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きっかけを与えることを教育という

人にモノを教えることは出来ない。

彼が自ら気付くよう手助けができるだけだ

           byガリレオ・ガリレイ


一瞬、アンジェ・ポステコグルー監督?って思いました。

いつかは、データのようにその人の記憶や知識をダウンロードしたりコピーして分け与えたりすることが出来る日が来るかもしれませんが、現時点では、ガリレオのいう通り、自分の持っている知識を直接誰かに与えることは出来ません。与えようとする行為を「教える」というのでしょう。つまり、結果ではなく、過程や状態を指して「教える」というのであり、実際に与えるわけではないという意味では、ガリレオの言っていることは正しいと思います。

他方で、そのような行為を通じて、教えられた相手は、自分に対して何かを与えようとしているということは分かるはずで、その何かをについて考えることで結果的に、その何かを自分の中に取り込むことができる。結果的に、教えるという行為は、知識を得るためのきっかけとして働くんでしょう。

そうなってくると、結局大事なのは、気持ちだと思います。どれだけ分かりやすい授業をしても、教えられる側がそれを受け取る気が無ければきっかけにすらなりません。実績のある講師や塾よりも、本人の意欲に目を向けるべきなのでしょう。

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