも他国の発展に多大な影響と恩恵を与え、N国は世界の平和を維持してきた」
ここで一人の生徒が尋ねた。
「先生、なぜN国は戦う必要があったのですか」
「おっといかん、大切なことを言い忘れていたな」
先生は礼を述べると続けた。
「戦争の火種に火をつけたのはL国だった。先ほど、もともとはN国の土地を取り戻したと言ったがそのN国の土地は実は半世紀前にN国がL国に譲った土地だった。当時L国はまだ小国で資源のある土地を求めていた。そこでN国はL国と同盟を組み助け合うことを誓った。だが……L国はそれを裏切った。L国民は強欲だった。新たな土地を求め続け、ある日N国に攻撃を仕掛けた。終戦後、N国が訳を聞くと、L国には浪費文化があるらしく、資源や金をすぐに使ってしまう文化を持っているらしい。だから新たな土地を求めざるを得なくなったと。実に嘆かわしい話だ。
当然、N国はL国に反撃し、圧倒的な力でL国を屈服させ無条件降伏させたその時に土地を返してもらったという訳だよ」
「L国の人は頭が悪いんですね」
その生徒がそう言うと他の生徒は笑った。
先生も笑った。
「その通りだ。いや、ひょっとするとN国民がずば抜けて頭が良いだけなのかもしれん。N国はいかなる時も協調を求めてきた。争いを持ち込むのはいつも他国の方からだった—」
 
授業も終わりが近づいてくると教師が言った。
「いいか、みんな。今の生活は多大なN国民の犠牲の上にある。この当たり前は二十年前までは当たり前ではなかった。日々感謝を忘れず、勉学に励むように」
授業が終わると、ヒロはすぐに家に帰ろうとした。
ヒロが教室から出て学校の出口に向かおうとするとどこから現れたのかトリュが行く手を阻んだ。
「待てよ、ヒロ。今日ヒロのうちいっていいか?」
「ああ、いいよ。ただちょっと本当に疲れてるんだ。だから頭つかうゲームはしたくない」
トリュはヒロと並んで歩く。ヒロの背はトリュより少し高かった。
「大丈夫か?寝不足か?」
学校を出て、街を歩きながら話す。
「いや、そうじゃないよ。なんだろうな。さっきも言ったけどさ。もう疲れたんだよ。毎日毎日同じことの繰り返し。少し前までおれはそれでいいと思っていた。けど、なんでだろうな。違うんだ。何かが違う。なにが違うのかは分からない。けど何か違うと気づいたとき僕はもう一つの事に気付いた」
「なんだ?それは」
トリュが促す。
「僕はずっと違和感をいだいていた。その何か違うっていう気持ちをどこかにずっと持っていた。なにかが足りないんだ」
「なるほどな。違和感か。そんなこと考えたこともなかったな」
トリュは続ける。
「ヒロ、大丈夫だよ。そんなんゲームしたら忘れるって」
 
その後、二人は夜までゲームをした。
トリュが自分の家に帰ると、ヒロはベッドに転がった。
「なんかちがうんだよな……」
ヒロが呟く。
 
その日、ヒロの違和感が消え去ることは無かった。
 
翌日、ヒロは学校を休んだ。
彼は病気になったわけでもなかった。ただ、何となく心持ちが悪かった。
そんなヒロを気遣ってくれたのか、ヒロの母が彼の枕元で言った。
「大丈夫?ヒロ?体調悪いの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……疲れちゃってね。ちょっと今日は学校休む」
「そう……わかったわ。朝ご飯はちゃんと食べるのよ。昼ご飯も食べるものはあるから自分で何とかしなさいね」
そして母は声を潜めて言った。
「あんまり勉強頑張りすぎちゃだめよ。あんたはあんた。あんたらしい生き方をするのよ」
そう言うと母は
「じゃあ仕事行ってくるから、留守番お願いね」
と言って部屋を出て言った。
ヒロは特段眠たいわけでもなかったが、そのままベッドに寝転がっていた。
 
しかしそうするうちに気付くと眠っていた。時計の針はちょうど正午を指していた。ヒロは起き上がる。テーブルの上に食事が載せられているのを見て母が朝ご飯をつくってくれていたことを思い出す。昼ご飯の代わりに食べることにした。バターが乗ったトーストを再度トースターに入れ、その間に冷めたハムエッグをそのまま食した。少し待つとチン、と甲高い音が聞こえ、トーストを取りに行きミルクと合わせて食した。
ヒロは時計を見た。
おそらくだが、彼は午後になるとトリュが家にやってくると予想した。
ヒロは外に出た。
彼は街を歩く。その足取りから彼に行く当てがないことはよくわかった。
 
ヒロは歩き続けた。
ふと、ある建物の前で足をとめた。
——図書館であった。
この街の図書館は歴史ある図書館で、一軒家が軽く二十軒は入るであろう程の大きさであった。
彼は幼少期のころの記憶を思い出したのか、図書館に吸い寄せられるように入っていった。
 
ヒロはあてもなく本棚の前を通り過ぎた。いくつかの本を手に取って頁をぱらぱらとめくってはすぐに本棚に戻すということを繰り返した。
それを二十回ほど繰り返した頃であろうか。ある本をまた手に取ろうとすると、その並べられた本の奥に文庫本が押しつぶされているのに気が付いた。
ヒロは押しつぶされていた本を手に取り、ぱらぱらと頁をめくろうとしていた本を元の位置に戻した。
ヒロが手に取った本の題名は「自由と抑圧」。
ヒロは首を傾げた。しかし、彼はなぜかその本に、表紙に記載されたたった五つの文字に強烈な魅力を感じた。しかしその表紙の言葉の意味がヒロにはわからなかった。
ヒロは近くの席に座りヒロはその本を開いた。
 
『これは君の物語
 
冒頭にはこのように書かれていた』
 
その本の概要はこうであった。
とある青年が毎日の生活に嫌気がさし、「自由」というものを求め続けそして——
『僕はその本を無我夢中で読んでいた。まるで自分のことじゃないかと』
 
どこからか音声が聞こえた。気づけば閉館時間になっていた。
ヒロはその本を借りようとしたが、現在利用券を持っていない気が付いた。
渋々彼は本をもとの位置に戻した。
ヒロは家に帰宅し、辞典を開いた。しかし、そこに目当ての言葉は載っていなかった。階下より母に呼ばれると夕食を食べ、シャワーを浴び、再び階段を上り部屋に入って床に就いた。しかしヒロはなかなか寝付けなかった。
『「自由」ってなんだ?なんで辞典に載ってないんだ?明日土曜だからすぐ……』
 
翌日は休日で学校は休みであった。ヒロは休日にも関わらず、早起きをしていた。
そして時刻になるとすぐに図書館に向かった。
図書館に入って階段を上り、昨日と同じ、あの本のある本棚に向かった。しかし、
『ない。あの本が無い。僕は焦った。誰か借りてしまったのだろうか?僕はこの図書館のサービスカウンターに向かって、司書の人に尋ねた』
「あの、[自由と抑圧]という題名の本を探しているのですが」
「じゆうと……よくあつですか?著者の名前は分かりますか?」
「ええと……すいません忘れてしまいました。しかし、昨日xxxの本棚に合った本です」
「分かりました。少々お待ちください」
司書は事務室に向かった。
「[よくあつとじゆう]という題名の本を検索しましたが、どうやらここにはそのような本は無いようです」
ヒロは驚いた。
「そんな、あり得ません。確かに昨日ありました。三百ページほどの文庫本が」
司書は答える。
「題名をお間違えではないでしょうか?本当に[じゆうとよくあつ]で間違いないですか?」
「はい」
「おかしいですね……しかし私としては無いというほかにはどうも…………」
「分かりました。すこし自分の方で探してみます」
ヒロは昨日あったはずの本があった本棚を隈なく捜した。その本棚の周辺の本棚も入念に捜した。しかし見つからなかった。
ヒロは肩を落とした。まだゆっくり読んだためか、四分の一までしか読めていなかった。しかしヒロはどうしても諦めきれなかった。日が暮れるまで捜した。
しかし、見つからなかった。
とぼとぼと図書館を出る前、司書に
「やはりありませんでした。もし見つかったら連絡を下さい」
と言ってその場を後にした。
ヒロは少し下を向いて歩いていた。
今日は休日と言うこともあり、夕焼けの差す街はこれからくる夜に向けて活気を帯びていた。屋台にいる人がヒロに声をかけた。
「そこの君!おいしい焼きトリュはいかがかな?」
ヒロはそれを無視した。彼の耳にはその声は届いていなかった。
『自由。自由と抑圧。自由ってなんだ?抑圧ってなんだ?なんだこの気持ちは。僕は今まで、ただ何となく過ごしてきた。けどいつもこれでいいのかって思ってきた。その度にこれでいいと自分に言い聞かせてきた。けどあの本を読んで、やっぱりそれは偽りの心だと判った。あれは僕の本心じゃない。あの本に登場する主人公はまさに自分だった。学校に対してどこか鬱屈な気持ちを抱いていて、何かが違うと感じていて。けど違う部分もあった。それは彼(主人公)が自由を知っていたことだ。彼は間違いなく自由の意味を知っていてそれを基に行動をしている。彼は常々言っていた。「これが自由だ」と。でもその度に僕は戸惑った。どれが自由なのかと。巻末の方を見ても自由の意味は載っていなかった。どうすれば、どうすれば自由を知ることができるんだ?』
ヒロはふと立ち止まった。
『そうだ。お母さん。お母さんが昨日言ったことに僕は違和感を抱いた。何だったっけ……。確か僕のしたいように生きていいみたいなことを言ってたっけ?まぁ聞けばわかるか。帰ろう』
ヒロは帰路に就いた。
 
