ラッセル『幸福論』

 安藤 貞雄 訳『ラッセル 幸福論』(岩波文庫, 1991)を基本書とし、概要は、以下のテキストより手短に参考にさせてもらっております。

小川 仁志『(100分 de 名著) ラッセル『幸福論』 客観的に生きよ』(NHKテキスト 2017年11月)

◎この本の内容構成【目次】

第一部 不幸の原因 Causes of Unhappiness

 第一章 《何が人々を不幸にするのか》What Makes People Unhappy?

 「不幸の原因」分析;不幸の最大原因は「自己没頭」にあるとし、その三つのタイプとして「罪びと」「ナルシスト」「誇大妄想狂」を挙げる。



 第二章 バイロン風の不幸 Byronic Unhappiness

  既に死んだ人を幸いだと言おう。更に生きていかねばならない人よりは幸いだ。いや、その両者よりも幸福なのは、生れて来なかった者だ。太陽のもとに起こる悪いわざを見ていないのだから。

―――「伝道の書」第四章 二-三節

 第三章 競争 "Competition"

 「人生の主要目的として競争をかかげるのは、あまりにも冷酷で、あまりにも執拗で、あまりにも肩ひじはった、ひたむきな意志を要する生きざまなので、生活の基盤としては、せいぜい一、二世代ぐらいしか続くものではない。その期間が過ぎれば、それは神経衰弱や、種々の逃避現象を生み出し、快楽の追及を仕事と同じくらい緊張した困難なものにするにちがいない(なぜなら、リラックスすることが不可能になっているからだ)。そして、ついには、・・・」(安藤 貞雄 訳『ラッセル 幸福論』(岩波文庫, 1991)p. 60)抜粋

 第四章 退屈と興奮 Boredom and Excitement

  人間は現在の状況と想像上のより快適な状況とを対比してしまうために、退屈を感じてしまう生き物である。

 第五章 疲れ "Fatigue"

  意識の無意識への働きかけの必要性

 第六章 羨望(「妬み」) "Envy"

 ※「謙遜」さえも、妬みの一部であるという。

 第七章 罪の意識 The Sense of Sin

 第八章 被害妄想 Persecution Mania

 第九章 世評に対する怯え Fear of Public Opinion

 「世評というものは、世評に無関心な人々よりも、はっきりと世評をこわがっている人々に対して、つねにいっそう暴虐である」(安藤 貞雄 訳『ラッセル 幸福論』(岩波文庫, 1991)p. 143)

第二部 幸福をもたらすもの Causes of Happiness

 第十章 《幸福はそれでも可能か》Is Happiness Still Possible?

 「幸福の秘訣は、こういうことだ。あなたの興味をできるかぎり幅広くせよ。そして、あなたの興味を惹く人や物に対する反応を敵意あるものではなく、できるかぎり友好的なものにせよ」(安藤 貞雄 訳『ラッセル 幸福論』(岩波文庫, 1991)p. 172)

 第十一章 熱意 "Zest"

 第十二章 愛情 "Affection"

 「あまりにも強い自我は一つの牢獄であって、もしも、人生を目いっぱいエンジョイしたいのであれば、人はそこから逃げ出さなければならない」(安藤 貞雄 訳『ラッセル 幸福論』(岩波文庫, 1991)p. 203)

 第十三章 家族 The Family

 第十四章 仕事 "Work"

 第十五章 私心のない興味 Impersonal Interests

「不幸や疲れや神経過労の原因の一つは、自分の生活において実際的な重要性のないものには何事にせよ、興味を持つことができないことである。」(安藤 貞雄 訳『ラッセル 幸福論』(岩波文庫, 1991)p. 243)
「私たちは、自分の職業だの、自分の仲間内だの、自分の仕事の種類だのに熱中するあまり、それが人間の活動全体にのどんな微々たる部分でしかないか、また、世界中のどんなにたくさんのものが私たちの仕事にまるで影響されないか、ということをとかく忘れがちである。・・・知識を身につける機会があれば、たとい不完全なものであってもそれを無視するのは、劇場に行って芝居を見ないのと同じである。・・・世界の提供するこの壮大なスペクトルに興味を持てない人びとは、人生の差し出す特典の一つを失っていることになる。」(安藤 貞雄 訳『ラッセル 幸福論』(岩波文庫, 1991)p. 246-247)

 第十六章 努力とあきらめ Effort and Resignation

 第十七章 幸福な人 The Happy Man

 ➊「客観的な生き方」(客観的に生きるということ)によって、自由な愛情と幅広い興味を持っている人。

 「幸福な人とは、客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている人である。また、こういう興味と愛情を通して、そして今度は、それゆえに自分がほかの多くの人びとの興味と愛情の対象にされるという事実を通して、幸福をしかとつかみとる人である。愛情の受け手になることは、幸福の強い原因である。しかし、愛情を要求する人は、愛情が与えられる人ではない。愛情を受ける人は、大まかに言えば、愛情を与える人でもある。」(安藤 貞雄 訳『ラッセル 幸福論』(岩波文庫, 1991)p. 268-269)

 ❷自分と社会とが客観的な関心や愛情によって繋がっている人(他者と関わり、世界(=社会)と繋がれる人)。

 「すべての不幸は、ある種の分裂あるいは統合の欠如に起因するのである。意識的な精神と無意識的な精神とをうまく調整できないとき、自我の中に分裂が生じる。自我と社会とが客観的な関心や愛情によって統合されていないとき、両者間の統合の欠如が生じる。幸福な人とは、こうした統一のどちらにも失敗していない人のことである。」(安藤 貞雄 訳『ラッセル 幸福論』(岩波文庫, 1991)p. 273)

個人が幸福になるためには、社会も幸福(すなわち「平和」)でなければならない。


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