見出し画像

第三章 ボンボニエール

 それから半年が過ぎようとしていました。シラカシの木にできた雀の巣では、夏に生まれた子供たちの小さな妹や弟たちが、ちょうど卵から孵った頃でした。ガラスのお姫さまやその友達は、夏にそうしたように、雛鳥たちがすくすくと育っていくのをいつまでも窓辺で見守っているつもりでした。しかし今度の子育ては、前の時ほど穏やかには進みそうにありません。親鳥は急いでいる様子でした。
 「ほら、今のうちにたんとお食べなさい。そして早く大きくなるのですよ。もうすぐ雪が降るでしょう。その時に凍え死なないためには、たくさん食べて、大きく強くなるしかないのです」
 雀のお母さんがそう話すそばから、冷たく乾いた木枯らしが容赦なく吹きつけてきました。冬がすぐそこに、近づいていたのです。
 お屋敷の窓の内側では、この日もガラスのお姫さまが泣いていました。町娘の人形は、せっせと縫い物をしながら尋ねました。
 「今日はどんなことで泣いているの、涙の王女さま」
 「一つだけ孵らなかった、雀さんの卵のことを思って泣いているのよ。それから無事に生まれたばかりの雛鳥たちのことも。厳しい季節を乗り越えられるかしら」
 ガラスのお姫さまはとても落ち込みやすい性格でしたが、同時に、とても優しい性格でもあったのです。町娘は敢えて何も言いませんでした。
 しばらくして、町娘はおもむろに立ち上がりました。
 「できたわ、どうかしら。素敵でしょう」
 町娘はスカートの裾をつまみ、優雅にくるりと回ってお辞儀をしました。彼女は今まで、ガラスのお姫さまの涙を、せっせと自分のドレスの裾に縫い付けていたのです。嬉しそうにふわふわと踊る町娘の動きに合わせて、ガラスの玉は高い音を立てて可憐に揺れながら、きらめきました。
 「本当に美しいわ。あなたの持つ魅力が何倍にも増すようよ。私の涙がこんなところで役に立つなんてね」
 ガラスのお姫さまは親友の喜ぶ姿を見て、心から嬉しく思いました。先ほどまでの憂鬱も、少しは晴れるような気がしました。町娘の人形はきらきらと音を立てながら、一段と素敵になったドレスを見せに、愛する婚約者のもとへと走って行きました。

