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昭和のタイムカプセル、レトロかわいい祖父母宅の記録

こんにちは、野ばら子です。

祖父母宅についてのツイートをたくさんの方に見ていただき初めてのnoteを書くことにしました。

自己紹介

その前に、簡単に自己紹介を🍀

野ばら子は、昭和4年創業の出版社・野ばら社のマスコットキャラクターで、野ばら社の1番のファンでもあります(野ばら子調べ)

野ばら社は、図案、音楽、書道、百人一首など実用書の出版社ですので、野ばら社にピンとくる人は、きっとこんな方かな?と思っています。

●80代以上の方(毎年出版していた子ども向け時事解説本『児童年鑑』を読んで育った世代)
●昭和レトロ、ノスタルジックなものが好きな方(昭和そのまま、価格も昭和な出版社です)
●デザイナーさんなどアートに携わる方(図案の本をアイデアソースとして)
●書道をされている方(書の手本として)
●歌の会に入っている方(教科書として)
●嶽本野ばらさんの『下妻物語』を読まれた方(『図案辞典』が作中に登場するのです!)
●西原理恵子さんの漫画、エッセイを読まれた方(絵の手本として繰り返し『略画辞典』をご紹介くださっています)

上記に当てはまる方で、まだ「野ばら社?知らない!」という方はぜひ調べてみてください。きっとお気に召していただけることと思いますヨ🍀

祖父母宅のツイート

さてさて、話を戻します。

そんなわけで、野ばら子は野ばら社を知ってもらうために日夜SNS等に奮闘しているのですが、企業公式の立場なので、あまり「私ごと」は書かないようにしていました。

けれども、祖父母宅があまりにも可愛くて野ばら社っぽいので初めて「私ごとですが」と投稿したのがこちらです。

これが思わぬ広がりを見せ、初めて「通知がとまらない…」という経験をさせていただきました。

祖父母宅は、本当にかわいくて大好きなので同じ気持ちの方が沢山いらしてくれて本当に嬉しかったです。

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壁紙、床の模様、お風呂のタイル、窓のかたち、どれをとってもかわいくて祖母に「こんなにかわいいおうち、誰が建ててくれたの?」と聞いたら「裏の大工さんだねぇ」と言っていました。

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祖父が亡くなり、この時点ではこのかわいいお家はいずれなくなる予定でした。それがあまりにも悲しくて…

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というのも、かなり遠方なのですね。

捨てない世代

ここは母の実家なのですが、母が飛行機で祖父母の介護といつか来る日に備えて少しずつ実家の片付けに通っていて野ばら子も手伝いに行くというのがここ数年の恒例行事になっていました。

ついて行って「実家の片付け」というのは、大変だと思いました。野ばら社の先代もそうでしたが、祖父母の代というのは「物を大事にする」=「物を捨てない」のです。

祖父の部屋を片付けていた時です。

野ばら子が作ってプレゼントしたフェルトの眼鏡ケースがでてきました。未だに愛用してくれていたことにじんとしましたが、それを作ったのは小学生の時です(!)

野ばら社はお給料手渡し制なのですが、先代の時はその封筒に鉛筆で名前が書いてありました。「名前を消せば再利用できるからね。」との理由です。SDGsという言葉ができる前からそのあたりは徹底していました。

野ばら社社内もこのとおり、とにかく捨てません…

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祖父母宅と野ばら社のレンジは、同じ頃のものでしたがともに未だ現役です。

それでもともかく、いつかに備えて少しずつ片付けはしなければなりません。

私たちは祖父母が元気だった頃から何年もかけて、家具も生活用品も使うものと捨てるものとに分けました。

捨てると決めたものは分別し、それぞれ然るべきところへ…

ところが、野ばら子も捨てられないのです。

祖父母宅が大きなタイムカプセルで、昭和がつまっているような状態なのですから無理もありません。

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いちいち、手を止めてじっくり見たり写真を撮ったり古新聞を読んでみたり、納戸の奥からでてきた祖母の脚踏みミシンをどうしても持って帰りたくてミシンと脚に分けて宅急便へ持ち込んだり…

片付けというより、記録と保存に忙しくしていたような気がしますが、そんな野ばら子を尻目に「実家を片付ける使命」と「その時はいつ来るかわからない」リミットを背負った母は、ばんばん捨てていきました。

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わたしが持って帰ろうと思って避けておいたものまでどんどん捨てるので油断なりませんでした。

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祖父と野ばら社

さて、祖父は、優しい目をしていて、口数が少なく、字が上手でした。

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子どもの頃から祖父のくれる葉書は、いつも筆でピシッと書いてあり、これを一枚一枚手書きするなんて…とぷりんとごっこで葉書を生産していたわたしはとにかく尊敬していました。

町内や菩提寺で依頼された書き物も断ったことはなく無償で全部引き受けていたようです。

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祖父の葬儀で知ったのですが、菩提寺の木札も祖父が頼まれて全て一人で書いたとか。ご住職が誇らしげに見せてくれた祖父の字の並んだ木札は圧巻でした。

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そんな祖父の本棚に見つけた、野ばら社の本。

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嬉しかったです。

その頃は祖父も元気だったので、「ここで働いているんだよ」と伝えることができました。

そして、祖父を亡くして初めての冬、ようやく長い片付けを終えた家は「作ってくれた裏の大工さん」宅に引き取られることになりました。

大工さん宅もご家族が増えて、必要としてくださったのでした。

一番良いところに帰った感じがして、とても嬉しかったです。

ところで、祖父の通夜では、お寺に寝泊まりさせていただきましたがずっとはえが一匹いたのです。

窓を開けても何をしても出て行ってくれず、翌日葬儀の際にも参列者のまわりを飛び回っていました。

ご住職が祖父の思い出話をしている時には、住職のおでこにとまり離れず、火葬場についたらなんとまた現れる…

もうここまでくると「祖父が姿を変えて見にきてくれたのかな」と思ったものです。

母に言ったら「姿をかえるにしたって、ハエってひどいんじゃないの?」と言っていましたが「自然にずっと一緒にいられるのってハエくらいじゃないのかなぁ〜」と返しました。いまでもあれは、祖父だったのではと思っています。

帰ればいつも祖父母が出迎えてくれた場所に、いなくなってしまったことは悲しい。

けれど、せめてその場所が受け継がれたこと、そして祖父は姿をかえて見守ってくれてるのかもしれないナと思えたことでひとつ前に進めた気がします。

おじいちゃん、野ばら社の先代と天国でおしゃべりしてるかな?




あとがきにかえて

SNSを担当してもう何年になるでしょう。
野ばら社のフォロワーさんは、とてもあたたかくて優しくていつも励まされています。
アナログな野ばら社がSNSをはじめて、野ばら子のように「祖父母宅で本を見つけました!」「祖母からもらいました」と野ばら社の本を見せてくださる方も少なくありません。とても嬉しく思います。
時代の寛容さで特定のキャラクターが描かれていたりする時代もあったのですがそれもご愛嬌と楽しんでくださっている方が多く…
ゆるくマイペースな野ばら社を愛してくださる方が少なくない事、とても励みになります。

いつもありがとございます。

野ばら子


noteにサポートという機能があることを、サポートをいただいて初めて知りました。たくさんサポートいただいたら、読者のみなさまが欲しい野ばら社グッズを作ります。