「ヒロ、お帰り。夕ご飯できてるわよ。手を洗って食べなさいね」
「わかってる」
ヒロは手を洗い、食卓に着いた。
今日は母特製のシチューだった。
母が雑事を終えて席に座り、コーヒーを淹れた。
母がコーヒーを淹れる最中にヒロは尋ねた。
「ねぇ、母さん。[自由]って何?」
ヒロのお母さんの動きが一瞬ピタリと止まる。しかしシチューから立ち上る湯気を眺めていたヒロにその母の様子は見られていなかった。
「自由?なに、その言葉?どこに載ってたの」
ヒロの母は首を傾げて尋ねた。
ヒロは肩を落とす。
「そっか、もしかしたらと思ったけど、お母さんでも知らないのか……」
ヒロが母に視線をやると、母は手を額に当て、眼を隠していた。
「お母さん……何かあったの?」
母は両手を机の上に置きヒロを見た・
その際ヒロはお母さんが刹那なにか物悲しそうな表情になったのを見逃さなかった。
「やぁねぇ。別に何もないわよ」
そう言って母はコーヒーをそそくさと飲んでしまい、皿を洗うと言った。
「じゃあ、ヒロ、明日お母さん朝早くからお仕事だから。朝ご飯は用意しておくけど、あっため直して食べてね。それじゃあもう寝るね」
そして母は台所を出る前に小さな小さな声で誰にともなく呟いた。
「いいわねヒロ、あなたは間違いなく、私の息子よ」
その声は消え入るようなか細い声だったものの、なぜかヒロにはしっかりと聞こえていた。
お母さんは二階にある自分の寝室へと向かう。
ヒロは首を傾げ、その後ゆっくりと少し冷めてしまったシチューをすすった。
 
翌朝。
ヒロはゆっくりと目覚めた。しかし、すぐに起きることはせずに数儒分ベッドに寝ていた。しかしもう眠れないことを悟ったのか徐に起き上がり後洗面所で顔を洗い、台所に向かった。そこには朝食ではなく、白い便箋があった。ヒロは何の手紙かと思い、椅子に座らず便箋を手に取り封を開けた。中には二三枚の手紙が入っていた。
手紙にはこう書かれていた。
 
ヒロへ
あなたがこの手紙を読んでいるということは、あなたが一つの真実に辿り着いたということ。いえ、真実の一歩ともいえるかもしれないわね。
あなたがこの手紙を読んでいる時、私はどこか遠い所へ旅立っていることでしょう。行き先は分からない。分かっていたとしてもあなたに言うことはできない。
 
ヒロはこの文を見るや否やすぐさま階段を上った。そして母の寝室へとノックもせずに入った。無論、母はそこにはいなかった。ヒロはクローゼットを開ける。彼は衣服が極端に少ないと感じた。それに、母が好んで使っていたバッグだけでなく、会社の出張の際などにいつも用いていたスーツケースが無かった。ヒロは目をかっと見開いていた。母が遠出をする際は必ずヒロに一言伝えていた。しかし今回はそれが無かった。
ヒロは急いで手紙のある台所へ戻った。
彼は現実を受け入れられるのだろうか。
 
手紙の続きはこのようであった。
 
なぜ私があなたの元を離れるのか。ごめんなさい。それはまだ言えません。少なくとも現時点では。
けど、あなたにはきっとそれを理解する日が訪れる。だから後は流れに身を任せることにします。
 
さて、この手紙であなたに伝えたいのは他でもない、あなたのお父さんのこと。
あなたが生まれたころ、お父さんはとある場所に閉じ込められていました。この場所がどこなのか、これも言うことはできません。ごめんね。けどこれもやっぱりいずれ知ることになると思う。
お父さんが生きていのるかどうか。これもわからない。わからないことだらけだね。ごめんね。わかっていることだけ書き留めます。
お父さんがあるところに行く前、お父さんはみんなに「旧国式の人間」と呼ばれていました。「旧国式の人間」とは自由を求め続ける人のことを指していました。
そう、「自由」という言葉が禁止になったのは今から約四十年前のこと。だからいい?ヒロ。決して人前で「自由」という言葉を使ってはいけません。特に年長者の前では。約束よ。
お父さんはあなたが私のお腹の中にいると知ってね、数日経ってからこう言ったの。
「別れよう」って。
その時はわざわざお父さんに呼び出されたから、プロポーズでもされるのかと思っていたけど、その逆だったの。私は声が出なかったわ。やっとのことで私が
「どうして?」って言うと、
「子供を持つと俺は自由でいられなくなる。俺は常に自由でいたいんだ」って。
今じゃ笑ってそのことを言えるけど、当時はもちろん激昂したわ。
「あなた!子供を見捨てるの?」って聞いたら、
「自由のためには致し方ないことだ」って
何が「致し方ない」よ。そのあとも私はお父さんに対して一緒にあなたを育てるように何百回と言い続けたわ。けど、お父さんの信念が揺らぐことは決してなかった。お父さんはこのN国で自由を求め続けたの。そして、連れていかれた。
 
最後に、自由とは何なのか。あなたは気になることでしょうね。昨日のあなたの目を見て、お父さんを思い出したわ。お父さんも同じ目をしていた。どこまでも澄んだ水色の眼を。それを見たらもう、私は、「ああ、ついにこの時が来たんだな」って思ったのよ。
自由とは。あなたが辞典で調べてもその言葉が載っていなかったのは自由と言う言葉が今から約四十年前に使用を禁じられてしまったからなの。理由はとてもこの手紙ではとても述べることはできない。けど大丈夫。これもあなたは知ることになるわ。
それから、自由とは何なのか。この質問を私はことあるごとにお父さんに訊いていたわ。彼、何度も何度も自由って言ってたもの。そしたらお父さんは決まってこう言うの。
「自由と言うのはね。それを一度知ってしまったら、手放さずにはいられない、そして手放すことは許されない、まるで麻薬のような代物なんだ」
私にはわからないけど、きっとあなたにはわかるのでしょうね。
 
これで私が書きたいことは一通り書き終えたわ。本当に最後の最後よ。よくてヒロ?
まずこの手紙は読み次第すぐに燃やしなさい。そして自由という言葉を人前で口に出さないこと。見せないこと。
お父さんの子であることを誇りに思いなさい。お母さんの子であることを誇りに思いなさい。あなたは私たちの子。それだけはきっと変えられないわ。強く、この先どんなことがあっても強く生きるのよ。きっとあなたならやっていけるって信じてる。
 
愛してる、さようなら                                          母さんより
 
手紙の末尾には水滴が落ちた痕跡が見られ、「り」の文字が滲んでいた。
その上から水滴が降ってくる。ヒロの涙であった。
「なんで……?
どうして……?」
ヒロは一人呟いた。
『お母さんはいつでも、どんな時でも優しかった。テストで悪い点を取ったときも、けがをした時もいつでも慰めてくれた。気分が悪い日は学校に無理に行かせようなんて決してしなかった。小さいときは手をつないで一緒に公園で遊んでくれた。できるだけ一緒にご飯も食べてくれた。なのになんで……!なんで……!僕を置いて行ってしまったの……!』
彼の脳内に様々なことが想起される。引き出される母との思い出。当たり前の生活。
もう二度と過去に戻ることはできない。
 
その日彼が外に出ることは無かった。
 
翌日、彼は重い足取りで学校へ向かった。登校中トリュが普段のごとく合流して尋ねた。
「ヒロ?大丈夫か?昨日も休んでたよな?」
ヒロは応える。
「ああ、ちょっと……体調が悪くてね。しばらく………………独りにしてほしい」
トリュはしばらく考え込んだ後、ヒロに言う。
「……わかった。けど、何かあったら何でも言ってくれよ」
そういって一足先に学校へ行ってしまった。
 
