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齢二十のひよっこクリエイターらしき学生から見た映像研

皆さん、現在話題沸騰中の『映像研には手を出すな!』読みました?見ました?

僕は読みましたがまだ見れてないです。録画忘れた自分を呪ってやる。

1巻だけ一生見つからないんですよね。だから2〜3巻全部確保しました。んで1巻はネットで無料公開があったのでそれで読みました。いずれ紙で買います。
僕とて紙に価値を見出してしまった人ですので。まあ意味は違うかもしれませんが。







注意
ここから先は『映像研には手を出すな』関連の作品に関する多大なネタバレを含んでいます。







さて。

今回の記事テーマ『映像研には手を出すな!』(以下映像研)ですが、この作品今年の1/5深夜からTVアニメが放送開始となった作品です。

僕個人この作品をそれまでは全く知らず、話題になり始めた頃に「なんか面白そうなのやるんだなぁ」程度に思ってたんです。

それがね

クッソ面白いんですよ。

いや、まああの注意書き超えてここまで読んでる人は大体「映像研気になるけど実際どうなんだろう」とか「来た、見た、買った」みたいな人しかいないんでしょうからこんなこと書いてもあんまり意味ないんですけど、

クッッッッッソ面白いんですよ。

この本、学生団体ながらも「モノを作り上げる」ことを高校からずっと続けてた自分にとって至言の塊みたいな本で。

まだ一周しか読んでないので、読み込めていないこともあり語意を誤って解釈している可能性がありますが、本当にめちゃくちゃ刺さるんですよ。

金森氏の言葉を借りれば「どうも特殊な教養がないと楽しめないような作品を〜」と思うこともありますが、そんなことはきっとなくてきっといろんな人がワクワクできるんだろうと思うんですよ。
まあ実際そうじゃなかったとしても

そんなの知るかよ、俺が面白いと思ったもん書いて何が悪い

って感じの空気感があってすごく好きです。あいや製作者の意思がわかるわけじゃないのであれですけど。

でもその空気感と繰り出されるセリフのせいで僕は読みながら泣きかけてしまったんですね。救われたっていうか。

そんなセリフいくつか書きたいと思ってこれを書いてます。「こんなセリフあるんだー」とか、「うわーわかるー」とか「こういう見方もあるのか」くらいのノリで見ててください。

結局セリフまとめなんてのはそう言う楽しみ方しないと、その文脈の前も後ろもわからない人が見たって大して面白くも深くもないんですよ

ちなみに、

作者の大童先生もこう言ってますので大丈夫だと思います。

大童先生曰く、「これがマンガを売るということ」らしいですが、その言葉通り見事引っかかりましたツイートで紹介されてたセリフから。


水崎「私はチェーンソーの刃が跳ねる様子を観たいし、そのこだわりで私は生き延びる。
大半の人が細部を見なくても、私は私を救わなくちゃいけないんだ。

『映像研には手を出すな!』2巻より

至言〜〜〜〜〜〜〜〜

マジで本当にそうって感じなんですよね。

よく言うじゃないですか。「作者はそこまで考えてない」とか。

それは往々にしてあり得ることだとは思うんです。当然どこまで考えてるかなんて作り手によって変わってきますし、それをどう捉えるかは受け取りてに委ねられるところですから。

でも、それが明かに意図的だったら「それはバッチリこだわってんだよ!」

ってことになるんですよね。

だからこそ俺たちは「動きの一つ一つに感動する人に、私はここにいるって、言わなくちゃいけない」んですよね。

まあでも実際それは少数に対してですし。
本当、見どころどこですかとか言われるとなんだかんだ困りますよね。多分僕の見どころを語ると知らねえよって人いっぱいいるし。特にスタッフの時とか。

それでもこだわりを捨てられないのは、俺がそれを好きだって言って、それを見せたいって言って、少しでも誰かに引っかかってほしくて、俺がここにいるってわかってほしいからなんでしょうね。

自己顕示欲だぁ。
まあでも、クリエイターなんて自己顕示欲の塊みたいな人ばっかりなイメージですし。
あ、悪い意味じゃないですよ。

まあそんなことは置いておきまして。
結局、自分が許せるものしか自分は作れないから、「自分を救わなくちゃいけない」って本当すごい言葉だと思います。俺はこの言葉に救われた。

次行きますね。


金森「あのねぇ、あなたがダメだと思うから、この作品はダメなんですよ。他人なんて関係ない。
監督なんすよあんたは。
あんたがこのロボットに満足できないなら、「更に好き勝手書く」以外の選択肢はないんすよ!

