見出し画像

「メディアと私」を誰もが覚悟する時代

知財、IT産業、ネット、放送、買ったもの、ライフハックなど、コデラの気になるところを語ります。


津田大介が主催するインターネット番組「ポリタスTV」に隔週で出演していた、立命館大学産業社会学部 准教授の富永京子氏が、自身のブログで番組の降板を発表した。

・インターネット番組「ポリタスTV」の出演休止/降板について
https://kyokotominaga.com/politas/

番組内容が問題なのではなく、インターネット番組特有の、視聴者との密接さにより、対応に疲れてしまったということで、その理由が丁寧に説明されている。メディアに出る事の疲弊を、このように誰にでも分かるように表現された事例というのは割と珍しく、一読する価値のあるものだと思う。

一方こうした降板についてネットでは、「こんなメンタルではネットに出てくるほうが間違い」といった心ない中傷もある。だがそれはあまりにもむごい意見だと思う。元々氏は大学の研究者が本業であり、自らメディアへの露出を希望するタレントではないのである。

従来型の新聞・テレビ・ラジオといったマスコミュニケーションは双方向性が低く、「多」からの反応は「おたより」といった格好でワンクッション置かれてきた。一方インターネットでも1対多のマスコミュニケーションは可能だが、基本的には双方向性があるので、「多」が「1」に向かって即時に発信してくることがある。

加えてその発信は、「1」に対してだけ返されるわけではなく、Twitterなどを通して、無関係の「多」へ向かっても発信されることがあり、内容が虚偽の中傷を含むものであれば、「1」は必然的にそれに対応せざるを得なくなってくる。

テレビタレントなどの場合は、事務所がフィルターになって直接対応を避ける仕組みがあるが、一般に文化人とされるメディア出演者は芸能事務所などに所属している例は少なく、フィルターになってくれる人も組織もない。したがって個人がすべてに対応せざるを得なくなる。

こうした「1」の脆弱性については、ネットで言論を書くということを20数年やってきた我々のような職業のものについては、特に考えておかなければならない問題である。そして皆さんも、いつ何時、なんらかの専門家としてネットメディアへ露出する機会があるかもしれない。またTweetがバズることで、一躍注目されるようになるかもしれない。

富永氏のような経験は、誰にでも起こりうることとして考えておく必要がある。

ここから先は

2,412字
この記事のみ ¥ 100
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?