ヒロは学校に行ってもしきりに下を向いていた。
 
放課後、ヒロが独りで帰ろうとすると、またどこからともなくトリュがやって来た。しかし今度はトリュ一人ではなく、ルキナも一緒だった。彼女はトリュと同じくヒロと親しい間柄にあった。
トリュが言った。
「最近、お前が姿を見せないから、ルキナも心配してたんだぜ。ヒロ。何があったんだ?……やっぱほっとけねぇよ」
ヒロは応える。
「僕の家に来て」
一間置いてからヒロは続ける。
「ルキナ、僕の家に来るときに、イザベルも連れてきてくれないかな」
数秒置いてからルキナは「わかった」と一言言って、イザベルを呼びに行った。
イザベルとはヒロの幼なじみで高校は違えども、親交は続いていた。取り分け年に数回はこの四人でどこかへささやかな旅行をすることがあった。
トリュが言う。
「なんだよ、わざわざ。イザベルも呼ぶのか?」
ヒロが応える。
「ああ。みんなが揃ってから伝えるよ、トリュ。
大切な話だ」
ヒロはトリュの方を向いて言う。
トリュは私服に着替えたいと言っていったん家に帰った。
ヒロはもう誰もいない家に帰り、三人が来るのを待った。家の場所は三人とも把握している。
一番目にトリュが来たかと思うと、すぐさまルキナとイザベルがやって来た。ヒロは三人を台所へ連れて行き座るよう促した。
トリュが言う。
「それで、何だってんだ。急に改まって」
ヒロが座りながら応える。
「実は昨日、僕の母さんが家を出て行った」
「……!」
三人が束の間言葉を失う。
その後イザベルが尋ねる。
「確かヒロのお父さんは生まれたころからいなかったのよね。喧嘩でもしたの?」
「いや、違うよ。母さんと喧嘩なんてしたことないさ」
「じゃあなんで?」
続けざまにイザベルが尋ねた。
ヒロは一瞬答えるのを躊躇う、そして三人に忠告する。
「その理由なんだけど……何から話せばいいかな……
けどまずその理由を言う前に言っておかなくちゃいけないことがある。僕はこれから、ある言葉を使う。その言葉はなぜかわからないけど本当は皆の前で使っちゃいけないらしいんだ。だから、もしそれを知りたくないのなら……」
ヒロは数秒沈黙し、続ける。
「僕ともう関わらない方がいい……」
トリュが言う。
「おい、ヒロ、話が見えないぞ。使っちゃいけない言葉って——」
「トリュは……特に聞かない方がいいかもしれない。からかってるわけじゃない。状況的にもそれは察してもらえると思う。この前君は言っただろ。「今の生活もそんなに悪くはないだろ?」って。でも、ごめんトリュ……今の僕はそれに賛同することはできない」
ルキナが尋ねる。
「じゃあなぜトリュに、私たちに話を?」
「それは……ごめん。話を聞いてほしかったからだ。さっき僕はトリュは聞かない方がいいかもしれないと言った。矛盾しているのは解る。でも、皆は僕の性格を知ってるだろ?僕は何かあったらすぐに打ち明けるタイプだって。隠し事のできないたちだからね。ああ、そうだ。もう一つの理由にさっき言った僕に関わらない方がいいかもしれないってことを言いたかったっていうのもある」
さらに数秒の沈黙が流れる。
イザベルは言う。
「私は聞く。ヒロの話を。ほんとに、ヒロは私たちがいないとやっていけないんだから。要は今からヒロが言うことを他の人に言わなきゃいいんでしょ。簡単よ。そんなこと」
今度はルキナが言う。
「私も聞くわ。みんなと一緒にいたいから……それと、イザベル、あなたは口が軽いから気を付けなきゃだめよ」
「あら、そうかしら?」
トリュを除く三人が笑う。
皆がトリュの方を向く。
「俺は………確かに今の生活にそこそこ満足してる。けど、この先ヒロがいないのは……寂しい。俺はヒロに居てほしい。だから、聞く。お前のいない生活なんて、俺は嫌だ」
ヒロは言う。
「ありがとう。みんな。じゃあさっきルキナが言った通り、これから話すことは絶対に他言無用だ。いいね」
三人が頷く。
「母がこの家を出て行ってしまった理由。それは僕が「自由」を知ってしまったから、らしいんだ」
三人がキョトンとする。
次いでイザベルが復唱する。
「じゆう?」
「そう、「自由」だ」
ヒロは学校のノートの余白にその言葉を書く。続けて、「自由」との出会いであった図書館での出来事について一通り話した。
「その本は本当に消えてしまったの?」
ルキナが尋ねる。
「うん。無くなったあの日から誰か借りたんじゃないかと、毎日捜しにはいってるんだけど、やっぱり見つからない」
今度はトリュが尋ねる。
「んで、その自由ってのがさっきヒロが言った禁止されてる言葉っていう訳か。自由って何なんだ?」
「それは僕もずっと考えているんだ。けど、さっきも言ったけど、本に出てきた青年は自由をずっと欲しがってたんだ。それで、その本を読んでいる時、僕は……胸の高鳴りを抑えきれなかった」
「うーん……まだよくわからんな。その自由とやらは」
トリュが言った。
『僕は続けて母さんの手紙の概要を話した』
「なるほど、ヒロの母さんはヒロが「自由」について訊いたから去っていったという訳か……なんでだ?」
トリュが尋ねる。
「それはわからない」
「不思議なのは」
イザベルが間に入る。
「なんでヒロのお母さんが「いずれ知ることになる」って言えるのかだよね」
ルキナが言う。
「それは私も思った。そもそも自由って言葉を私たち初めて聞いたし、四十年も前に使用が禁止されている言葉を他の人が使うわけがない。可能性が低すぎるはずなのにどうして断言できるの?」
「そりゃあ、親の勘ってやつじゃねぇの?」
トリュが言った。
「いや、それは僕も気になってはいたんだ。まるで預言者のような母さんの言葉にね」
ヒロが続ける。
「自由という言葉に関して、それからそのことについてもこれから探っていくつもりだ。みんなには時たまここに集まって、僕の話を聞いてほしい。やっぱり話すと気が楽になるし、一人だと先入観に囚われてしまいがちだからね」
三人が同意する。
 
その後、ルキナがヒロの家にある食材を使って手料理を振舞った。
家を出る前、イザベルが言った。
「ヒロ、料理とかこれからどうするの?」
「どうするって……何とかするよ」
「一人で?」
「あんまり子供扱いしないでよ、イザベル。僕ももう立派な大人さ」
「あたしたちまだ十七でしょ。半分子供みたいなもんじゃない。とにかく、何かあったらすぐに言うのよ。じゃあね」
玄関で三人に別れを告げた後、彼は雑事を済ませ、友に思いを馳せながら就寝した。
 
数日後、ヒロは八百屋に向かっていた。あの日から自由について彼はずっと考えていた。
『目の前に親子がいた。幼児はしきりに玩具を欲しがっていた。早く走るラジコンカーが欲しいと。しかし、彼の母親はそれをよしとしなかった。幼児はしきりに母親に訴えていた』
ヒロは八尾屋で適当に食材を買った。
帰り際、ヒロは戯曲を見ることにした。
『何か自由のヒントが得られるかもしれない』
劇は「ダリムの戦い」という題目であった。実はヒロは、いや、N国民はこの戯曲の内容を把握していた。幼少期から何度も何度も教科書で扱われてきた題材であったからだ。
『劇が、もうすぐ始まろうとした時、会場は静かになった。会場が神妙な空気になったその時、一人の赤子が泣き出した。泣き声のする方に目をやると、今度は赤子と母親の、さっきとは別の親子を見かけた。いまからこんなN国民の誇りともいえる神聖な劇が始まるっていうのにその子はしきりに泣いていた……なんだ?この気持ちは?頭には一つの言葉がちらつく。「自由」。これが自由なのか?赤子が泣いていることが?いや、違う。あの本の内容を思い出せ。そう、彼は何かをひっくり返そうとしていた。本当に何かをひっくり返すわけじゃなくて、その気持ちというか……今泣いている赤子は僕にないものを持っている……自由か?こんな静かな場所で、堂々と騒ぐことができる。その気持ちの事なのか?』
その母親は周りからの視線を察したのかその場を去っていった。
彼は劇場を後にすると喜悦して家に帰っていった。
『劇から自由のヒントは得られなかったけど』
 
翌日
再び四人はヒロの家に集まっていた。
ヒロは劇場での一件について話をした。
 
「なるほどな」
トリュが言う。
「自由ってのは、赤子にはあるけど、俺達にはないものってことか」
「その場の雰囲気を壊しちゃうことが自由なの?」
イザベルが尋ねる。
「いや、結果としてはそうなったんだけど、それだけじゃないと思う」
ヒロが答える。
「あの赤子の他の人を意に介していない感じというか、自分のしたいことをする感じというか……。要は自由って一つの感情だと思うんだ」
「感情?」
トリュが疑問符をつけて返す。
「そう。それで、ここからは全くの予想なんだけど」
ヒロはみんなの顔を一瞥して言う。
「多分、この自由の感情はみんな持っていたものだし、今でも持っているものだと思うんだ。けど、今じゃその自由の声は小さな、小さなか細い声になっているせいか、あるいは僕らがその声を聞こうとしないせいか、聞くことができなくなっている。僕があの本に夢中になれたのは自分が自由を持っていたから何じゃないかって最近思うようになったんだ」
「ではなぜみんなが持っている自由の言葉をN国は禁止したの?」
ルキナが尋ねた。
「もし、みんながその自由の声?をちゃんと聞いたらたいへんなことになるからじゃない?みんなが例えばさっきの赤ちゃんのように雰囲気を壊しちゃうかもしれないってことでしょ」
イザベルが言った。
「確かにな、そうなったら大変なことになる。特に学校とか」
トリュが頷く。
『僕はみんなの話を聞きながら考えていた。自由とは危険なものなのか?』
 
『数日後
僕は学校で小説を読んでいた。題名は「平和の鐘」N国のすばらしさを隠喩して表している。他の物語と相違ない本だった。
僕は自由と言う言葉を知る前から気になっていたことがある。大した問いではないのだけれど。物語とは何なのかということだ。
自由について考える前はよくこの問いを考えていた。物語に触れる度に。そして今、僕は物語に再び触れている。何か自由についてわかることがあるような気がしたから。
そしてもうひとつ考えていたことがある。
もしも僕の生きているこの世界が物語だったら?
僕は物語の登場人物であり、僕という世界の主人公であり。「自由と抑圧」にでてきた少年のような、登場人物に過ぎないのだとしたら?
けれどもそれを考えたところでどうという訳でもない
 
僕の家で四人が話している』
 
『トリュ』
「そういえば、ヒロが読んだ本のタイトルって何だったっけ?」
「自由と抑圧だよ」
「それ!よくあつって何だ?」
『イザベル』
「そういえば、その言葉についてヒロのお母さんは触れてなかったね」
「その言葉について勿論調べたんだけど、自由と同様、辞典には載ってなかった」
『ルキナ』
「一般的には○○と○○という形式だと後者には対義語が入る気がする」
『トリュ』
「抑圧は自由と反対の意味の言葉ってことか?」
「ルキナの線で行くとそういうことになるね」
 