『映像研には手を出すな!』2巻より

至言〜〜〜〜〜〜〜〜

お気づきかと思いますがこれしか言わないです。

作品の全てですよね。

さっきも似たようなこと書きましたけど、結局頭でわかってることだし何回も言われてることですけど、これを煮詰まった時にわざわざ言ってくれる人ってすっっっっっっっごく大事なんですよね。

テメエが自信を持ってイケるって言えなきゃそれはダメなんですよ。誰がどれだけ良いと言おうとダメだし、テメエがイケると思ったなら誰がなんと言おうとそれは良い作品なんです。

でもそれは自分のこだわりと表現したいことと全部をちゃんと表現できた先の話。当然全部を全部表現なんてできないのはよくわかってる事実です。
だからその現実との間でどれだけ足掻けたか。

足りないと思うんだったら、そこにどれだけ「更に好き勝手」やれたか。
それが全てな気がします。

これはあくまで、良くも悪くも世間に対しての表現のしがらみが少ない学生団体だからの感想なのかもしれませんん。
それでも捨てちゃいけない何かとか縛られないように足掻くところってのはきっとあるんじゃないかなと思います。


金森「誰も知らねえ店に、客が来るわきゃないんだ。
『映像研には手を出すな!』3巻より

本当そう

いやこれは大学演劇で宣伝に関して触れたことでより強く思ったんですけど。

僕自身は舞台効果の部署なので実際に色々企画や広報を組んだ経験はほとんどないんですが、このセリフの前に「Twitterは遊びじゃねえんだよ!」ってセリフがあるんですね。

いやマジでそうだよ

と。

すっげえ思うわけです。

いやもう読むの疲れてきただろうし言葉が全てですのであまり多くは語らないんですけど。

役者だって効果だって企画広報だって演出だって
誰も知らねえ店でやりたくはないですもん。


水崎「海に嵐に車に飛行機、ビームも爆発も全部アニメーターの演技ってことなの。
『映像研には手を出すな!』1巻より

わかる。

だんだん雑になってきましたね。

これはもろアニメーターの話みたいに見せておいてこれ全部そうですよね。

僕は効果なので効果の話をしますが、音も光も衣装も舞台も演出も役者も、それぞれがそれぞれの演技をしてるんです。

それは音や照明ならオペレーターが一番代表ではありますが、そうじゃなくても、そこに生きる存在の作り出す音っていうのはは音が創り上げて、そこに映し出される光ってのは照明が創り上げて、そういう演出を、そういう「演技」をしたくてやってるんです。

背景や衣装がなくては世界は存在しない。それらだけで物語れる演技もある。

僕は他の部署ではないので細かいことは言えないですけど、みんな何かを演じて創ってるんです。きっと。

それに惚れるってのは、それを知ってるってのはどれかをやる上で必要なことなんじゃないかと思います。

ま、なにより自分のやってることに惚れられたならそんな良いことはないと思います。自惚れすぎない程度に。


浅草「世界はもっと広いんじゃ。わかってるんだよ。全部は描けないって知ってるんだよ。
今の規模じゃかけないと思ってたんだよ。描けないと思ったせいで、描けるかもしれないものまで描かなくなっちゃったんだよ。

『映像研には手を出すな!』4巻より

満を辞して浅草氏のセリフです。

これは永遠の課題というか。永遠のジレンマというか。

この後浅草氏はやりたいことをやる決意をするんですが、同じように自分たちが決意を固めたとしても、いつかまたこの課題にきっとぶつかるんです。

理想と現実は共存しないんです。

アラブの大富豪にだって天才演出家の才能はないかもしれない。でも天才演出家には大学生のような時間はないかもしれない。
誰だって何かが欠けてるんです。

作品と向き合う上で、現実との折り合いもわかって。それでもその中でやれることの最大限を尽くす。
それを知るための一歩眼の言葉。小さくも重い言葉だと思います。

そんでもって、
この言葉が出る前の「忘れてないでしょ」って水崎氏の言葉。マジで辛すぎる。めっちゃブッ刺さった。


とまあ書いて行ったら無限に書けるのでこの辺にしようと思います。

いろんな角度から、真剣に作品に向き合う彼女たちの生き様。めちゃくちゃいいので皆さん買って読んでください(販促)

それではまた。

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