未来の鍵を握らせてくれたRadio、SCHOOL OF LOCK!!


高校1年生の、秋。

寮生活をしていた私が帰省したタイミングで、全然使ってなかったウォークマンを発掘したのが全ての始まりでした。

中3の時になんとなく欲しくて買ったものの、そこまで音楽は聞かないし、スピッツのアルバムしか入ってなかったウォークマン。(スピッツ大好きです)

寮では22時になると携帯が回収されて使えないし、パソコンも無ければテレビも無い。

朝まで外界との通信を遮断されていた。

就寝時間だから寝なさいって話なんだろうけど健全な高校生が22時には寝ないんだなぁ。

だから暇で暇で暇でしょうがなかった。勉強すぐ飽きるし。そんな時にふとウォークマンとの再会を果たしたのであった。

寮に持ってきて数日、ウォークマンでラジオが聴けることが判明。その時の感動は半端なかった。パーリナイ。

初めて聞いた番組はFUNKISTだった気がする。音楽すげぇ!ラジオすげぇ!ってなってハガキまで書いちゃって、ほんと勢いって怖い。

その次に聞いたのはインタビュー番組。アニマージュを作った人の話だった気がする。それもまたえらく感動して、これからラジオ聞き続けたいなと思った(はず)

そしてまた適当に流してた時に始まったあるラジオ番組。それが私の人生を大きく変えた、一生の中で最高の出会いでした。

「未来の鍵を握るRadio、SCHOOL OF LOCK!!」

今思い出しながら涙が出てくる。

その時、こんな自分たちの年代に寄り添ったラジオがあるのかと驚いたし、純粋に面白かった。あと声が良かった。一目惚れならぬ一聴惚れ。

パーソナリティー誰だろうかと番組ホームページを見て、絶叫。

いや、推しやん。私の推しと友達の推しが喋ってたやん。は?え?マジで?知らなかった。

本職の (?)方でしか知らず、その当時携帯にフィルタかかっててろくに情報も得られなかった私にとって大仰天。ああこれはもう毎日聴くと決めた瞬間でした。

そこからは毎日、本当に毎日聴き続けました。

雨の日も風の日も、眠い日も元気な日も、嬉しい日も悲しい日も、なんでもない日も特別な日も。

必ず夜10時はラジオの前に。

今までロックにほとんど触れてこなかった私にとって番組の内容はすごく新鮮で楽しかった。

あの時聞いた音楽が今の私を作ってるし、未だに聴き続けたりもしているので、私のアイデンティティ形成の時期に必要なものだったのでしょう。

SEKAI NO OWARI、RADWIMPS、BUMP OF CHICKEN、Base Ball Bear、Galileo Galilei、クリープハイプ、[ALEXANDROS]ってか[Champagne]…その他にも沢山の曲が私を作り私を救ってくれました。

曲と、トークと、力強いエール。

そんな番組はもう他に見つけられないと思います。

ただ生徒に電話をかけて話してくれる逆電、というものについては叶わぬ夢だと思っていました。前述の通りラジオの時間帯は携帯が使えないのでほんとのほんとに夢の夢。

それが夢じゃなくなったのが高校二年生の秋、多分10月の3週目とかその辺。

たまたま、修学旅行で大阪のホテルにいました。寮じゃないので携帯回収はない。

たまたま、お笑いが大好きな私がドンピシャにハマった企画の回でした。

少しの期待を込めて掲示板に書き込み、今日逆電を貰える人は羨ましいなぁと思いながらホテルの部屋にある机から出てきた聖書を読んでいました。

その時着ていたのは、その日にNGKにてノリと勢いで買ったウーマンラッシュアワーの単独ライブTシャツだったことを今でも覚えています。


携帯に着信が。見覚えというか、聞き覚えのある03-3221-1800の番号。

実はこれまでにも3回くらい電話頂いてたことがあるので、まさかと思って電話に出ました。

電話の向こうの優しい声は、誰だったのか。今はもう思い出せなくて申し訳ないけど、私が寮で22時以降携帯使えないんだもんね、と話の途中で聞いてくれました。

「実は今日、修学旅行で、回収ないんです。」

少しだけ震えながら電話の向こうに、お願い、という気持ちを込めて伝えました。

「まだ分からないけど、もしかしたら…」という内容で電話は終わりました。

そして21時50分

もう一度携帯に着信がきました。

いやもうこれは、これは、ねえ!!!!と思ってベッドから跳ね起きて電話に出た私。

告げられたのはこのあとのコーナーで電話をかけてくれるということ。そして内容の打ち合わせ。


あの時の緊張と感動と喜びを、私は一生忘れないと思います。

確か秋の特集で、よしだ教頭と漫才を〜というコーナーでした。

テレビの向こうの人と、ラジオの向こうの人と、一緒にできる日が来るなんて思いもしなかったし1番でられて嬉しい企画で話すことができて、今でもあの日あの時が最高のタイミングだと思います。

話した内容は、あとで放送の記録を見てやっと頭が追い付いたくらい、その時のことは曖昧で。それだけテンションが上がっていたし、緊張したし、信じられませんでした。

余談ですがこれもたまたま寮の先生と先輩にに聞かれていて帰った瞬間に声かけられました。


その先も番組はずっと聞いていたけれど、聞かなくなってしまったのはいつからだったか。

受験で大変だったのか、進路に迷っていたとか、もうなにもしたくなくなった時か。

私の日常から離れていきました。

それはつまらなくなったとか他に楽しいことができたとかじゃなくて、高校を卒業してしまったら私はここの生徒じゃなくなってしまうと思って怖くなったからだと思います。

急に終わりが来るのは寂しいし、耐えられそうにないから本当に少しずつ、少しずつ。



あれからもう5年。

10年間10代のカリスマを、みんなの校長を、人生の先輩を、大人の背中を、私達の青春を担ってくれていたとーやま校長がご勇退ということで。

懐かしくなって今この記事を書いているわけであります。本当は各コーナーの思い出も沢山沢山あって、後々描いていきたいなとは思うんですけど、取り急ぎ私の青春はめちゃくちゃここに溜まっていたんだぞということだけ書き残します。


あと、数日。どんなフィナーレを迎えるのか。

ありがとうございました。



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