 
『イザベル』
「そういえば、全然関係ない話かもしれないけど、この前ヒロのお母さんが手紙で使ってた『禁止』って言葉久しぶりに聞いた気がしたわ」
『僕は手元にある辞典で禁止を調べる』
『トリュ』
「言われてみれば、確かにそんな気がしてきた」
『ルキナ』
「そうね。いつからかみんな禁止っていう言葉を使わなくなったわね」
「あった」
『ルキナ』
「その辞典は何年前に出版されたものなの?」
「二十五年前」
「かなり前のものなのね」
『今の辞書には載っていないかも』
「今の辞書には載っていないかもね」
『イザベル→トリュ』
「俺たちの周りからいつの間にか言葉が消えてるってことか?」
「そういうことになる」
「いったい誰が?」
「そんなことができるのは——」
『ルキナ』
「N政府しかないのでは」
『トリュ』
「なんでそんなことするんだ?」
『イザベル』
「そりゃあ、決まってるでしょ。
あたしたちを守るためよ」
『その後数秒間を置いてから彼女は言った』
「きっと知らない方がいいこともあるのよ」
 
『数日後』
「だいぶ前に劇を見た時にも思ったんだけどさ」
「この世界も物語なんじゃないかな?だってほら、あまりにもあの自由と抑圧の主人公と僕は似すぎているんだ。僕はあの本の主人公なんだ。だからきっとこの世界も」
 
『学校の帰り道トリュと歩いて帰る』
 
「この前ヒロが言ってたことだけどよ。この世界が物語なんじゃないかっていう」
『数秒沈黙が流れる』
「そうだとしたらよ。じゃあ俺は!俺たちはいつ生まれたんだよ?」
「気づいたらいたんだよ。それも物語だからさ。トリュだって僕が生まれた瞬間を目にしたわけじゃないだろう?気づいたら僕と言う存在がいたわけだ。いつ生まれたかどうかなんて本当は誰にもわからないさ。勿論自分にだって。既に存在するものは既に存在していたんだ。いつ生まれたかなんて特定することはできないんだ」
「けどなぁ、ヒロ。もしヒロの言っていることが本当だったとしてもよ。俺たちはその作者とやらにいったいいつ作られたんだ?少なくとも俺は作られた憶えはないぞ」
「いや、違う。僕たちはもともと存在していたんだ。僕らは作者の頭の中に既に存在していたんだ。その存在が文章化され既にある存在が象られたのが僕らってわけさ」
『僕は数秒間を置いて言った』
「いつの間にかだ。いつの間にか僕らは存在していたんだ。僕らのいた世界はあの小説や劇と何一つ変わらない同じ物語の世界なんだよ」
『トリュは口をポカンと開けて。呆気に取られていた。ようやく声を出した。』
「い、いや。でもよヒロ。それを確かめようがないだろ?」
「そう、絶対にそうとも言い切れないし、違うとも言い切れない」
「じゃあ、仮にこの世界が物語だとしよう。俺たちはいつ生まれたんだよ?」
「トリュ、分かってるだろ。いつ生まれたかなんて自覚してるのは神様ぐらいじゃないか?君も僕もいつの間にか存在していたんだよ」
『僕は続ける』
「一般的に物語ってのはさ。喜劇とか悲劇とかがほどよく織り込まれていて、それらが一貫した設定と共に連続しているお話のことを言うわけなんだよね。でも、これって人の人生と何が違うのさ?」
「・・・確かに」
 
『家、四人』
「人間だって生きていればいいこともあるし、悪いこともある。僕らだって何かの本の登場人物かもしれない。」
反論する者はいなかった。沈黙の後。ルキナが言った。
「でもそれは……」
「否定のしようもなければ、肯定のしようもない、だね?ルキナ」
「ええ、まさに。それに——」
「だったら確かめればいい。僕もあの本の少年のように自由を求める物語を自分の物語と置き換えるようにすればいいんだ。……!今気づいたけれど、ひょっとするとこれが自由なんじゃないか?あ、そう思わないかい?みんな——」
「ヒロ!」
トリュが止める。
「……もういいだろ」
「え……?トリュ?何言って」
「なんか最近のお前といるとよ。あー、確かになと思わされるというか、思わせてくれるかっていうかよ。なんだか今まで考えもしなかったことを考えさせてくれるけどよ…いや、そんなことよりもだ。お前どうしちまったんだよ?なんかおかしいぞ?ヒロの母さんがどっか行っちまってからだ。一体どうしたんだヒロ?
俺さ、やっぱり。自由なんて気づかなきゃよかったと思ったよ。気付かなけりゃこんな気分にはならなかったと思うんだよ」
「私もトリュに同感ね」
「イザベル?」
「自由なんてろくなもんじゃないわ。関わらない方がましよ。ひろ知らない方がいいこともあるのよ。」
「どうしたんだ?みんなこの前までは協力してくれたじゃ—」
「もういいんだよ!
これでいいじゃねぇかヒロ⁉なぜそう思いまの幸福を手放したがる⁉」
『ルキナ』
「自由を求めて今の生活を手放すよりはこの当たり前の生活を続けたほうがよっぽどましでは?ヒロ、落ち着いて考えて——」
「違うよ。
もういい。みんなにわかりっこない。どうせ誰にも分らないんだ。この気持ちは。みんなあの本を読んだことがないからそんなことが言えるんだ。いいよ、もう。ここからは僕の好きにさせてくれ。そして僕の家にはもう二度と、来ないでくれ」
『家を出る前、ぽそりとトリュが呟く』
「やっぱり親子は似るんだな。お前も旧国式の人間だったなんて」
 
