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第一章 窓辺の棚

 書斎の前のシラカシに雀が巣を作り始めたのは、ツルバラだけでなくその他美しく着飾った庭の花たちが次々と目を覚まし、温かい季節の訪れを喜びながら、思い思いにおしゃべりを楽しむ五月の初めのことでした。ところが、うららかな陽気が漂う庭の様子とは裏腹に、その書斎の中はしんと静まり返り、その中にただ一つ、「ガラスのお姫さま」のすすり泣く声だけが響いていました。

 「ああ、ひどいわ。あんまりだわ!何ということでしょう。こんな所に追いやられるなんて。こんな棚の一番上!もう誰の目も届きやしないわ。あのおじいさまは唯一私を愛でてくれる人だったのに、まさか見捨てられるなんて。ついに私を見てほほえみかけてくれる人はいなくなったんだわ!」

 「ガラスのお姫さま」というのは、文字通りガラスでできたお姫さまの置物で、二十年ほど前からこの書斎の飾り棚に置かれていたのでした。彼女が「おじいさま」と呼ぶのはこのお屋敷の主人であり、イタリアのガラス職人が丹精込めて創り上げた上等のガラス細工である彼女を、この書斎に招き入れたその人なのです。この実に趣味の良い老紳士は、お屋敷中に外国から輸入されたたくさんの芸術品や骨董品を飾っておりました。フランドルの絨毯、中国の陶器の壺、エジプトの香水瓶にインドの宝石箱。その他数え切れないほどの素晴らしい品々が各々の魅惑的な輝きを放つ中、お屋敷の主人の一番のお気に入りは、ガラスのお姫さまでした。
 ところがこの日老紳士は、どういうわけかガラスのお姫さまを、書斎の中でもよく目の届く飾り棚から、窓辺の棚の上段に移動させたのです。実は老紳士は、彼女が日光に当たって一番輝くことができる場所に置いてやろうと考えたのですが、ガラスのお姫さまは決してそうとは思いませんでした。彼女はとても後ろ向きな性格だったからです。

 隣にちょこんと座る洒落た町娘の人形が、ガラスのお姫さまをなだめて言いました。
 「あなた、どうしてそんなに取り乱しているの。ここは素敵な所よ。なぜってここは、このお部屋の中でお日様の光が一番降り注ぐ場所なのよ。私はあなたがこの棚に来てくれてとても嬉しいわ。今まではあなたとおしゃべりをするのに、私があの飾り棚まで行かなくちゃならなかったのよ。それもばあさまの目を盗んでこっそりとね。あなたはガラスに傷がつくなんて言って、ちっとも動いてくれないんだもの」
 彼女が「ばあさま」と言ったのは、このお屋敷に勤めるたった一人の使用人の老婆のことです。彼女はもうとても長いことお屋敷に仕えておりました。お屋敷の置物たちやマントルピースの彫り物、壁紙やタペストリーに描かれた動物たちがひそひそ声でおしゃべりをしたり、こっそり動いていることを、昔からこの老婆はそれとなく気がついていました。目や耳が衰えても勘は鈍らず、いえ、それはますます鋭くなるようで、お屋敷の物たちはばあさまに見つからないよう、前よりも一層注意深くおしゃべりをしなくてはなりませんでした。
 ガラスのお姫さまのとても大切な親友である町娘の人形は、いつもは窓辺の棚の中段にすまして座っており、こんな風にお天気の良い日には、身軽な体で素早く上段によじ登り、日向ぼっこをするのが好きでした。
 「ああ、ごめんなさいね。でもあなたの体は綿でできているのだから、風のようにどこへでも行けるのでしょう。私はこんなに重たくて脆い体なのよ、風が少し触れただけでも指が折れてしまうわ」
 ガラスのお姫さまは嘆きながらこう続けました。
 「何もこの棚や、ここにいるお友達のことを悪く言うつもりじゃないのよ。ただ私、もうきっと誰にも見てもらえずに、忘れられてしまうのだと思って。何もかも全てが悲しいのよ。どうして私はここにいるの。ここでいつまで、何をしているのかしら」
 ガラスのお姫さまの頬からは次々に涙が零れました。彼女の周りには、ほんの小さなガラスのビーズがたくさん転がっていました。これは全て、ガラスのお姫さまが今までに流した涙です。彼女は作られた時からずっと、泣いてばかりでした。高級な絹のリボンを綺麗に飾った箱の中で、このお屋敷まで運ばれるのを待つ間にもたくさん泣いたので、ばあさまが箱を開けて棚に飾り付ける頃には、お姫さまの周りはガラスの涙でいっぱいになっていました。ばあさまは、置物を引き立たせるためにこんな小さなビーズまで作るなんて、と職人技に感心して、その涙をお姫さまの傍に転がしておきました。そして、窓辺の棚の上段にまできちんと持ってこられたそれはこの日、確かに美しく日の光を反射して、ガラスのお姫さまをいつにも増して輝かせておりました。それが彼女にとってどんなに皮肉なことであったかは、皆さんのご想像に難くはないでしょう。

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