 ガラスのお姫さまは長いこと、本当に長いこと、ただぼんやりと座っていました。話し相手もいなければ、やるべきこともありません。彼女は自分自身でさえ、自分がここにいることを忘れてしまいそうでした。窓の外を仰ぐと、薄暗く厚い雲ののさばる晩秋の空がどこまでも続いているように見えました。ガラスのお姫さまは、小さくため息をつきました。
 「私は世界で一番孤独なお姫さまだわ」
 そう独りごちたその声さえ、誰の耳にも届くことはありませんでした。彼女は頭にすっぽりと嵌っている小さな冠をそっと取り外してみました。うっとりするほど繊細な、美しい花の模様が彫り込まれていて、たいそう見事なものでした。しかし、ガラスのお姫さまにとって、それは今や何の意味も持たないのです。
 「いいえ、本当は、私はお姫さまでもないのだわ。こんなものを頭に嵌めていたって、何の役にも立たないもの。棚の上でいつまでも一人ぼっちのお姫さまなんて、聞いたことがないわ」
 自分の孤独を一つ言葉にするたび、ますます悲しくなっては、またガラスの涙が零れ落ちました。
 「ああ、このまま死んでしまいたいくらい。少し足を滑らせれば、私は粉々になってしまうでしょう。でも、とても怖いわ。それに死ぬのなら、美しいままがいいもの」
 お姫さまは棚の淵に跪き、下を覗いてみました。すると、ちょうど下を歩いていた脚つきの小さなボンボニエールに、お姫さまのガラスの涙がぱちんと当たりました。ボンボニエールは「いてて!」と言いながら、驚きのあまりひっくり返ってしまいました。しばらくじたばたと暴れた後、無事に体勢を取り戻すと、ボンボニエールはかちゃかちゃと音を立てながら棚に登ってきました。
 「ガラスのお姫さま、今日はまた一段と悲しそうですね。私がお話し相手になってあげましょう」
 小さなガラスのボンボニエールはかわいらしい子供のような声で言いました。それは薄水色の透明な色ガラスでできていて、蓋の部分にはみずみずしい果物と二匹の蝶が描かれています。
 「ああ、涙を当ててしまってごめんなさい。お怪我はなかったかしら」
 お姫さまが言うと、ボンボニエールは元気な証拠に、ぴかぴかの銀細工でできた脚でぴょんぴょんと飛び跳ねました。
 「大丈夫ですよ、私はとっても丈夫なんだから。それより心配なのはあなたですよ。あなたのことを、ほら、いいからお話しなさい」
 「ご心配をおかけしてすみませんけれど、私、もう何でもないんです。平気ですから、今は一人にして下さらないこと」
 こんな時は世間話から入るのが一番、とでも言うように、ボンボニエールはガラスのお姫さまの言葉を無視して言いました。
 「そうですか。それにしても、最近はめっきり寒くなってきましたね。僕の体も、冷たい空気にますます澄み渡るようだ。そういえば、昨晩も暖炉に住む炎の親方が、私の出番と言わんばかりに勢いよく燃え盛っておりましたね。いや、とても楽しそうだったな」
 堂々と居座るボンボニエールの意志を見て取ると、お姫さまはとうとう諦めて話を続けました。
 「私、本当はあのお方が少し苦手なのよ。何故だか、私のことを娘のように思って下さっているみたいですけれど、私にはそんな覚えはないわ。第一、とても声が大きくて、一言話すだけで圧倒されてしまうのよ」
 ボンボニエールは楽しそうに笑いました。
 「ははっ、それは確かにその通り。あの人は、僕のことも同じように、自分の息子だと思っていますよ。ガラスでできているからでしょう。だから僕も、まるで本当の息子のように振舞っていますよ」
 「でも、私たちはあの炎から生まれたわけじゃないわ。ここにいる方たちは皆、別々の所から一人ぼっちでここに来たのよ。それに、あなたはお考えになったことないかしら。私たちは炎から生まれたというけれど、どうしてこんなに硬く冷たい体を持っているの?炎とはまるで正反対。そのことがまさに、私が知らないうちに抱えている大きな嘘の根源であるような気がするのよ」
 ボンボニエールは一生懸命に考え始めましたが、彼には少し難しかったようでした。
 「そんなことは、考えてもみなかったなあ……」
 ガラスのお姫さまは急いで話を変えようとしました。
 「いいのよ、忘れて頂戴。それより、あなたはさっき、何をしていたの。棚の足元を歩いていたようだけれど」
 「あれは、お昼のお散歩ですよ。僕の日課なんです。ずっと同じ場所にいたら、毎日くたびれてしまいますからね。この部屋の色んな人とお話しするんですよ。しかし、この棚の上まで来たのは初めてだなあ、ここはとても見晴らしがいいや。あなたはいい所に引っ越されましたね」
 「ここがいい所だなんて思ったことは一度もありませんでしたわ。あなたはとても元気が良くて、羨ましいこと」
 ボンボニエールは得意になって笑みを溢しました。
 「あなたもたまには棚を降りて、歩いてみたらいいんですよ。そういえば、よくお隣にいる綿の町娘さんは、今日はご一緒ではないのですか」
 「ええ、彼女は新しくドレスにつけた飾りを見せに、婚約者の所へ行ったわ。二人はとても仲がいいのよ」
 ガラスのお姫さまが指さした先の二人は、部屋の隅の本棚の上で、楽しそうにおしゃべりをしているようでした。お姫さまのこの言葉には、ほんの少しの嫉妬の気持ちすら含まれてはいませんでした。あるのはどこまでも深い、寂しさだけだったのです。しかしボンボニエールが次に言った言葉は、ガラスのお姫さまの寂しさを瞬く間に去らせ、全て驚きに変えてしまいました。
 「あなたも本当は、思いを寄せるお相手がいらっしゃるのでしょう」
 「何ですって。どうしてそうお考えに?」
 「いやだなあ全く。皆そうだ、僕がこんなに小さくって高い声だからって、何も分からない子供だと思うんだから。あなた、いつも見つめているじゃありませんか、向かいの壁の、あの肖像画を」
 ボンボニエールが言ったその壁には、確かにとても美しい青年が描かれた、一枚の肖像画が掛けられていました。しかしこの絵は、過去の時代に実際に生きた人間を描いたものだったので、このお屋敷の他の物たちのように命を宿すことはなく、それはただの絵に過ぎないのでした。ボンボニエールは、ガラスのお姫さまがいつでもこの肖像画を見つめているというのです。お姫さまは急いで否定しました。
 「いつも同じ場所にいれば、同じ景色しか見られないのが当然よ。それにあれはただの絵、話をすることもできないのだわ。死んだ人間に恋をするなんて、あり得ないことよ」
 そう言いながら、ガラスのお姫さまは自分の心の中で何かが、音を立てて崩れていくのを感じました。お姫さまはボンボニエールの言葉によって、今まで知らずに憂鬱で覆い隠してきた気持ちに気が付いてしまったのです。ガラスのお姫さまはまさに、その絵に恋をしていたのです。

自分の孤独を一つ言葉にするたび、ますます悲しくなっては、またガラスの涙が零れ落ちました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?