『僕は今日も学校に行った。驚くことがあった。みんなからの視線が冷たい。自分の机の中に何枚か紙が入っていた。そこにはこう書かれていた。』
「旧国人」「消えろ」「さっさといなくなれ」
『終業後のホームルームで自分が校長に呼び出されていることを知る。
断る理由もないので、校長室へ向かう。
今日は誰も話しかけてこなかった。
僕を嫌悪しているのが、あからさまにわかった。誰かが僕の事を悪く言ったのだろうか?トリュ、イザベル、ルキナの誰かが?
いや、でも自分を嫌悪していたのはクラスの人間だけではなかった。
思い返せば、学校や街の人にも同じ視線で見られていたような気がする。
その度に誰かが呟く。
「旧国式の人間だ」と。
何だそれは?
校長室の前に立つ。
ドアをノックする。
「どうぞ」という声がしたので、中に入る。
およそ肥満であるとみられる横柄な校長の後ろ姿がそこにはあった。彼は窓から外を眺めていた』
「まあ、座りたまえカルベル」
『校長は外を見たまま言う』
「気づいたかね?
今や君は学校にとどまらず、この街の人気者になっている」
『校長は自分のデスクからコーヒーの入ったカップを手に取り啜ると言った』
僕の向かい側には座らず自分の机に座ったまま。僕は見ている。彼の座る椅子は座り心地が良さそうだと、ふとそんなことを思ってしまった。工場が続ける。
「その理由は、君ももう分かってるかも知れないが。
数日前、君の父親が旧国式の人間だったことが生徒に漏れてしまった。
正確には誤った書類を教師がある生徒に渡してしまい、その生徒の親が書類を目にしてしまった。そしてその書類は君の個人情報が載った書類だったという訳さ。
その親がたまたま君の父親と同級生でね。
君の父親が旧国人の人間であることを知っていたんだ。
さて、カルベル。
もったいぶらず、単刀直入に言おう。
すまないが、君にはこの学校から出て行ってもらいたい。
それも自分の意思で。私にも立場というものがあってね。
ここで私の人生を終えるわけにはいかないのだよ。
まあ、いくら子供とは言えただでは、この要求をのまないだろう。非はこちらにあるのだから。
だから話そう。君の父親のことを。
また私の知る限りのことを。
私は彼のことを少しだが知っている。
もう二十年ほど前のことだから多少記憶が曖昧だが、それでも真実を話すと約束しよう。どうかね?」
『僕は尋ねる』
「父とはどのような関係にあったのですか?」
『校長が答える』
「二十年前、私は彼の担任でね。だから彼のことを知っているわけさ」
『僕は続けて尋ねる』
「自由と抑圧についても教えてください。」
「……‼なぜのそのことを知っている?」
「僕はここであの本の話をした。
校長は僕が言い終わるとすぐに尋ねる。
「それを誰かに話したことは?」
「ありません」
『僕は思いついて言う』
「一度だけ母に自由の意味を訪ねたことがありましたが、その翌日に母は家を出てどこかに行ってしまいました」
「君の家に戻っていないのかね?」
「……はい」
『校長は小声でブツブツつぶやく』
「差し詰め身の危険を感じて…
いや捕らえられた…?
まぁいい…どのみち…」
『後校長は気を取り直して言った』
「そうか。
それならいいんだ。
君を信じよう」
『校長は座り心地の良さそうな椅子から立って。
窓から外を眺めた』
「分かっていると思うが、今から私が話す事は他言無用だ。
私の好意を棒に振ってくれるなよ」
『僕は懐く。
校長は小声でこっそりとつぶやく。』
「まあ、誰かに?言ったところで一笑に付されるだけだろうが」
『校長また座り心地の良さそうな椅子に座って言った』
「何から話そうか…まず君の父親について話そうか?
二十年ほど前のことだ。
君の父親がね。見るこっちが飽きてしまうくらい自由を求めていたよ。
当然、その時代は今と同じく自由の言葉は禁止されていてね。
まあ今と状況は違っていた訳だが、そのことについても後で話そう。
それでも、一部の人間は「自由」の言葉を知っていた。
けれども、その一部の人間でさえ自由の言葉を使うことはよしとしなかった。
言ったところで警察に捕まってしまうのが落ちだからだ。
そしてそれはわがN国が四十年前、新国家として歩んだからだ。
これが君の父親を旧国人呼ばわりする所以でもあったわけだ」
校長はコーヒーを口にし、また話し始めた。
「これでは話が見えないね。一つずつ話していこう。まず我がN国についてだ。知っての通りN国は、長きに渡って広大な土地を保持し続け、領土を拡大してきた。だからN国は常に世界の先導者であり続けてきた。しかし、それ故に内部での争いが絶えなかった。
次第に内戦が熾烈を極めるようになった。日に日に死体の山が大きくなっていった。その時だ。今後の国の身体を決める、一大事が起こった。
それがダリムの戦いだ。
今戯曲として普及しているダリムの戦いは。
かなりの改ざんが施されているが、元々あの話は旧政府と新政府の戦いを綴ったものでね。旧政府は君の父親のような人間が集まった自由を求め続けた集団。
新政府は自由を封印することで、この先、続く内乱を永久に閉じ込めようとした集団。
新旧二つの政府がそれぞれの主張を突き通すために衝突した。結果は新政府の圧勝だったよ。
実は旧政府は内部での統率を成しきれておらず些細な思想の違いから分裂が生じていた。それで戦力が分散してしまったというわけだ」
『校長が一息ついてコーヒーをすする。そしてまた小声でぽそりと呟く』
「ええと、何の話だったっけ…?」
「ああ、そうだ、君の父親の話だ。
彼はどういうわけかその真実を知っていてね。
暇を見つけては何かの調査を行っているようだったよ」
「なぜあなたはそんなに父のことを知っているんですか?」
「さっきも言ったけど、私は彼の担任だったんだよ。カルベル。私も年をとったものだ。まさかあの生徒の息子を今相手にしているのとはね。その目なんか本当に父親そっくりだ。心を揺さぶられてしまうようなその目。あぁ…全く君も同じく旧国式の人間なんだな。…残念だよ。さて、話を戻そうか。君の父親についてだが。私が当時勤めていた学校を卒業してからのことは知らない。だが、彼は間違いなく旧国式の人間であることには違いない。彼の思想は旧政府に傾いていた。その数年後、彼はN国家治安維持法、すなわちN国の平和を秩序を脅かした罪により逮捕された。君の父親の名が一部に知れ渡っているのは、学校に居る当時から、異端児っぷりを発揮していたせいか、旧国人として噂されていたからだろう。そんなんだから新政府に嗅ぎつけられたんだろうね」
「どこに収監されたか知っていますか?」
「まさか会いに行くつもりかね?
…全く。本当に好きにしなさい。親子は似るものだな…
ロス更生施設だ。もっとも。彼がまだ生きてるかどうか私にはわからんがね。」
校長はコーヒーを再度啜る。
「さて、自由について話そう。君はこの言葉を知っているようだし、何より君が自由について尋ねまわれたらたまったものではない。どうせ君も知りたくてたまらないのだろう?」
『校長はコーヒーを飲み終え、息を深く吐いてから尋ねた』
「時にカルベル。なぜN国は四十年もの間、平和を維持できていると思う?」
「……」
「分からないかね?君らの生活を鑑みれば理由は明確だと思うが…まぁいい。
では結論から言おう。抑圧を排除したからだ。例えばこの学校でもいい。いろいろ規則があると思う。髪型や服装やら。しかし、君たちは従う。当たり前だからと思い従う。実際、それは当たり前のことなのだから、誰も反発することはない。そもそも反発する理由がない。既に決められたことだからだ。いいかい、カルベル。自由は抑圧と表裏一体だ。その自由と抑圧という本の言葉に対する君の読みは、まさにその通りだ。かつて新政府は念願であった自由という概念そのものを抹消することを達成するため、錚々たる面々を呼び集めが自由について研究を重ねる取り組みを行った。そして数々の事例から先のことを導き出した。自由と抑圧は表裏一体だということだ。この発見は彼らにとって非常に重大なものであった。先のことから逆説的に次のことが導けるからだ。つまり、抑圧を根絶したなら、自由も根絶できると。自由は抑圧から生まれる。抑圧がなければ自由もない。自由だけが存在するケースはありえない。そのことを導き出した新政府は盤石な地位を手にした後、あらゆることに着手した。まずN語の文法。N国家の政策出版物商品海外から流入する人物の規制。ありとあらゆることに力を注ぎ、N国民が抑圧を感じないように、また新たに生まれたものに対しては抑圧を知ることが不可能になるよう徹底した。すべては平和のためだった。それが十年、20年と続いた。日に日に皆抑圧を忘れ、自由を忘れ、ついに概念が消失した。自由の概念が完全に消えたのだ。だからね、君が自由を求めるというのも、本来おかしな話なのだよ、カルベル。なぜ私が自由を知っているのかって?いやいや、私が知っているのは言葉と言う記号だけだ。そこに本質的な意味は内包されていない。私ももうかなりの老いぼれだ。確かにみんなと違って自由抑圧という言葉はあの日明確に禁止出されたものの、その言葉を私は覚えている。だが、それが本質的に何だったのか、今ではもう私は思い出すことさえできない。戦争を引き起こすことの危険な代物だったのだということくらいしか分からない。それに、気づいているかい、カルベル?私はさっき禁止という言葉を使ったがこの言葉も今では使われなくなってきている。抑圧の消失により禁止という概念も副作用的に消えているからだ。加えて、新政府は日々N言語の改良に取り組んでいる。本当に自由と抑圧を知っているものは彼らの中に何人いるのだろうね?もっとも、もう誰も知り得ないのかもしれないが…さあ、私が知っている真実を。すべてを伝えた。ここから出て行きなさい。そして二度と帰ってくるな」
「分かりました…ありがとうございました。」
『僕はそう言って席を立ち、校長室を後にした。』
 
 
「これでいいんだな。ゲート。」
 
『僕は足早に学校を出て家へ向った。すぐに着替えて、上着のフードをかぶる。向かうはもちろんロス更生施設。どのみち他に行く当てはない。ここヤノベルからはロス更生施設はかなり遠い。半日以上はかかるだろうか?ロス更生施設は広大なN国の端にある。
僕は駅に向かった。切符を駅員から買って夜行列車に乗る。時間はかかるが、ひとまずこの列車で半分ほどの距離を稼げる。しばらく列車に揺られる。
……気づくと隣にイザベルがいた。
イザベルの向かいの席にはトリュがいた。
僕はイザベルの左手をそっと握る。
イザベルがこちらに目を向ける。微笑む。こちらを優しく見つめる。僕はイザベルの頬に手を添えて彼女の柔らかい唇に自分の唇そっと当てて接吻する。
イザベルの息遣いを感じる。
列車だろうとかまわない。
彼女の服のボタンを一つずつ外す。ブラジャーのホックを外す。露わになった胸を舐めまわす。トリュを一瞥する。
どうだトリュ?イザベルのこと好きなんだろ?見たらわかるよ。君の考えなんてお見通しさ。俺とイザベルは幼馴染。だから一緒にお風呂に入ったこともあるんだよ。羨ましいだろ?これが自由だ。僕は…
 
ふと目を覚ます。いつの間にか僕は寝ていた。数秒後不埒な夢を見ていたことを思い出す。イザベルに対して性的な感情を抱いたことはなかったように思う。しかし本当は感じていたのだろうか?どちらかと言えば、僕はルキナが好きだったのに。
まあ、いい。僕はもう決別したんだ。
それから僕は再び眠って起きると、列車はまもなく。到着した。
 
早朝駅に着く。目的の駅まではまだ遠い。乗り換え列車までまだ時間がある。ここノーランドはN国の都市部で常に多くの人で賑わっている。小腹が空いたので。ハムとレタスそれからトマトを挟んでいるパンを駅外の売店で買う。空いた席に座る。ここはN国の中心部ということもあってか、外なのにやたらと喧しい。黄土色に似た色の正方形で埋め尽くされた通りの交差点を何人もの人が行き交う。ここは車が通れないようになっている。というよりかはたとえ通ることが許されていたとしても不可能だろう。走ったとたんに他人を引いてしまうから。
僕は食べながら校長との話のことを思い出していた。
新政府は自由を手放した。それも自らの手によって。そしてそのおかげで争いが途絶えた。考えてみれば現在。N国で犯罪が行われたことなど、ここ最近聞いたことがない。そもそも校長との話の時に罪という言葉を聞いて、今犯罪の言葉を思い出したくらいだ。しかし、自殺者は後を絶たない。その原因の大半は日常への定年から生じるのだという。僕の近所のおじさんも。自殺したと最近聞いた。つまらないからもういいやと。自殺者は、そのようなことを生前に述べるのだという。今考えれば、それは抑圧を感じることを通り越しての絶望だ。しかし、自殺する人があとを立たないものの年々減少していると聞く。もっとも校長の話では、出版物にも新政府の検閲があるらしいから、今となっては何が真実か分からなくなってしまったわけだが。僕は初め、あの本で自由を知って歓喜した。自由に心酔した。それは日常があまりにも退屈だったから。抑圧を生まないように、自由を感じないように学校のカリキュラムは組まれていたのだろう。現に僕は何も行動を起こさなかった。あの本に出会うまでは。仮にあの本に出合わず日々を過ごしていたとしたらどうなったであろう?ただただ何もない日々が続いていたに違いない。そもそも抑圧も、自由も感じていなかったのだから高校生から逸脱するような行為なぞしようとも思わない訳だ。
…そんな日はいらない。
僕は少なくとも何もない日よりはなんでもない日を好む。
それに気づけたのも、すべてあの本がきっかけだ。
行きかう人に目を向ける。新政府は抑圧を抹消することにより、自由の概念を消滅させ、永久の平和を手に入れた。もし僕が再び自由を求めれば、また戦争が起きる可能性もゼロではない…
それでも僕は自由を求め続けるだろうか?
少し極端な発想をしてみよう。仮に僕がみんなに自由を、あの胸の高鳴りをこの街に居るみんなと共有したとする。それが上手くいきみんなが自由の虜になって自由を得るための行動をしたとする。
しかし、それが引き金となって何らかの争いが起こってしまったとする。というか、起こってしまうのだろう。抑圧が無ければ、自由が無ければ争いが起こらないというのには頷ける部分がある。
争いが起こってしまった場合、責任は当然このぼくにあるわけだ。何しろ自分が引き金となって争いが起こったのだから、
それでも僕は自由を求め続けるだろうか?
僕は再び自問した。
答えは一つだ。
求め続ける。
何しろ僕はもう自由を知ってしまった。
一度手にしたこの自由を手放すことはできない。旧国人だと言われようとどうでもいい。僕は己の自由のために進み続ける。
僕はパンを食べ終えるとゴミを、既定の場所に捨てて駅へ戻った。
すでに停車していた列車に駆け足で乗り込み、空いた席に座る。ロス更生施設の最寄り駅は今乗り換えた列車の終点だ。しばらくの間、列車に揺られる。
 
「ヒロ?ヒロ!起きて」
「…母さん?……どこ行ったの?ずっと待ってたんだよ?」
『僕は辺りを見渡す。透き通る青い空の下に。一面の野原が広がっていた。なんだかとても暖かかった。』
「ここは?」
「楽園よ、あなたの望む自由がここにあるのよ。みんな笑って過ごしている。もう苦しむ必要はないのよひろ?」
「何言ってるの?母さん、僕は苦しんでなんかいないよ。自由を知ってワクワクしてるんだ。……それでここのどこに自由があるの?」
「ここにはなんでもあるわよ。遊び道具、レストラン友達あなたを満たすものがたくさん。———」
「そんなの自由じゃないよ。それじゃあの日常と何一つ変わらないよ。」
「……」
「母さん、自由っていうのはね、満たされるものじゃないんだ。自分で満たしに行くものなんだ」
突如どこからか流れてきた黒い雲が太陽に覆いかぶさる。寒くなってきた。
「そんなあなたのわがままのせいで…たくさんの人が死ぬことになっても?」
『風が強く吹き始める。青空は既に見えない。寒い。
その時、突如母の顔が恐ろしい形相に変わる。目と口が真っ黒で底なしの穴となり、黒髪が白髪になり、肌の色は青紫色に変色する。それに続けて恐ろしい積乱雲が立ち込み、草は枯れ果て。どこからともなくやって来た戦闘機が耳をつんざくような音を立てて飛来し。次々と爆弾を落とし、こちらに迫って——』
 
『僕はそこで目覚めた。
背中には汗をびっしょりと書いていた。恐ろしい夢を見た。水筒に入れてあった水を飲む。まもなく終点に着く。列車から降りたのは、自分のほかにもう一組。一人を中心に三人がかりで取り囲んでいた。これから収容される人だろうか?犯罪がないと思っていたのは間違いで誰も報道されなかっただけなのであろうか?列車に乗っていた駅員さんに切符を渡して、その一組について駅を出る。あたりは砂漠一面。僕はその砂漠を見渡していると一覧の一人がこちらに近づいてきた。
「君ロス刑務所に用かい?」
「はい、面会をしに来ました。」
「……そうかい。ついてきな。行先は俺たちも同じだから。」
『僕はこの一団の後を追い、ロス更生施設まで辿り着いた。駅からほんの一山越える必要があるだけで、ものの数十分で着いた。立っていた門番が尋ねる』
「番号は…
囚人の名前は?」
その門番は一人一人の確認を得ると最後に尋ねた。
「その子供は?」
「面会だそうだ。案内を頼む。」
「わかった。」
『僕はその一団の一人について行き面会に向かう。その前に待合室で受付係の人に事情を話した』
「名前は?」
「カルベル・ヒロです」
「面会人は?」
「カルベル・ゲート。父親です」
『それに続いて生年月日や性別を述べた。すると受付人は言った』
「はいありがと、ちょっと待ってね。数が多いから調べるのが大変なんだ。一昔前まではここにたくさんの人がいたからね。よっと」
『そう言うと、目の前の受付人は後ろにファイルを探しに行った。戻ってくるとファイルを開いてこのように言った』
「ええとカルベル・ゲート。カルベル……えっと。ああ……」
「どうしたんですか?」
「いや、その。言いづらいんだけど…君のお父さんさんは死んでるよ。十五年前に」
「……‼
……死因はわかりますか?」
「うーん。わからないな。ただ、獄死と書いてあるだけだ」
「じ……じゃあ」
僕は母の名前をつけた。受け人は席を立ち、また違うファイルを探しに行った。そして戻ってくると言った。
「ここに該当者はいなかったよ」
「そうですか」
『僕は父に関して残念に思い、母に関して半ば安心した気持になった。
少しの間、僕が次の行動を考えていると。電話が鳴った。受付人の手元にあるダイヤル電話からだった。受付係が対応する。』
「もしもし?ああ、社長。どうも。どうかされましたか?え?カルベル・ヒロですか?その子なら今いますが。ええ、目の前に。はい。はい、わかりました。」
ガチャという音と共に受話器がおかれた。
「今所長から連絡があってね。君に話があるそうだよ。ちょっとそこで待っててくれないかい?」
「分かりました。」
『しばらくすると、所長とみられる人とその一派がやってきた』
「今しがた警察から連絡が入ってね、どうやら君に旧国人の疑いがかかっているらしい」
皆こちらに睨むように見てくる。さっきは普通のもの出しで見ていた受付人もだ。
所長は言った。
「もう今ではここに来る人なんてめったにないからね。一応警察からの連絡があると、社内の人間には通達するようにしてあるんだ。そしたらどうだ。君を見たっていう人がいるじゃないか。まさに袋のねずみだよ。」
『その後、僕は手を縛られ連れて行かれた。
《取調室》と部屋の外には書いてあった。
中に入り、椅子に座るように言われる』
「早く座れ!」
『さっき手を縛った人間が言う。
続けて所長が言う』
「おい落ち着け。まだこの子が旧国人と決まったわけじゃない。それに旧国人だったとしても、だ。ひとまずあれを感じさせてはいけないだろ。」
「申し訳ありません。」
向かいの所長と呼ばれる人が咳払いをする。
「失敬、では始めようか」
それから尋問が始まった。
「君はカラベル尋で間違いないね。
君の父親の名前は?
………
母親の名前は?
………
他に存命の家族はいるかい?」
僕は最初の質問に答え、次の質問に答えると、最後の質問に答えた。
「母方の祖母がいると聞きましたが、どこに居るのかは……」
「君は旧国式の人間かね?」
「その旧国式とは一体何なのですか?」
僕は尋ねる。すると即座に先ほど手を縛った人間が怒鳴った。
「とぼけるな‼!お前の父親が旧国人であることは確実なんだ。だからお前もどうせ旧政府支持者に違いないんだ。」
「おい。同じことを何度も言わせるな。落ち着け。この子があれを感じたらどうするんだ?」
「申し訳ございません。しかし、お言葉ですが所長。こいつが旧国人であるならあれのことを知っているのではないですか?ということは既に……とにかく。より厳密な検査をすべきだと思われます。」
「その方が手っ取り早いか…よし、わかった。その子を特別室に連れて行きなさい。」
僕は前の職員についてくるを促され、通路を何度も曲がり。特別室と鉄のドアに表記されている場所にたどりついた職員がドアを開ける。明かりがつけられると、中には何やら無骨で精密そうな機械が並んでいた。ベッドに寝るよう言われる手のひらに腕に頭に胸にさまざまな装置を取り付けられた。
「社長。装置の取り付けが終わりました。」
「そうかでは、いつもどうり特別徴収を開始する。わたし以外は退出してくれ。」
「はっ!」
職員が出て行きドアを閉めると社長が言った。
「今から特別聴取を執り行う。君は今から私のする質問に、唯々正直に答えてくれればいい。」
「はい」
「君の名前は?」
「カルベル・ヒロです」
「君のお母さんは今どこに居る?」
「わかりません。突然いなくなってしまいました。」
「その理由は分かるかね?」
「わかりません。けれど。お金の問題かもしれません。うちは母子家庭ですから」
「父親の所在は?」
「生まれてから父の顔は一度も見たことがありません。当然、会ったこともありません。だから僕はここに来たんです。父に会いに来たんです。しかし、父は亡くなっていて」
「……君は今までの質問で嘘をついたかね?」
『機械は僕の微細な反応を検知できないようだった。』
「いいえ、ついていません。」
「……君は旧国人かね?」
『周りの音はとても静かだった。僕がこの静かな空間で何事もなく質問に答えると、聴取は終了したようだった。結果はまだわからず、これを二週間毎日やると後で所長に言われた。
しかしその二週間もむなしく無駄骨に終わることとなった。
それでこの刑務所後にできると思ったが、そうはいかなかった。父親の救国愛精神は遺伝すると。よくわからないことを言われ、拘置所に入れられてしまった。後で所長に言われたのは、君はまだ有罪と確定していないからだという』
 
そこで三年の月日を過ごした。長くはなかった。なぜなら僕は更生施設で物語を手に入れたからだ。あれから何回もの特別聴取が行われた。が。職員らが欲しい結果は見つからなかったらしく。何度も舌打ちされ睨まれた。そんなある時、いつもどうりごく普通の部屋で過ごしていると。ドアの鍵を乱雑に開ける音がして、中に人が入ってきた。
「何の用ですか?」
僕がたずねると。
「釈放だ。」
という声が返ってきた。
「なぜ?」
と僕がたずねると、
「お前が警告人でないと社長が判断したからだ。無罪の人間を刑に処すわけにはいかないからな。所長のご好意に感謝しろ旧国人。」
僕はその後、職員について出口へと向かった。門のそばに所長がいた。
「カルベル・ヒロ。いろいろすまなかったね。長年にわたる聴取の末、君が旧国人でない可能性が限りなく高いことがわかった。これ以上君はここに収容することは君の精神上よくないことだと思い、君は釈放する。三年も……済まなかったね」
「いいんですよ。自分で選択したことなので。」
「?まあ、いい人生を歩んでくれ。君の未来に期待しているよ。」
僕はロス更生施設を出て30分程駅で列車を待ち、刑務所から支給されたお金で切符を買い席に座った。少なくとも自分のいる号車には自分を除いて一人も客はいなかった。列車が動き出す。列車が独特な機械をたてて走る中、僕は刑務所内で過ごした日々を振り返っていた。
二年前、拍子抜けしてしまうほど過酷ではなかった刑務所での生活に慣れきっていた僕は、ある時、自由時間に図書室ではなく運動場に向かってみた。刑務所の建物を後ろにグラウンドを見る形でベンチに座っていた。するとひとりの老人がこちらにやってきた。
「隣いいかい?」
断る理由もない僕はそれを許諾した。
「ええ、どうぞ。」
「聞いたよ、きみ。あのカルベル・ゲートの父親なんだって?」
「父をしっているのですか?」
「ああ、知ってるよ。知っているとも。彼の事は忘れもしないいさ。君は父親とどことなく似ている。いや、見た時からなんとなくそんな気がしていたんだ。まさかとは思ったけどね。」
「自己紹介をするのが遅くなったね。私の名はダンケル・ケーガン。私もいわゆる『旧国人』だよ。」
「……!」
「まあ驚くのも無理はない。もしかしたらこの数週間で君も耳にしたかもしれないが、新政府が認知する旧国式の人間はすでにこの世に存在しない。ほとんどの人物は16年前に処刑されてこの世を去ったよ。では次に君はこう思うだろ?なぜ私は処刑されなかったのかと。実を言うとね、私は旧国人として、ここに収監されていないんだよ。時にヒロ、ダリムの戦いの真実は知っているかね?」
僕は頷く。
「そうか。なら話は早い。当時、私は新政府軍の人間として、その戦争に参加していた。私が新政府軍についていたのは…」
老人は苦笑する。
「死ぬのが怖かったからだ。君には包み隠さず話そうヒロ。これで会うのも最後かもしれないから。私は新政府軍の言い分も旧政府軍の言い分も理解できた。だが、その道場以上に死ぬことを恐れた。だから、心では旧政府の指示をしていたものの、体では新政府に従っていた。全く偽善者もいいところだよ。迷いに迷ったあげく、新政府につくことを選んだ。死にたくなかったからだ。私は命を優先した。というのも旧政府軍は内部分裂により、戦況の悪化は必至だったからだ。
実際その様子を見て次々と新政府軍に寝返る者も増えていた。そして私もその一人だった。その後戦争がようやく終わり、N国が一息ついた頃だ。しばらくすると私は自由を猛烈に欲していた」
老人はまた苦笑した。
「おかしいと思わないかヒロ。戦争の時はあんなに命を惜しんでおいて。旧政府の人間をたくさん殺していたくせに。身の危険がないと感じた途端、これだ。自分でも笑ってしまうよ。虫が良すぎるというか…だが、身の安全は私に退屈をもたらした。私は当時新政府が自由を抹消しようとすることを知っていたから復権派に入ればどうなるかはわかっていた。故に抑圧をずっと感じながら生きなくてはならなかった。ダリムの戦いが終わった途端から、新政府は急ピッチでN国の基盤を作りはじめていた。当然、新政府の意向により『自由』、『抑圧』、そしてそれに関連したさまざまな言葉をはじめとしたものやことが姿を消していった。終戦を迎えて七年。正式な形で新政府の基にN国が樹立された。その時には民の自由の概念はほとんど消失していた。厳密に言うなら完全な消失はもう少し先のことだったのだのかもしれない。しかしそのとき、すでに自由の概念は観念に成り下がっていたのかもしれないな…話を戻そう。私は新生N国が樹立されてもなお自由を忘れることができなかった。そして私が打った手は自ら志願して刑務所に行くことだった。私は自由と抑圧の狭間でもがき苦しんでいた。あの時の自分はとても正常とは言えなかった。旧政府軍との戦いで精神に異常をきたしている。このままだと自分が何をしでかすかわからない。そうなる前に刑務所に入れてほしい。そう理由を告げた。半分本音だったよ、それは…実際、旧政府軍との戦いで頭がおかしくなったやつは何人もいた。まあ、その多くは人を殺しているからね。あたり前といえばそうなのかもしれない。正常な反応なのかもしれない。当時内部分裂を起こしていたものの旧政府支持者が多くいた構成員は一般市民が多かったおかげで、収容人数が限界を迎えていることが多かった。私は多くの刑務所をたらいまわしにされ、最終的には比較的多くの人間を収容できるこのロス刑務所にたどり着いたというわけだ」
そのとき遠くで自由時間の終了を告げるチャイムが鳴った。
「今日はここまでだ。続きは又の機会にしよう」
それから日を何日か改め、次の自由時間がくると。僕はまた同じ場所へと向かったベンチに座ってから数分経つと、再び老人がやってきた。
「どこまで話したかな?ああ、そうそう、覚えているよ、覚えているとも。私がここに来たいきさつを話し終えたところだったね。私がここに来てから20年ぐらい経った頃、今から数えても20年前のことだ。君の父親がここに来たのは。彼のことは覚えているよ……まっすぐな目をしていた。彼は人と話す時、必ずその人の目を見続けるんだ。そんなことをされるものだから、まるでこちらの全てを見透かされているような気がしてね。一度だけ彼と話をしたことがある。ちょうどこの場所。私がこのベンチに座って日向ぼっこをしていると彼がやってきてね。彼は私の隣に座ると勝手に一人で話し始めた。ほら、ちょうど今の私のようにね。私は他にすることもなかったから。内心それはありがたかった。そういえば彼は。話の途中、君のことを心配していたっけな?彼は葛藤していたよ。自分の自由か家族か?どちらを優先すべきか迷っていた。おそらく君も知っての通り、彼は前者を選んだ。私と同じで自由への欲望を抑えることができなかった。そのことを踏まえるなら、彼が君が家族のもとを去ったのは賢明な判断だったのかもしれない。これは自由を優先しておきながらも家族を守る行動だった。彼は君ら家族のことを離れた後。公然と自由を広める活動。旧政府はこれを啓蒙活動と呼んだわけだがそういうことをしていたよ。…だが当然すぐに捕まったそうだ。そうして彼はここに送られてきたというわけだった。けれども、彼はここでも啓蒙活動を懲りずに行っていた。それをしている時の彼は本当に楽しそうだったよ。あれを人間らしいというのかね?だが、それもつかの間。そんなことをしていたものだから、彼は厳重警戒区域に送られ、生活のすべてを。小さな小さな個室の中で過ごすこととなった。なんでもあの場所には行ったらおしまいだそうだ。君と私の部屋とは比べ物にならないくらいの抑圧を感じると思うよ。われわれは旧国人として見なされていないからね。扱いとしては抑圧を受けないように設定されているんだ。
君の父親はそこで過ごす事を強いられた。それから半年ほどたった頃かな?君のお父さんは処刑されたよ。死刑だ。処刑がなされる前に、ここロス刑務所で大規模な検査が行われてね、特別聴取というものだ。それをすれば、旧国人かそうでないかがわかるのだが。私も当然それを受けたよ。ここに収容されたものは全員、それを受けた。しかし、私は自身の眼の瞳孔や発汗といった。微細な身体反応を自分でコントロールすることができた。ちょっとした特技なのだよ。まさかここで役に立つとは思わなかったが。そのおかげもあって、私は処刑されず、今でものうのうと生きているというわけだ。死ぬのは怖いから…どうしても処刑されたくないと思ってしまうのだよ…ともかく、その聴取を受け、旧国人とわかったものは……その後全員処刑された。いつどこで処刑されたのかはわからない。それでも処刑が行われたことは確かだ。少しずつしかし、確かに数が減っていった。おそらく君の父親なんか最初の方に処刑されたのだろうよ。抑圧を知る者自由を知る者は片っ端から駆除された。気づけば、ここにはもう自由を口に出すものなど一人もいなくなっていた。口に出せなかったのではない出しようがなくなったのだ。誰も自由を知らないのだから。今ではここに来る人間は精神異常をきたし、自分を見失った人間がくるようになっている。こういった人間たちは犯罪を犯しやすい傾向にあるんだそうだ。昔と後でくるやつもいるし、犯す前に来るやつもいる。いずれにせよ。ここに来る人数が減少しているのも確かだ。興味半分でこのおーきな刑務所に何人が収容されているのかを数えたことがある。だが、50人もいないことがわかったよ。私が数えた時は36人だった。昔は千人以上の人がここにいたっていうのにな。処刑でみんないなくなっちまった。それからこれは私の仲の良い職員から聞いたことだが、ここの名前はロス刑務所ではなくロス更生施設になっているらしい。抑圧を感じないようにN国の言葉は新政府によって改良されていく。この姿勢は戦争が終わってからずっと変わらない。殊勝なことだよ。しかし、裏を返せば新政府の誰かは自由、もしくは抑圧を知っているということになる。そうでなければ、Nを間違った方向に改造してしまうかもしれんからな。きっとそいつはかつての旧国人のように人間から隔離されているのだろうな。二度とダリムの戦いが起きぬように。あの惨劇が起きぬように。
なぁヒロ。君の目はあの父親そっくりだ。察するに、君も自由を求めているんだろ?
けどな。知らない方がいいこともあるんだよ、ヒロ。
そうだろ?
自由を求めた先にあるのはいつも…地獄だ。
あの日もそうだった……!あの日も…!
『突如ダンケルさんの息遣いが荒くなる』
「私はあの戦争で敵地に行き、仲間を爆撃で失い、大切な友を目の前で失った。そしておめおめと生き残ってしまった私は自陣に戻る道中私は地雷を踏んで足が、足がぁああああ!あぁああああああああ!足が無い!ああぁあぁあああ!『ダンケルさん!』」
「ダンケルさん!」
「?」
「ダンケルさん!落ち着いてください
足ならあるじゃないですか」
『ダンケルは足元を見る。彼は義足を付けていた。しかし失った右足はもとには戻らず、満足に歩くことはもう二度とできない』
「それに、もう大丈夫ですよ。戦争は終わったんですから」
「あぁ……そうだな。すまない取り乱してしまったね。本当に…すまない…
今でも時々パニックになるんだ……踏んでしまった時の……」
「もう話さなくていいですよ。わかりましたから」
「ありがとう……君も優しいね。やはり君は彼の息子で間違いないようだ。」
『空には鳥が飛んでいる。あの鳥の名前は何なのだろうか?』
「……ここにいてもな、何がN国で起こってるかはわかるんだ。
新聞が届くからね。私も退屈だから、それをよく目にするよ。
だが、一面は何てことない,知らせで溢れているよ。店が新しくできたとか、線路が開通したとか、記念日の祝祭だとか、平和なニュースばかりだ。誰も抑圧を感じることのないよう設計されている。
いや、そもそも抑圧を知らないのだから、それを表現することさえできないのかもしれない。
あれから約半世紀が経っている。ここ最近特に目立った争いはない。
N国の持つ軍事力は強大なものだからだ。今のN国はただ守ることにのみ特化している。自由を忘れたからだ。もはや領土を拡大しようという気すら起こらない。
君が自由を求めるのはわかる。しかし、もうその時代は終わった。終わったんだ。自由の代償として、民は平和に暮らすことができている。
だが、それでもなお、君は自由を、旧政府の思い描いた世界を望むのか?君の父親と同じように」
「それについては俺も考えましたよ。考えたうえで。俺は自由を求めます。自由のために進み続けます」
「そうか」
老人は微笑する。
「その目。……やはり父親そっくりだよ。止めはしないよ。君の思うままに生きなさい。」
「……!止めないんですか?(あなたはイザベルと同じように。僕を引きとめる役では?)」
「とめるものか、若者の背中を押さない馬鹿が何処にいる?」
「…!ダンケルさん。俺はそろそろここを出ようと思います。あなたが望むなら、ここからあなたを出すことも可能です」
「そうやって聴取も切り抜けたのかね?……まあ、良い、詮索をするつもりはないよ。私ももう年だ。残り少ない人生はここで過ごしたい。もういいんだよ。私はね…三年もの間、話し相手になってくれたこと、感謝する。気をつけたまえよ。ヒロ」
『目を開ける。眠ってはいなかった。今度は不埒な夢を見ることもなかった。俺は思い出していたんだ。厚生施設での生活を。
ヤノベルまで戻る長い間、座っていたせいか腰が痛い。あぁ、そうか。あれから三年が経ったのか。いや、俺がそうしたんだっけ…
まあ、いいや、とりあえず家に向かおう。
道中ヤノベル学校から帰る一人の女の子を見かけた。俺はその子に話しかけた』
「君もどうせ話の筋には関係ないのだろう?」
女の子がいう。
「いや、関係あるわよ。私はフィアンセの召使の役をやるの。重要な役よ。それより、あなたは違うクラスでしょ。私たちの世界に首を突っ込まないでくれる?結末は知らない方がよくてよ」
「卑怯だな。どうしてお前は直接話しかけてこないんだ⁉」 
『俺はさっき話しかけた女の子を残し、進み続ける。家に着く。この家には父親も母親ももういない。いるのは俺だけだ。みんなどうしているだろうか?ルナ。イザベル。トリュは幸せに暮らしているだろうか?そうあって欲しい。この家にわざわざ来たのは写真が欲しかったからだ。俺と母さんの写真。たぶんこれは嘘じゃない。そう信じたい。写真立てから一枚の写真を抜き取ろうとしたその時。写真が二枚あることに気がついた。写真は二枚重なっていた。もう一枚の写真には母さんと並んだひとりの男が写っていた。
これが…父さん?
そうか。確かに。似てるな。会ってみたかった。自由について語り合いたかった。だが、それももう今ではかなわない。こんな世界でなければ、俺は父さんと。
……涙が止まらなかった』
 
『外に出た。道中並べる学校を目にする。在学しているときは気づかなかった。
あれは俺を拘束する施設だったんだ。ほら、立派に門や塀で囲われているじゃないか。外から余計なことはされないように、中から逃げ出せないように。もっとも当時は逃げ出すことすら考えつかなかったわけだが。
それから少し歩いていると、前に3人の男たちが。歩いてくるのが見えた。』
「……ヒロ?」
『声のする方に目を見よる。トリュだ。』
『トリュが駆け寄ってくる。あの頃より少し痩せたように感じる。身長も伸びていた』
「ヒロ、どこ行ってたんだよ!三年も……!」
トリュは困惑していた取り巻き二人に
「ごめん、今日は遊べない。また今度遊ぼうぜ。」
と言い、その2人と別れ、俺を連れてヤノベル公園に向かった。噴水の見えるベンチに座る。後ろの背面は森林で埋め尽くされている。
「元気にしてたか?トリュ」
俺は尋ねる。
「ああ、ヒロの方こそ。どこにいたんだよ今まで?」
「ちょっとした旅に出てたんだ…ルキナやイザベルはどうしてる?」
「もちろん元気にしてるよ。何なら呼んでこようか?さっき二人が歩いてるのを見たんだよ」
トリュが腰を持ち上げようとする。
「いや、いい。呼ばなくていい。」
「そうか?わかった。」
少し沈黙が流れる。トリュが口を開く。
「いや、実はさ。いや、実はさ。俺。イザベルと今。付き合ってるんだ。」
「あー。そうなのかそれはよかった。ルキノはどうなんだ?」
トリュはニヤニヤして答える。
「誰かが知らないが、イザベルから男がいるとは聞いたな。」
「そっか…よかったよ。みんな幸せそうで。
ごめんな。トリュ。数年前は自由の話だとか、おかしなことを言っていて」
「じゆう?なんだそれ、そんな話してたか?」
「……そうか。いや、何でもない、忘れてくれ。すまないトリュ。そろそろ時間だ。俺は行かなくちゃならない。イザベルやルキナにもよろしく言っておいてくれ」
「もう行くのか?どこに?」
「俺はもうこの世界にはいられない」
俺は腰を上げる。その時、トリュの携帯が鳴った。
「ああ、なんだよ、こんな時に…!イザベルだ
イザベル‼今ヒロが。あぁ、ヒロだよ。今隣に。…あれ?」
『俺は行かなくちゃいけない。俺はこの世界にいてはいけない、いられない。
それは物語がそのように組み込まれているからだ。
この物語が誰かの手によって作られたとするなら、その作者の世界が存在するはずだ。俺はその世界に行かなくてはならない。なんとしてでもその方法をあの刑務所で考え続けた。
方法は二つ。
一つは俺が自死すること、俺が死ねばこの物語は破綻し続けることができなくなるだろう。
だが、その場合、俺自体が消えてしまう可能性が高い。自由のために。俺は自分の自我を保ったまま作者の世界に行かなくちゃいけない。
となると、次に考えられる方法はこちらも物語を展開することだ。現に今俺は物語を生成し続けている。それを自覚できたのは、あの更生施設で物語の特性を熟知できたからだ。この世界と作者の世界の橋渡しを俺が物語に行くことによって成せるかも知れない。原理は多分同じなんだ。』
「俺はすでに作者の世界に存在していた。」
『認識。主と客の一体。俺は足を止めて道の真ん中で目を閉じる。『何か』に意識を集中させる。ここは物語だという認識。作者の世界が現実だという認識…刹那、重力を失う。浮遊している心地になるここは夢の世界だったんだ。構わず集中する。俺は自由になる。これは物語だ。虚構だ。現実じゃない。感じるんだ果てしない自由を。
…おさまる。…地に足をつけて立っている感じがする。目をそっと開ける。前にはひとりの男が歩いている。俺はそこで全てを察した。ここは現実作者の世界、そして俺はこの世界に既に存在していた。目の前に居るこの男は…俺は男の肩をたたく。男は振り返る。俺は自分の名前を告げる。彼は目を見開いてこう言った。』

「…!どうしてその名前を?」


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